「私は、君の可能性を潰しているかもしれない」

「かのうせい?」


「話がある」と改まって呼び出されたパーセプターの部屋で向かい合ったまま数分、ようやく沈黙が破られたと思ったら現れたのは突拍子のない連なりで、私は随分と幼稚におうむ返ししてしまった。

ぽっかりと浮かんだ単語を区切って脳内に反芻しても何のことを言っているのか皆目見当がつかず、暫し大人しくその真面目な面持ちを眺めてみる。しかし二の句は降ってこない。
代わりにすっかり見慣れた赤と鈍色に乗る水色のコントラストが少しだけ居心地悪そうに光を揺らしている。

可能性潰し。
もう一度口の中で転がすと幼稚は間抜けへ変化した。依然として味は不明のまま、舌の上で持て余す。

彼が人をわざわざ呼び出してこうして向き合って、粗雑に切り取った発言を渡してくるような性格でないことは知っていた。少なくとも大小様々な隔たりを蹴り飛ばして恋人としてお付き合いを始めた数年前はそうだったはずだ。
今日に至るまでに変わらなかった関係性の中でその性質の方に変化があったというなら話は別だけれど、生憎とそんなに微細な変化を捉えられる慧眼などは宿していない。
ましてやキーワードだけですぐ理解に及べるほど聡い人間でもないので、括弧仮のついた私の鈍感さを悔い改めるのはひとまず放棄し、言葉の続きを引き出すことにした。


「パーセプターから見える“可能性”って潰れるような物体なの?」
「いやそういう事ではないよ。対象は物理的ではなく概念の問題だね」
「はあ。それはつまり……ええと?」

「ああ、いや。言葉通りの意味なんだけどね、その」


気疎いような空気の中でよそよそしく視線の定位置を探すパーセプターに私は平常心を保ちながらも、膝下あたりでざわめきだした焦燥感が上がってこないよう、手を置く太腿を指先で撫でてみた。
粗放さとは最もかけ離れた位置にいる科学者の、整っていない言葉の欠片。そんな珍しいものが辺り一片に散らかれば平凡な人間はそれを眺めるばかりで、寄り添えるのは同じような鹿爪顔くらいだ。


「そうだな…なんと言えば良いんだろうか」


その口元を眺めていると柔らかな声を少しだけ細めてパーセプターは腕を組む。
すると金属の擦れる音が張り詰めた空気に絡み、私に微かな居心地の悪さを伝播させた。


きっとこれは朝目覚めた時の漠然とした思い付きなどではなく、彼の中で静かに身を潜める氷山の一角なんだろう。穏やかに凪ぐ水面と相反して海中の形は探れないまま、私はパーセプターの声を辿るように直近の出来事を想起する。

日々は相変わらずデストロン軍との絶えない戦いが続いていた。
私の背たけではこの戦争の終わりなど全く見えなかったが、有り難くもその端で皆と共に四季を過ごして(時々には役に立ったりもしている)パーセプターの傍をちゃっかりと保持しながら「最近はサイバトロンにも心強い味方が増えたね」なんて心地よい時間を過ごしていた気になっていた。
その何処かで、私の中の些末が知らずの内に彼を引っ掻いたのだろうか。イメージは上手く結べないけれど。


「……なんて言われても聞くよ。パーセプター」


可能性。認識論。プロバビリティー。聡明な彼の口にはよく馴染みそうな言葉だというのに、次いで吐きたい言葉はいびつな形を成しているのか磁力を持っているのか、身体の内側に引っ掛かって中々出てこない。

促すようにもう一度名前を呼んでみれば仔細ありげな表情が真っ直ぐと私を見下ろした。別れ話に似た匂いと温度が部屋に満ち始め頬がぴりぴりとする。
おまけに、パーセプターが正座なんてするものだから私も鏡のようにして背筋を伸ばしていたが、倍以上ある体格差で正座のまま対面し続けるのは首が痛いったらありゃしない。いつも賑やかな声を発する口は真面目なかたちに結ばれたまま動かなくなるし、そんな顔を見続ければ胸がちくちくと痛い。これなら顕微鏡の姿で話しかけられた方がだいぶ楽だ。


「もし言葉を選んでるなら気にしないでいつもみたいに続けて。私は平気だから」
「…すまない。ありがとうなまえ」


進まない時間はゆるやかな逼迫感となって私の身体に巻き付いてしまったので、首が締まる前に柔らかな声を吐いた。すると漸く意を決したのか考えがまとまったのか、パーセプターは うんと小さく頷いてみせる。
小さな咳払いののち仄かに光る双眸に見据えられれば私の身体は反射的に強く息を吸い込んだ。良し悪しに関わらずどんな話題でも彼と会話する時は酸素の備えが多いに越したことはない。理由は言うまでもなく。


「――いや実は一週間ほど前のことなんだけれど…ああ膝を崩して。楽な体勢でいいよ。

先週、スパイクとカーリーが結婚すると皆に報告してくれただろう。そう、実にめでたいことだ。名誉サイバトロン戦士であり大事な友人の吉報だからね。いやはや時間の流れとは早いものだよ初めて彼らと会ったのは昨日の事のようなのに、本当に人間は一瞬で目覚ましく成長していく。特に最近のスパイクは多種多様に学びを深めているし将来的にはもっと広い範囲で異星間の外交にも携わっていくとすれば、実に頼もしい限りだ。そういえば近々、月にも我がサイバトロンの基地を構えるために月面調査をして――…いや話が逸れた。今の重点はそこじゃないんだ。ええとそれで、そう、君だなまえ。ともかく二人が順風満帆な交際を経て結婚するという結論に至ったじゃないか。そこで私は……ん? いやちょっと待った。違うよ、触発されたプロポーズじゃない。するにしたってこんなところで言うもんか。今言いたいのはそうじゃなくて……ええと、君はいつか私の事を好きと言ってくれたね。…今も? ああ、そうだね。うん。ありがとう私も君が好きだ。そこに異を唱えたい訳じゃあないんだ。ただその、スパイクたちを見てね、改めて思い知らされた。…と言えば語弊があるな。本当はずっと分かっていて見ない振りをしていたんだ。時間の流れも然り私と君との間では……ほら、その。ン…限界があるだろう。いとなみのこととか。どうにかなる、いや為べきと色々試行錯誤してきたけれどね、結局私は現在までなまえの時間を食い荒らしただけで人のように触れる事も温もりを分けることも出来なかった。君がいくら慣れたと言ってくれても私の手は硬いままだ。対立する遺伝子もこの中にはない。それが然したる問題ではないと以前なまえは言ってくれたがね、これから先求めるものの多寡に変動が無いとも言い切れないだろう。その時に誰より近くにいながら何も渡してあげられないという事実は、君が思うより負い目として私の中に染み込んでいたんだよ。イメージとしては何が近いか……ああ、塩化コバルトのようなものだと思ってくれ。やったことはあるかい? 炙り出し。そこから消えている訳ではないのに、見えなければ在ることを受け流す。本来そんな事は見過ごせないがね、君と過ごす時間はこうした種の錯覚を植え付ける効果を多彩に含んでいたんだ。勿論悪い意味ではなく。しかし先程も言ったが人間の成長する速度は我々からすれば驚くほど速かった。その事実をまざまざと知らしめられ回路に刻み込まれれば……このままなまえの有限な時間を私が貰ってしまっていいのかと考えてしまった。一度そう思い始めたらなんとまぁ滑らかなことか。君の数多の可能性を私が潰してしまっているのではないかと考えるようにまでなってしまった有り様だ。……すまない、知っているかもしれないがこういう性格でね。科学者なんてみんなそうさ。有益と無益でものを測ってしまう。けれど勘違いしないで欲しいのはなまえが向けてくれた感情が不要だとかそういう意味ではないよ。考えに考えながら、今も君を愛しく思う気持ちが勝っている。これらはまあ言うならば一推論に過ぎないけどね、中々に入り組んでしまっているのはこうも間近にヘテロの関係を――「……セプター、パーセプター」


隙間に挟み込んでいた相槌も全て飲み込まれ、私は随分と平べったくなってしまった声を少し大きくしながら良い頃合いで彼を呼ぶ。するとその何度目かでやっと、決壊していたダムが写真に収められたように制止してその口が噤まれた。

別れ話、ではなかった。多分。良かった。

とは思えど甘い言葉と辛い言葉を交互に食べさせられては変な顔しかつくれない。数分ぶりの沈黙を愛しく思いながら表情筋を整える私の頭に浮かんだのは「めんどくせえ」の一文であった。
普段のそれより殊更に長くされたような連なりは滔々と流れるどころではない。最近知り合ったえらく早口なサイバトロン戦士も中々のボリュームで喋っていたが(彼との雑談の半分は取りこぼしてばかりだ)やっぱりパーセプターが一番だ。
そこも含めて好きなのだから呑み込まれようと溺れようと向けられた言葉は全て拾うけれど、愛しい疲労感には頭痛が伴った。
そして聞き漏らさず耳に入れ、分類別に分けて脳内に積み重ね、ちゃんと理解に及んた末での「面倒くさい」である。細く長く息を吐いていた分、同じく量を吸い込む。
狭かった胸が少し広がっているのが嬉しかった。

もしかしたら他に好きなひとが出来たとか、しばらく地球から離れるとかそういう類いの話かと思えるような居心地の悪さだったのに。
私は脳内のわずかな余白で自分の言葉を整理して、正座したままだった足の上で仕切り直すように背筋を伸ばす。


「あのねえ、それなら私も言うけどね」


一緒に戦う事も姿を変える事も、あなた達の持つ“当たり前”に寄り添えない事への不満をさっきの倍で返してあげようか。宇宙を渡り歩く術もなければ、酸素がないだけで死んでしまうデリケートな身体のアピールを一晩中してみせようか。各所パーツがもげれば容易くくっつかない上に、爆発に巻き込まれれば多分死ぬ。戦うために生まれた種族にとっては何の役にも立てない、刺身のツマにもなれない弱いいきもの。あなた達の仲間の女性戦士に私がどれほど憧れたか、語れば三晩に収まらないほどだ。

それでも隣に居ていいのかと私だって考えた。塩化コバルトじゃなくてミカンの絞り汁だけど、胸には同じような悩みを描いて、あなた達が起こす爆風で何度も浮かび上がるのを見ていた。
だけどね、全く異なる姿でも、同じ気持ちを持ってくれたから私はそれでいいと思えたんだよ。
想ったら想ってくれた。それだけでもう充分だという結論に至った。
あれこれと人間の生態と未来についてその優秀な頭脳を使うんなら、ひとまず先にあなたに恋をしてしまってどうしようもないこの思考回路でも因数分解して下しゃ――下さいよ。


「ちょっと休憩、水分補給。人間はこれだから不便だね」


噛むしどもるし最悪だ。けれど、へどもど言う私の言葉が途切れてもパーセプターは静かに対面したまま待ってくれていた。私はのろのろと鞄から取り出したボトルに口をつけて水を流し込み息をついて、咳払って、また視線の位置を水色の光へ戻す。


「パーセプター。私の事たくさん考えてくれてありがとう。けどね、いま。この歳の私はあなたと一緒に居たいって思ってて、それだから、ええと」


支離滅裂の塊を転がしながら、私は言葉を託すように自分の方を指さした。


「何と言うか……結局なるようにしかならないんだから、後悔しない方の決断をした今の私を未来の私はきっと褒めるよ。言い切れる。だって自分のことだもの」
「それが仮に、君が不幸になるかもしれない道でも?」
「かたちにはめなくていいよ。パーセプターと一緒で私は嬉しい」


なかなか小っ恥ずかしことを吐いている自覚はあれど、迷いのない言葉は真っ直ぐに飛ぶものだ。ふらつかない声に少し逸る気持ちを乗せ、どうせなら笑顔でと思うより早く頬は持ち上がってしまった。


「私らの何もかもが違うせいで幸せが難しくなるなら、不幸になるのに付き合って」


それなら簡単でしょう。世界の枠では不幸と呼ばれるカテゴリに入っていても、手を繋いでくれていたら平気だ。もちろんパーセプターが困るのならば無理にとは言わないけれど、私はそれで充分。
その上でもしも外野が同種族はすべからくその中で発展すべきだと口を揃えるのなら、閉口させる言の葉を育ててお歳暮で出してやる。煎じて飲みやがれ。

まあつまりそう思うくらいには、あなたが好きです。
少しおどけて続ければパーセプターは真顔のまま私をじっと見下ろした。


「ほら。こういう時だ」
「なにが?」
「君を強く抱きしめたいのに出来やしない。全く不完全燃焼だね」
「そのぶん私が抱いてあげますとも。ご自慢の発明品を使ってくれれば」


見上げるのも頭上から降って来る声も嫌いじゃないけど、身体の大きさが近くなるならそっちの方が便利だ。大げさな素振りで手を広げて見せれば少し虚を突かれたようにしながらも、パーセプターは立ち上がり慣れた手順で身体を縮めてくれた。こちらに来てくれるのが待ちきれず、彼の一歩分を早足に埋めようとしたが思いのほか足がしびれていてふらついてしまった。

ぶつかるように正面へ傾いた身体を掬われるように抱き留められる。その腕は少し躊躇いがちに、優しい。


「なまえの言葉は理論も裏付けもなしに、なぜこうも確かな形を成しているのか未だに解明できないよ」
「楽しめて良いじゃない」
「全くだ。知識欲を擽られ過ぎてセンサーが壊れそうだがね」
「パーセプターが浮気しない限り楽しめるよ」
「本当かい。それならば永続的だと思うけど」
「注釈。マイクロチップさんも対象です」

「……それは手厳しい」


名状し難い不安が際限なく膨らむというのは、どの星に生まれ育っても一緒だという事を知った。繊細な思考回路ならばこれから先何度も同じことが起こるかもしれない。
ならば私が傍に居る間は、その風船を割るために暴れてやろう。適切な結論に繋がる推論過程なんて形の整ったものじゃないそそけた言葉を、賢明な頭にねじ込んでショートさせてやろう。

そう心に決めながら、人を感傷的にさせたお返しにとかなり強い力で腕を巻き付ける。彼の身は勿論動じない。いつも通りの冷たさと硬さと、金属の匂い。その何もかもがいとおしい。


「……ところでパーセプター」


そのうち控えめに回される硬い腕を背中に感じて目を閉じると、途端にふっと先程の言葉が頭にはじけた。


「何だね」
「さっきプロポーズがどうとか言った?」
「ああ言ったとも。だけど先にその単語を挙げたのはなまえじゃないか」
「そう……だけど、冗談で流されるかと思っ「不安も払拭されたことだ。然るべきタイミングで伝えるから待っていてくれ」
「……」
「おおよその事は照れずにやってのけるのに何故そんなに赤面するんだい」


離れようとした身体が、強力な磁石のように離れない。ぐいぐいと動かせどもやっぱりびくともしない。
擦り抜ける隙間もないまま じっと間近の顔を見れば、その口角が滑らかな弧を描く。


「パーセプター」
「いや悪いけど暫く離せそうにないんだ。スパークが変に跳ね回っていてね、こうしていないと落ち着かない」


なまえの心臓の音には負けるけれど。そう言ってパーセプターは耳元で笑った。何度聞いても全くうるさい声である。








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