特別じゃない | ナノ

特別じゃない

※百々人はPのことが一番好き
※軽い怪我

 あまりに穏やかな時間が流れていたものだから、自分はなにか勘違いしてしまったらしい。
 大好きなプロデューサーは他のユニットに付き添って外出している。事務所で待機しているのは花園たちC.FIRSTだけで、静かな空間に春の風が少し開けた窓から吹き込んでカーテンをなびかせている。平和な昼下がりだ。
 だから、温かいお茶でも淹れようかな、とふと思ったのだ。完璧な午後だったから。こののどかな空間でのんびりして、それで帰ってきたぴぃちゃんにあったかいお茶を渡して、喜んでくれたらいいな。珍しくそんな前向きなことを考えて、花園はうきうきと立ち上がる。正面に座って両手で別々のスマートフォンを弄っていた年下の同輩が一瞬ちらりと視線を寄越し、すぐに戻した。片手は五指で忙しなく画面を叩き、片手は単調に画面を押し続けている。イヤホンを片耳にだけ差し込んでいるから音楽のゲームなのかな、と思う。そんなことよりぴぃちゃんだ。大切な人を労るための温かい飲み物だ。
 楽しい空想に囚われていたせいかもしれないし、元々その程度の人間だっただけのことなのかもしれない。ポットでお湯を沸かしたところまでは良かった。お茶の葉を用意してティーポットにお湯を注いでそれからカップに入れる、それだけの手順で失敗した。熱いお湯が袖の上から腕にかかって、きゃあ、なんて我ながら情けない悲鳴が出た。
 すぐに頭をよぎったのは、火傷の痕が残ったらアイドルを続けられるんだろうか、ということだった。どうしよう、ぴぃちゃん、袖で隠せるかな、痛い、メイクなら、助けて、ぴぃちゃん、
「百々人先輩!」
 リーダーの声はよく通った。いつの間にか後ろにいた彼に肘の辺りを掴まれてシンクまで引きずられ、差し出した腕に蛇口の水が勢いよくかけられる。腕を伝った水が袖ごと患部を冷やしていく。ここまでの流れるような手際にぽかんとしていたが、正気に帰って天峰の顔を窺うと、彼は真剣に花園の腕を見つめていた。視線に気付いてこちらに顔を向け、一拍置いてから腕を掴んでいた手を離した。
「俺、保冷剤取ってきますから。熱くなくなるまで冷やしてて」
「……うん」
「大丈夫か」
 眉見も側に来ていて、腕を覗き込む。
「……うん、大丈夫。ごめんね、心配させちゃって」
「大したことなさそうで良かった」
 戻ってきた天峰は保冷剤をタオルで巻きながら言う。慎重に袖を捲ると患部は僅かに赤いが彼の言う通り大したことはなさそうだった。保冷剤を固定し、駆けつけてくれた二人に礼を言うが、二人は首を振った。
 手当てを終えると天峰はさっさと談話スペースに戻っていく。温かいお茶を淹れるという花園の目的は果たせていなかったが、すぐにやり直す気にもなれず眉見と共に彼の背中を追う。戻った机の上には彼の二台のスマホが投げ出されていて、片方の画面にはゲームオーバーのポップアップが表示されていた。僕のせいだ、と思う。
「いいよ別に。やり直せばいいんだし」
 天峰は流れるようにリトライボタンを押し、もう片方の手は既に別のゲームを始めている。
「俺、天才だから」
 画面から顔も上げずに言う。照れ隠しでもなんでもなく、彼は何も感じていない。特別なことなんて何も起こっていなかった。きっとすぐに火傷は治るだろう。よく冷やしたから痕も残らず、治療のために濡れた袖も帰る頃には乾いている。失敗の痕はどこにもない。もしかしたら二人にとっては記憶にすら残らない出来事かもしれない。
 それでも花園だけは、大切な人のためにしようとしたことと、それにまつわる失敗と優しさを、多分ずっと覚えている。
20211010


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