かげろうの残像 | ナノ

かげろうの残像

虫注意
虫が死にます

 展覧会としてはトップクラスに悪趣味だった。
 合宿施設に入ってすぐ、玄関スペースに机が置いてあるのが目に付いた。普段の矢後であればそんなもの当然のように無視したに決まっているが、その時は何か気が向いて、気まぐれに近寄った。
 キャスター付き机の上には虫が種々取り揃えられている。微かに羽を動かすばかりの蝶、ひっくり返ったまま切れ切れに鳴く蝉、ちぎれた脚でのたうつバッタ、どれもこれも文字通り虫の息だ。中には完全に活動を止め、ひっそりと固まっているものもある。
 気持ちわり、なんだこれ。死にかけの虫の展示?
 グロテスクな光景に、机ごと外に蹴り出してやろうかと思う。ガラスの自動ドアを破ったことはないが、そんなに力もいらないだろう。ガラスを割ったこととドアを破壊したことなら複数回あるので、その経験を思い浮かべつつ軸足に体重を乗せる。
「触るなよ、不良。穏やかに過ごさせたいんだ」
 顔を向けなくとも、無駄に通る声とやたら香る花の匂いですぐに誰だか分かった。机を蹴り飛ばしかけた脚を下ろす。頼城は無意味にかつかつ足音を立てながら歩いてきて、机と虫を庇うように矢後と向き合った。
「……てか、死んでっけど」
 じとりと睨んでくるので、腹が立って吐き捨ててやる。お前が守ろうとしてたの、無駄だったな。いい気味だと笑ってやりたいのに気分はさっぱり晴れない。
「本当か?……そのようだな。安らかであったのなら良いが」
 頼城は悼ましげに眉を下げ、弱々しくもがく虫たちの中からもう動かなくなった個体を掬い上げ、手のひらに広げたハンカチの上に安置している。彼の視界から外された矢後は手持ち無沙汰にその様子を眺め、変な奴、と思う。
 虫の死骸と頼城の取り合わせはどうにもアンバランスだ。今死んでもおかしくない矢後と対照的に頼城は生命力に溢れている。その彼の手のひらに動かない醜い塊がいくつも乗っかっている。斎樹が見たら卒倒しそうだ。
 亡骸を携えた頼城は自動ドアから炎天下に出て行った。恐らくは死骸を埋めに行ったのだろう。開かれた扉から熱風が吹き込んで死に遅れた虫たちを炙る。まだ生き長らえさせられて、鳴き声と羽や手足が机を掻く音の耳障りな合奏を続けている。目前に迫る死の運命を嘆いているようでも、不本意に引き延ばされた生に憤っているようでもある。今すぐ叩き潰してやりたい気もしたし、少しでも長く生きてほしいような気もした。
 頼城は長いこと戻ってこなかった。もしかしたら埋めるだけでなく念仏でも上げているのかもしれない。いや、あいつのことだからもっと洋風のやつ。洋風の念仏。知らねー。
「まだいたのか?」
 戻ってきた頼城のことは黙殺する。気にも留めず彼も隣に来て死にかけ博覧会を覗く。おぞましく蠢く卑小な生き物は、こいつにはどう映っているのだろう。懸命に生きる素晴らしい命とでも思っていればいいと思った。矢後はそういう人間が嫌いなので。
「命の尊さを感じるな」
 果たしてその男はそう言った。
「いずれ彼らの命も救ってやりたい」
 瀕死の虫たちを眺めてそんなことを嘯く。
 長く生きるのが幸せと思ってんの? 投げ掛けてやろうかと思ったが肯定されても否定されても癪なのでやめた。
「どーせ死ぬ」
 代わりに短く告げた。生き物は全て死ぬようにできていて、そして虫なんかはどうしようもないくらいに寿命が短い。救いたくて救えるもんじゃねーだろと、半ば喧嘩を売るような気持ちで。
「そうだな」
 頼城も短く肯定した。
「だが……繰り返し挑戦すれば、いずれは成せるだろう」
 金の瞳を煌めかせて、彼は力強く言い切った。
 はあ?
 よたよたと机の上を這っていた薄い羽の虫がとうとう力尽きた。どうせ死ぬ命は二人の目の前で永遠に失われてもう戻らない。干からびるのを待つばかりの死骸に裏切られたような気さえしている。失望は純度の高い怒りに変わって腹の底に溜まっていく。
 ひとつひとつの死を嘆くふりをして、本当はそんなもの見ちゃいない。くだらないトライアンドエラーに勝手に含めて、未来のためだとか臆面もなく言い張って、積み上げた屍の上に何を築こうというのだろう。
 物凄く腹が立っていた。突然火のついた苛立ちが何なのかもよく分からず、ひたすらに不愉快だった。そして矢後はそれを堪え忍ぶ人間ではなかった。
 躊躇いなどほんの少しもなく、思い切り足を振り抜く。キャスター付きの机はすっ飛んでいって上に乗っかった命もろとも自動ドアをぶち抜いた。ガラスの割れる音に被せて警報が鳴り響き、それ以上の大声で頼城が怒号をぶつけてくる。掴みかかってくる彼と取っ組み合った。はは、やっぱこっちの方が分かりやすい。その頃には不快な何かのことは綺麗に忘れ去っていた。
20210819


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