はじまらない終わり
幸せじゃない
従者は従順だった。自分にはそれしか価値がないとでも思っているようだった。けれど彼の主人たる巡にはもはやたった一つの価値すらない。
舞台を降りた栄柴巡の役割は血を繋げることだと、周囲の誰もが当然のように認識していた。それは本人だって変わらない。次を、と考えた時にぼんやりとよぎったのはまだ経験がないということだった。
何を夢見るわけでもないけれど、一番初めなのか、と思った。
従者は従順だったし、聡くもあった。欲を許されない巡の願望を彼は正しく理解して、何日もかけて備え慣らしそれを叶えた。初めての体験は巡が思っていたほど何でもない出来事にはなってくれなかった。巡はそれに耽溺した。
きっとただ丁度良かっただけだ。全てを無くした巡にはそれくらいしかすることがなかったし、その間は何も考えなくて済んだ。佐久夜もそれを分かっているのか、巡が最大限快楽を享受できるよう、どんな些細な反応も見逃さないよう静かに気を配っているようだった。そうして巡の望みを察して、忠実で賢い彼はやはりきちんとそれを果たした。逆らえない力で抑え込まれて無理やり犯されるのはおかしくなるくらいに気持ち良かった。何より佐久夜が絶対に望まないことをさせて、まだ彼が自分に従っていることを確認できるのが良かった。巡は未だ自分を主人と思っている彼を嘲り哀れんでいるのにぬるい安堵をも得て、惨めな色をしたそれに浸っている。今も。
酷い音を立てながら突き込まれる度に背中を電気じみた何かが伝って脳を白く焼く。訳が分からなくなって意味のないうわ言を零しそうになる。なけなしの誇りで声を抑えてはいるが、回数を重ねる毎に難しくなってきている。佐久夜で一番気持ち良くなるように身体が作り替えられていく。舞奏のためだけにあったはずの肉体がそんなことになっても罰らしいものは当たる気配もなく、栄柴巡はとっくに見捨てられているのかもしれないし、あるいはカミなんていないのかもしれない。惨めすぎていっそ興奮して、それでまた惨めになる。声を堪えているせいで息が苦しくてもう動かない脚は絶えず痛んでいて何もかもが最悪で絶望的に気持ち良い。ぐちゃぐちゃになりながら声を殺したくて自分の腕を噛もうとしたら存外強い力で阻まれた。
「私の」
短い言葉と共に佐久夜の指が口内に侵入してきて、反射的に歯を立てる。骨の硬さが奥歯に伝わってきて、きっと痛みが酷いはずなのに佐久夜は逃げない。口が閉じられなくなってしまったから喉の奥から浅ましくみっともない音がそのまま溢れる。今はもう何の価値もない巡の腕を守る滑稽さに、焼き切れそうな頭は気付かない。
感じるところばかり突かれているのかどこもかしこも良くなってしまっているだけなのかすら分からない。終わりが近い。何度も経験したせいで予兆を覚えてしまった。覚悟した瞬間に射精しないまま絶頂する。何も考えられない。強制的な幸福感に絡め取られる。
こうして叶えられるものではないと分かっているけれど、巡にはもう幸せに生きる道はない。
20220402