雲影 | ナノ

雲影

あんまり幸せじゃない
鵺雲の存在感強

 佐久夜と同じタイミングで布団に入る。部屋を借りる時に寝室を分けるのは嫌だと言ったついでにベッドも一つにしてやった。床を共にすることについて幼馴染は特に疑問を抱いていない様子だった。そこそこ体格のいい二人が身体をねじ込むと安物のパイプベッドは酷く軋むが、まだ新品なためか壊れていない。
 佐久夜は朝が早い。それでも巡はいつも彼より先に目を覚まして、彼がもそもそ寝床から這い出す気配を感じている。温もりが消えていくのを惜しく思いながら、彼がせっせと腕立て伏せやら腹筋やらに励む息遣いを聞いている。一通り終わると寝室を出ていってシャワーを浴びている音が遠く聞こえる。それから彼が起こしに来て、その時に巡はようやく目覚めたふりをして、時間を訊ねてみたり眠たげにごねてみせたりする。
 佐久夜はいつでも側に居てくれる。そう理解はしていても確信ができないから巡は彼を置いて眠れない。夜が彼を奪っていくような気がしている。彼の体温が隣に合っても寝息が耳元で聞こえても安眠できなかった。眠れない布団の中から見つめる夜の暗闇は真っ黒なあの男を連想させる。鵺の気配はいつでもそこにある。

 栄柴の家にとっては巡が最後の希望のようなもので、だからそう簡単に見捨ててくれるわけがなかった。ある日には郵便受けに手紙が届いていた。すぐに引っ越しを決めた。男二人のルームシェアを許してくれる物件探しは難航することがこの部屋を探した時に分かっていたが、ここに住み続けるわけにはいかない。短い城だったな、と巡は狭い寝室を眺める。
「心配することはない」
 巡の顔を見て佐久夜は言った。それほど酷い顔をしていたのか。家を出てから続く慢性的な寝不足のせいで目が痛むし頭痛もしている。頭がうまく回らない。
「いやー、心配はそんなに。引っ越し大変だなーとか、うちも頑張るなーとか思っちゃっただけ」
「そうか」
 自分たちを探している存在のことを考えると、自然と九条鵺雲を思い出す。彼にも知らせず家を出たが、あの血統主義の男が栄柴の断絶を黙って見ているものかどうか分からなかった。彼は今逃げ出した二人をどう思っているのか。最後の関係は悪くなかった。二人の幸せを願ってくれるだろうか。
「……鵺雲さんのことか?」
「考えてない。佐久ちゃんも呼ばないで。その名前」
 佐久夜は黙り込む。納得もしないが反論するわけにもいかない、彼のよく取る手段だ。気に食わない。
 しばらく重苦しい沈黙が続いた。あの人のことを考えている時間だ。気に食わない。苛立つのも寝不足のせいだ。鵺雲のせい。全部全部全部。
「お前のことが心配だ」
 佐久夜は小声で哀願するように言った。
「だったらさあ」
 佐久夜の襟首を掴んでベッドに転がした。鍛えている彼にそんなことができるのはただ彼が協力してくれるからだ。彼に馬乗りになる。
「俺が、何も、考えなくて済むようなことしてみろよ」
 顔を近付ける。同じ布団に寝る意味を分からないなんてもう言わせない。
 分かった、と佐久夜は答えた。
 佐久夜の両腕に抱き締められて横向きに寝かされる。え、嘘、マジで、今? 背中をなぞりながら後頭部を撫でられている。それだけで心臓が早くなって息が上がってくるから不思議だ。気を付けて静かに息継ぎをする。変な声が洩れたら萎えさせるかもしれないし、あまり物慣れない様子を晒すのも恥ずかしいし、だからなるべく堂々と、そう例えば、
 九条鵺雲。
 勢いよく佐久夜の胸を押し返した。叫ばなかっただけ上出来だ。さっきまでとは違う理由で呼吸が苦しい。必死で息を吸い込んだら悲鳴みたいな音がした。
「……怖かったか」
 佐久夜は乏しい表情に心配の気配を乗せて見当外れのことを言う。違うと叫んだ。喉が引き攣る。
「あいつが!……あの男の気配がするんだよ、俺とお前の中に! ずっと!」
 喚き散らして怒鳴った。怯えているはずがない。巡は怒っている。激怒している。栄柴の本質は執着と独占と排他であって、だから他の誰かがそこに立ち入り収奪しあまつさえ居座るなんてあっていいはずがなかった。
 巡の絶叫を聞いた佐久夜は無表情のまま静かに言った。
「それの何が悪いんだ」
 言葉を失う。頭痛は殴り付けるように酷くなっている。怒りが冷えて心の奥で溶岩のように固まる。佐久夜は心から何が問題なのか理解していない。この男は、九条鵺雲が彼らの中に棲み着くことを良しとしている。
 雷のもたらした影は、最悪の形で二人の間に長く伸びていた。
20220217


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