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「──それで、断ったって。ナツキっち」
「ナツキずるい!」
 隼人が大げさにも見える仕草で肩を落とす。隣に座った幼なじみはおろおろそれを見下ろしている。部活前のいつもの雑談タイム。旬は興味がない、と肩をすくめて、手にした楽譜をとんとん机に打ちつけた。
「はいはい、無駄話はその辺にしてくださいね。だいたいなんでナツキの話を四季くんがするんですか」
「噂で聞いたんすよ。マジなんすか? ナツキっち」
「えっと……告白……は、されてない……よ。応援してる……って」
「うーん? 確かにビミョーなセンっすけど……」
「えーでも、いいよなー! 体育館裏、女子から呼び出しとか、ロマンだよ!」
 いいないいなと椅子を揺らす隼人と、なだめる四季と夏来を呆れ半分に眺めながら旬は席を立つ。春名はまだ来ていない。掃除当番だったか、と旬は隣のクラスの名簿を思い浮かべようとする。カーテンを引こうと手を伸ばして、窓の外、真下の方に見慣れた橙色を見つけた。その側に知らない黒髪も。
 特別棟にある音楽室から見えるのはちょうど体育館裏だ。春名さんと、知らない女子。体育館裏。アイドル。イケメン。恐喝──まさか。告白──そう、それ。
 カーテンに手を伸ばしかけた格好のまま、旬は凍りつく。見てはいけないものを見てしまったような気がした。告白に甘い幻想を抱く誰かさんの言葉を聞いていたせいかもしれない。誰かの大事なものを侵犯しているような感覚。神聖な何かを汚している。
「ジュン?」
 不意に幼なじみの声が耳に入って、旬は硬直から脱する。
「どうしたの……? 何か、あった?」
 ぼんやりしているくせに妙に目ざとい、と旬は思い、同時に救われたと思う。「なんでもない」と短く返し、カーテンを勢いよく引っ張った。切り裂くような音がして、まだ明るい夕方の陽と外の景色が遮られる。僕は何も見ていない。旬は自分に言い聞かせる。
「ハルナまだだけど、すぐ来るよね。楽器出すか」
「りょーかいっす!」
「分かった……ジュン」
「あ、うん」
 四人でキャスター付きの机を移動させて、スペースをつくる。どことなく上の空の旬に、夏来は物憂げな視線を向けていた。


「いやー悪い! 野暮用でさ」
 楽器を取り出した頃、春名がばたばたと駆け込んできた。下からここまで一気に駆け上がってきたのだろうか、少し息が上がっている。
 野暮用なんて、と旬は少しもやもやする。あの女の子にとってはきっと大きな出来事だったはずだ。かといってまさか告白されてましたなんて言えるわけもないか、と旬は考え直す。彼は割り切るのが早い。キーをいくつか鳴らして気持ちを切り替えた。


 曲がサビに差しかかる。ひときわ大きくドラムが鳴る。指を動かしながらちらりと隣を見やると、偶然一瞬目が合った。春名が笑った気配がする。楽しそうだ。今日はなんだか集中できない、と旬はキーボードを睨むようにしながら弾ききった。
「お疲れー。反省な」
 三時間ほどの部活も終わりに近づき、隼人が号令をかける。今日オレ的にはイイカンジだったんすけど。俺ちょっとトチったかな、気付いた? メンバーが話し合っているのを、旬はどこか遠く、ガラス越しのような気分で眺めている。なんだか世界が違うような気がする。どうしてだろう。
 そんな旬に春名がすすっと近づく。周りに気を遣いながら顔を寄せた。
「……ジュン、なんかあった?」
 突然耳元で囁かれて旬はびくっと肩を震わせた。「何がですか」小声で返しながら、幼なじみの視線を感じている。
「いやなんか、ジュン今日ぼーっとしてたって言うか……」
 気のせいかもしれないけど、と前置きして、
「オレのこと見てた?」
 惚れちゃった? 冗談混じりに笑う春名の顔を見ながら、旬は目眩を覚える。
 世界は確かに変わっていた。汚されたのは誰かの大事なものなんかじゃなかった。正しくまっすぐであった自分自身だ。見たくなかったのはあの女の子のためじゃなかった。自分が間違ったことに気付きたくなかったから。自分が傷つきたくなかったから。 
 彼のことが好きだから。
 世界が崩れていく。冬美旬は彼自身だけのものじゃない。家の名を継いでいくためのものでもあった。清く正しく美しく。優秀な成績を収め、いつかは同じように正しく育ったどこかの令嬢とでも結ばれる。そういうもの。
 間違ってしまった。
「ジュンー? 大丈夫?」
 春名が呑気に覗き込んでくる。漂ってくる甘い匂い。
 好きだな、と感じる。この匂いも、いつも周りを気遣ってくれることも、いつも笑顔でいることも。勉強はできないけど。
「……勉強」
「えっ?」
「中退は困りますよね」
「えっそういう……アレですか……ハイ」
「ちょっとハルナっちたち何話してるんすかー。反省会っすよ」
「うえっごめんごめん」
「すみません」
 世界は変えられなくても周りなら変えられるかもしれない。アイドルになれたように、予想もつかないことは起こるものだ。だから。
「今日は集中していなくてすみませんでした。でもですね、まず四季くんですけど、昨日言った──」
「ジュンっちいきなりスパルター!」
「ふふ……ジュン、元気になった、ね」
「まあね」
 困るなら努力すればいいんだ。努力なら得意分野だ。大丈夫。
 世界は今までよりも少し鮮やかに見えた。
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