それでもあなたの幸せが | ナノ

それでもあなたの幸せが

 まだ親友という関係に慣れていなかった頃、佐久夜は巡に呼び出された。
 夕飯も出来上がろうという時間だった。佐久夜も手伝いに行かなければならなかったが、暗い玄関口で佇む巡を放っておけずに親に知らせないまま彼に手を引かれて外に出た。
 空は暗くなっていたが辺りは街灯に照らされて明るい。公園の植え込みが作る暗がりにしゃがんで隠れて、先生がどうの友達がどうの、他愛もない話をした。こんな時間に呼び出してまでする話でないことは分かったが、呼ばれた理由は分からなかった。
 佐久夜が夕飯の手伝いに立ち上がることを恐れるように、両手で佐久夜の両手を包み、話題を切らさないように懸命に喋る姿を今でもずっと覚えている。

 巡と一番仲が良いのは佐久夜で、佐久夜の一番も巡で、そして周りの学友たちもそれをきちんと認識していた。巡はどちらかと言えば女の子たちとよく話していたが、その合間に気まぐれに佐久夜を呼んでは甘えかかった。やたらべたべたする二人は、家柄のこともあってかなんとなく遠巻きにされた。
 巡が声を掛ける女の子たちの名前を、佐久夜は昔から一応全て覚えておくことにしている。もしかしたら彼女はいずれ栄柴の家に嫁いでくるかもしれないのだし、そうなったら秘上とだって繋がりを持つことになる。とはいえ最初はそこまで意識したわけでもなく、親友としての興味から始まったものだったが。そして佐久夜のこの努力が意味を持ったことは今のところ無い。
「佐久ちゃーん! 今日一緒に帰らない?」
「分かった」
 二人の行動は大体が巡の都合で決まった。予定は何も言われないまま唐突に佐久夜が呼ばれることがしばしばだった。この日のように二人で帰った日は大抵そのままどちらかの家に集まった。課題をやってみたり何か食べてみたりだらだらと喋ったり、特筆すべきことは起こらなかった。
 その日までは。
 ねえ佐久ちゃん。巡が胡座を組んだ膝の上に跨がってきたので見上げる体勢になった。
「どうした、巡」
「キスしよ」
 普段通りの、甘えの見える軽薄ぶった笑顔で言われる。拒めない佐久夜は頷いて、ドラマか何かで観たように巡の頭に手を添える。巡が身を屈めて顔を近付けてくる。
 覚えておいた女の子たちの名前をつらつらと思い返しながら、一体この中の何人がこうして唇を許されたのだろうかと考える。
 なんだか心もとないくらいに柔らかいところが何度も押し付けられては角度を変える。巡、と小さな声で呼び掛けたら擦り合わさった刺激で腕の中の巡が体を震わせる。それ気持ちいい、もっと。ねだる彼に応えて唇を合わせる。舌を入れるなんてこのときは思い付きもしなかった。ただ触れ合わせるだけの行為に夢中になって床の上に転がって絡み合った。
 もつれ合っているうちにふと投げ出された巡の左手が目に入った。何をしていても手のひらを隠すようにするのが癖になっているせいで、巡の左手の動作はほんの僅か歪んでいる。握り締められた手を見る度に、佐久夜の胸には痛みが過る。
 その、いつも握られている左手が緩んで、くっきりした痣が隙間から見えている。
 本当に欲しいものは腕の中にはないのだと気が付いた。



 鵺雲もまた気まぐれに佐久夜を呼び出す人間だった。まだまだ未熟な佐久夜に稽古を付けてくれるが、それが目的なのかは佐久夜には分からない。分かりたいと思う。
「来てくれたんだね、佐久夜くん」
 今日の鵺雲は稽古をする様子ではなかった。普段着のままだったし、呼び出されたホテルの一室はいつも彼の泊まっているような広い部屋ではなく、備え付けの家具だけでほとんど埋まっているくらいの狭いところだった。突っ立っている佐久夜の戸惑いを気に留めずに、鵺雲は相変わらずの微笑みを浮かべている。
「鵺雲さん?」
「ああ──ちょっとね。いろいろ考えてはいるのだけど」
「何を……でしょうか」
「稽古を頑張っているご褒美」
「そんな……」
「僕なんかに出来ることはそうないけれど!」
 あはは! 鵺雲はやたらと快活に笑って、ベッドに腰掛ける。
「だけどこれはご褒美ではなくてね、もし良かったらの話なんだけど──」
 鵺雲が佐久夜の両手を両手で包んで見上げてくる。佐久夜は充分に大人なので、彼の誘いを正しく理解できた。誰だってキスのやり方も知らない子供のままでは居られない。
「……口に、触ってもよろしいですか」
「口に?」
 何と言えば伝わるのか分からず、遠回しな言い方になった。鵺雲が目を丸くするので、理解か言葉選びを誤ったかと思ったが、しかしすぐに彼は笑い声を上げて、目を閉じて上品に唇を緩めてみせる。
 恐る恐る覆い被さって口を合わせる。誘うように開かれた隙間に舌を滑り込ませる。鵺雲の舌を追いながら、巡の口内もこんな風に熱いのだろうかと考える。そうしながら肩を押すと簡単に押し倒せてしまって、慌てて身を起こした。
「それだけでいいの?」
「これ以上は──」
 鵺雲は寝転がったまま意味ありげに笑う。指先が無意識なのか服の上から自分の鎖骨の辺りをなぞっている。白い肌の上に化身が浮き出ているのがほんの少しだけ見えている。触ってみたいと思って、その代わりになぞる手を掴んで細い指先を舐めた。
 さすがにあっけに取られた顔をする鵺雲を見つめ返す。欲しいものは昔から少しも変わっていなかった。再びやってきたチャンスを逃しはしない。
「こんな機会が……またあるでしょうか」
「それは君次第だろう」
 白い手のひらを握りながら佐久夜は自身の欲深さを思う。
 佐久夜は彼を幸せにしたいのだ。
20220112


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