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幕間

 頼城が国外出張から戻り直接合宿施設を訪れたとき、そこは静まり返っていた。まだ日も昇らない早朝だったから、宿泊している他のヒーローたちは眠っているか、あるいは目覚めていても部屋にいるのだろう。職員たちは出勤してきていない。人の気配らしきものは全くない。
 朝が静かに夜を侵食し始めているとはいえ、自分の手すら目を凝らさないと見えないような時間だった。真っ暗な廊下に靴音を響かせながら歩く。貴重品だけ入れてある鞄が手に重い。部屋に戻るための階段が遠く感じられて、疲れた足は勝手に方向を変えた。
 微かに頭痛がしている。向こうで飲んだコーヒーはほとんどお湯みたいな薄さで紙フィルターの味がした。初めて対面する取引相手は若く、表面上はにこやかにしながら瞳にはまだ子供と見下す色が見えていたしそれでいていつでも取って喰おうと抜け目なくこちらを窺っていた。要するに頼城がいつも相手取っている手合いで、だから気が抜けなかった。知らない言語で話していたから珍しく通訳が必要だった。商談は長引いた。外に出ると雷雨で靴が濡れた。飛行機は遅れた。鞄の中で虫が死んでいた。
 後輩たちに会いたかった。だから居ないと分かっているのに食堂へ向かっている。いつも誰かしらがいる場所というイメージが抜けない。斎樹に呆れられながら叱られても良かったし、霧谷に顔をしかめられても良かった。もう随分長い間会っていないような気がしている。会いたかった。
 食堂の扉を開けると当然そこは暗闇に沈んでいる。静かだ。人の気配などない。何かをうっすらと期待していた自分に笑いたくなる。自分の輪郭すら滲んで溶け出していくような闇を打ち消すために、手探りで照明のスイッチを押した。
「……は」
 誰も居ないはずだった。誰かに居てほしかった。
 矢後がソファーで寝ていた。
 目元をヘアバンドで覆って肘掛けに脚を乗せて我が物顔で眠っている。頼城の訪れには全く気付きもせず穏やかなものだ。
 気を抜くと力が抜けて膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
 そこに居るのが斎樹か霧谷であれば良かった。そうしたら何もかも上手くいった。いっそ愛する家族たちでなくても他校の後輩でも後輩ですらなくてもこの際武居でも浅桐でも、もう誰でも良かった。矢後でさえなければ良かった。
 こんな日に会ってしまうのがよりによって矢後なんて。
 矢後と居ると普段の自分で居られないことに気付いている。スマートで完全無欠で世界で一番頼れる、そういう男であるはずなのに。そう在りたかった。自分が理想の頼城紫暮ではないことに気付かされてしまう。矢後のせいで。あれさえ居なければ俺は。
「……おい、矢後、不良。ソファーで寝るな」
「…………」
「自室があるだろう」
「…………」
 矢後は応えない。眠っている。頼城だって声を張らない。揺さぶることもしない。もうじき朝が来る。今から起こすのは無駄でしかない。
 だから普段の自分が言いそうなことを呟いている。スマートさに欠けてもダサくて格好悪くても、頼城紫暮の日常をなぞる。矢後の素行に目くじらを立てて矯正してやろうとする。
 こんなことが日常になっていることにも、そんな日常を演じて泣きたいくらいに安堵していることにも、気付きたくなんてなかった。
20230108

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