二重螺旋のキラリティ | ナノ

二重螺旋のキラリティ

「間違ったやり方を身に付けたら困ったことになってしまうんだよ」
 兄は眉を下げてあたかも思いやりから出る言葉みたいに言った。
「だから、僕なんかで良ければ、教えてあげようか」
 どうせこの男の思う通りになる。

 ちょうど声変わりがあった頃だったと比鷺は思い返す。何日か声が出しづらい日が続いて、低くなった声は少し、思い描いていたものとは違った。
 てっきり兄と同じになるのだと思っていた。めちゃめちゃ、すごく、本当に嫌だけど、仕方ないことだと。その頃は身長も急激に伸びていて、歳の離れた兄に追い付けそうな気配が出てきていた。九条比鷺は九条鵺雲に急速に近付いていた。
 兄とは違う仕上がりになった声に、少しだけ呆然とした。
「……ん、ぅ……っ」
 声を出さないように耐えていたのはそれとはあまり関係がなかった。単なる羞恥心とそれから反抗心だ。鵺雲に良いようにされるのは気に食わなかった。たとえ後ろから抱き込まれて脚の間に手を入れられている状態であっても。
「我慢しなくていいんだよ」
「誰がっ……」
 自慰を教えてあげるなんて言ってきた割に鵺雲の触り方は随分と緩いものだった。上下する動きも緩慢で、性格的なものにも思えたし、わざとやっているようでもあった。もどかしさに踵がシーツを蹴った。
「あ、や、っ……、ばか、このっ……!、」
 苦しかった。脚をばたつかせて身をよじっても兄の腕の中からは逃れられない。言葉は拒絶を意味していても物欲しげに乞い願う声しか出せなかった。目の縁に涙が溜まった。
「……ッ、もっと、ちゃんと触って……!」
「だめだよ。強くするのは良くないもの」
 必死の懇願はあっさりはね除けられた。穏やかな話し方なのにその言葉は絶対的な響きを持っていた。ついに涙が零れて落ちた。
 早く終われとやり過ごすだけでは無理だと察した。柔らかく握り込まれた感触に集中して腰の奥に響く快感を拾おうと努めた。結局兄に良いようにされながら、兄の手を汚した。
 ひーちゃんは気持ち良くなるのも上手だね、とかなんとか気色悪いことこの上ない台詞を吐かれた。
 教えるだけなら一回で良かったはずなのに、鵺雲は気まぐれに何度も比鷺の部屋を訪ね、比鷺も何故か律儀にそれを待っていた。一人でしようという気にはならなかった。毎回毎回苦しくて仕方がないのに、それしか知らなかった。
「あっ、ぅあ……あ、クソ、なんで……」
 兄が出ていって起きた最悪なことは大小様々にあって、そのうちのひとつがこれだった。もう兄はいないのに彼と同じ酷くぬるい触り方をしている。本当はもっと強く擦ったって大して問題はないと知っていてそうしたいと思ってすらいるのに、だめだよ、と鵺雲の声が甦ってはひやりと突き刺さる。どうしても手に力を入れられない。
 涙を滲ませながら拙い自慰をした。兄がいた頃と同じ姿勢で背中に兄の温度を錯覚して触れる手を兄だと思い込んで。指の先まで何かおぞましいものに浸されきっている自覚があって、それなのに間違っていると思えないところが腹立たしくて恐ろしかった。
「は、バカ、あのやろ……クソ、いつも……」
 曖昧な呂律で喋る。声を出そうとする。こういう状況で縋れる分かりやすい差分なので。早口に息を吐くたび酸素が失われて思考は散逸していく。
 クソバカアホ兄貴! 大嫌いだお前のせいでこんなことにバカやだ苦しい嫌いだなんで助けてお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!
 ──ようやくことが終わって荒く呼吸する。少しずつまともな思考が戻ってきて、何をしたのか思い至り始める。
「……は、えっ? な……?」
 いつもこれの後は酷い気分になるけれど今回は輪をかけてめちゃくちゃにやらかした感じがした。最後の方に何を考えていたか思い出さないように比鷺は大きめの声を出す。
「あーあーマジ無理ゲームしよ! 突発配信やってくじょたん最強伝説作ろう、注目ランキング載ってやるから」
 手を洗いに立ち上がりながら追い立てられるように喋りまくる。考えないように追い付かれないように。比鷺は自分の声を気に入っている。聴きやすいって視聴者受けもいいし目立つし我ながらかわいいし。だからいつか突然あの声になっていたらどうしようなんて、あり得ない疑念をまだ捨てきれずにいる。
20220928


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