苦手意識


 はらはらと舞い落ちる木の葉を横目に数を増す雲を眺める。随分と涼しくなったもんだな、なんて独りごちて、箒で落ち葉を掻く。
 森が近いということもあってか、枯れ葉の量は多い。石造りの階段を何度も掃くがキリがない。ざっ、と石を掻くのも何度目かも分からない。さわさわと音を立てながら吹く風に枯れ葉を攫われ、はあ、と嘆息した。
 夏からの秋は天気が一変しやすい。今日という一日は清々しいほどの秋晴れとなるようだが、翌日には曇るという予報だ。

 最近の暇潰しとして黒く薄く四角い箱――所謂テレビが点くことを知った彼は、それを見るようになった。天気予報は欠かさず見ることで、終焉の挙動を予測する日々が募る。やることがなくなればドラマなんてものを見て、こんなことが本当にあるものかを何度も考えた。
 終焉はテレビというものに馴染みがないようで、ノーチェに「面白いか?」と問い掛けること数回。結局それを観るということもなく、日常に勤しんでいる。秋の空を見上げて訝しげな顔をすると、足早に事を済ませようとする様子が窺えた。
 天気の変わり目を男は知っているのだろう。ノーチェもまた知識を蓄えてやろうと、じっとテレビを観続けた。雲の流れや大きさ、量や形によって天気が分かるというのは正直に言えば半信半疑だ。
 それでも何かの役に立つだろうと頭の片隅に叩き込む彼は、空を後目に「気を付けないと」と呟く。
 秋には遠くで台風が発生しやすい。その分天気が崩れれば、再び終焉に雷が襲ってきてしまう。

 ――その事を懸念して空を見上げること数回。彼の瞳に映るのは鰯のように群れを成した白い雲の列。鰯雲と呼ばれる現象に、明日の天気は悪いのかも、と口許を歪ませる。
 早々に屋敷を出て買い出しに向かった終焉はこれを見ていたのだろうか。――しかし、ほんのり楽しげに弧を描いた口許を、ノーチェは脳裏に焼き付けている。

『食欲の秋……だな。なるべく美味しいものを作るから』

 そう言って出掛けた男の瞳に映るのは、三日月が浮かぶノーチェの瞳だった。
 終焉は月が好きなのだろうか。ノーチェの瞳を見つめる男の表情はいつまでも柔らかく、張り切る様子はまるで子供のよう。善くも悪くも満月に行動を起こしやすい終焉を、彼は呆れがちに見送っている。
 この瞳の何がいいのかと、彼は何度も鏡を見た。無表情の中に嬉しそうな男の顔が幾度も頭をよぎるほど、月に一度見せる雰囲気は特徴的だった。
 そして同時に、新月の瞳を見つめる顔も、やけに愛しそうなものとなる。
 普段は三日月が浮かんでいる所為だろうか。――いや、三日月が浮かんでいるとしても微笑ましげに見つめる視線はひとつも変わらない。

「…………何か……面白いな……」

 秋の木枯らしがほんのりとノーチェの頬を撫でる。それを切っ掛けに彼は再び箒を握って、枯れ葉をせっせと掻き集めた。
 特に終焉に何かを言われたわけではないが、屋敷の周りが散らかるのはいたたまれない。せっせと集めたそれを、散らばらない間に塵取りへと押し込み、持ち出した袋へ流し入れる。
 天気が悪くなる前の風は暴力的で、終焉が出掛けてから数十分は格闘していたような気がする。ある程度片付いた庭にノーチェは漸く満足して、ふう、と一息吐きながら白い椅子に腰を下ろす。ガゼボの下はやはり綺麗なままで、終焉の手が行き届いていた。

「…………子供みたい……」

 何気なくそう呟いたノーチェの言葉を肯定するよう、再び風が彼の頬を撫でた。ほんの少し冷たさを増した秋の風は、十分に健康と呼べる状態ではない彼にとっては冷たいもの。小さく腕を擦って、屋敷の中で終焉の帰りを待とうかと思い、ノーチェはぐっと腰を上げる。

「――ん……?」

 すると、何気なく視線を落とした先に何かが蠢いたような気がした。
 夏が過ぎて冬へ向かおうとする秋の暦だ。今まで見掛けなかった虫達がいても可笑しくはない。特にここら一帯に鈴虫やコオロギがいるようで、夜になれば一斉に秋の音楽祭が開かれる。
 鈴のような音と共に夜を満喫するにはもってこいの季節だ。それに加えて月を見上げるとすれば、感慨深いものにはなるだろう。
 虫に対して辟易している様子のないノーチェは、その影をじっと見つめることにした。動けば跳び跳ねる筈のそれが、未だ生い茂る草に身を潜めている。昼間である所為か、一言も鳴くこともなく、屋敷の壁の方へと向かっている影に彼は「あ、」と言葉を洩らす。
 汚れひとつない屋敷の壁に登られるのは嫌だった。
 咄嗟に草を掻き分けて、ノーチェは先程の面影を探す。どうせ潜むなら庭の方が広いだろう、という何気ない考えからだ。服が汚れないよう土を避け、草を抜かないよう丁寧に掻き分けて探す。
 そして、その姿を漸く見付けたノーチェは、ピタリと動きを止めた。
 彼は虫に対して何か特別な感情があるわけではない――

「――ひ……ッ!」

 ――そう、蠢くアイツ以外には。

◇◆◇

 芋が安い。紫色の皮を持つさつまいもが安い。
 店の中で食材を眺めること数分。芳ばしい香りに惹かれて歩いた先に、それはあった。
 秋といえば定番の、紫色の皮を持つさつまいもが格段に安くなっている。今年も豊作、甘さが際立つそれを皮ごと焼いて、焼きいもにした状態のさつまいもが随分と安くなっていた。
 終焉が作る予定の夕飯に加えて、練習するために買った月見団子の材料が手持ちのカゴに敷き詰められている。それに加えて焼きいもを買うか買わないか――終焉はたった一人で悩んでいた。

 男が悩む要因であるのは勿論ノーチェだ。彼は食欲こそは増してきたようだが、やはり残すこともある。あまりに量が多ければ申し訳なさそうに終焉を見つめた後、料理と交互に視線を投げるのだ。
 終焉はそれに「残してもいいぞ」と言えば、ノーチェはバツが悪そうな表情を小さく浮かべたかと思えば、食器を下ろす。「……ご馳走さま」と蚊の鳴くような声で呟きを洩らし、終焉の言動を窺うのだ。
 何をそんなに気にすることがあるのか男には分からないが、彼なりの申し訳なさを痛感しているのだろう。
 「お粗末様」と応えればそっと残した料理を終焉に差し出すものだから、男も男で対応に多少困ってしまう。

 そんな彼に焼きいもを買ったところで口にしてくれるのかは分からない。秋の味覚、といわれるものではあるが、終焉さえも特別好いているわけではない。――しかし、料理の幅はほんのり広がってしまうのだ。
 終焉は「むぅ」と唸った後、一度考えるような素振りを見せる。買ってみようか、買わないでみようか――。人混みがちらほらと数を増していく中、男は一人悩んでいた――。

「買え。そして、寄越せ」
「耳障りな声を撒き散らすな」

 突如背後から掛けられる声に、終焉は反射的に答えてしまう。
 黒い髪が揺らめく隣際、燃えるような赤い髪がふらりと躍り出た。金の瞳が終焉を厄介そうにちらりと横目で見やる。対する終焉もまた、睨む――わけでもなく、極力それをいないものとして扱った。
 そんな澄ました姿が彼、ヴェルダリアの神経を逆撫でする。「人さえいなけりゃぶっ殺してやったのによぉ」と挑発的に言葉を発するが、終焉は何も答えずさつまいもを手に取った。
 秋の味覚を使った甘いものを作ろうか。
 じいっと見つめる芋には何か細工などが仕掛けられているわけではないが、それを使った料理、というものが何ひとつ思い浮かばない。どれもこれもノーチェではなく、終焉が口にするようなものばかり思い付いてしまって、男は遂に溜め息を吐いた。
 秋を思わせるとすればスイートポテトやモンブランだろうか。普通の夕食に出せるようなものが上手く思い描けない終焉としては、その甘味を口にしてもらわなければ酷く困るもの。男にとって彼の感想は、感情を呼び起こさせるひとつの手段なのだ。

「化け物様は暢気だなぁ、おい」

 ――そう考えを繰り返す終焉を差し置いて、ヴェルダリアは安売りしているさつまいもを五個手に取った。ごろごろとした芋を抱えるその顔はあまりにも不服そうで、今にでも辺りを燃やし尽くすほどの苛立ちを感じてしまう。
 その様子を見かねた終焉は「ほう」と漸く視界に彼を映すと、「焼くのか」なんて分かりきったように呟いた。

 終焉は知っている。自分が誰よりも嫌っているヴェルダリアという人間が、炎を得意としていることを。それを踏まえて芋を買いに来た様子を見て、教会≠フ人間達はヴェルダリアを都合のいいように扱うつもりなのだろう。
 秋口に入って木の葉が辺りを舞うようになった。並木道が僅かに存在するルフランの地面には、ほんのり黄色がかった木の葉が山を成している。これを使って、焼きいもでもしようという魂胆なのだろう。
 そして、うってつけなのがヴェルダリアなのだ。
 炎を扱えるならいくらでも燃やすことができるということ。彼の炎を使って焼きいもを堪能する気楽な一面を持っているのだ。

 それを裏付けるよう、終焉の言葉にヴェルダリアは睨みを利かせる。「別に関係ねぇだろ」と呟いて、五個の芋を持ってさっさと歩いていってしまった。
 自分の予定も狂わされて納得がいかないのだろう。ヴェルダリアは眉間にシワを寄せたまま支払いを終えると、終焉に見向きもせずに店の外へと向かった。ふて腐れたような表情が周りの目を惹いているのか、すれ違う住人は彼の顔を見るとそそくさと離れるのが見えた。
 教会£Bもなかなか粋なことをするものだな、なんて男は考える。
 雲が疎らに浮かび続ける青い空。夜には雨が降るのだろうか――なんてことを考えながら、終焉はさつまいもを二つ手に取る。手のひらに伝う身が詰まった感覚に、男は満足そうに息を吐いた。

 悪くはない。今日の三時にはこいつを使おう――。

 そう心に決めながら、終焉は支払いを済ませるために再び歩いた。

◇◆◇

「…………む」

 買い物を終えた終焉が屋敷に戻った矢先、開口一番に発したのは驚きの――ような――呟きだった。
 空は未だに青いが、量を増す白い雲に僅かながらも不安を募らせていた帰宅道。道中枯れ葉が目の前を落ちてきて秋の風景を楽しんだが、屋敷に着いた頃にはそんな感情も忘れてしまった。
 男の眼前に広がる光景は酷いものだった。集めていたのであろう枯れ葉が入った袋は倒れ、無惨にも辺りへばらまかれたように散らばっている。ガゼボの下にあった筈の白い椅子が扉の前に転がっていて、堪らずちらりと庭を覗けば、転がった庭箒にテーブルが視界に映った。

 ――何かがあったのだろうか。

 澄ました小綺麗な顔がほんの一瞬、小さく歪んだ気がした。
 しかし、すぐにでも何も感じることのない無表情は変わると、軽く首を横に振って荷物を持ったまま扉へと向かう。枯れきってはいないが水気を失った木の葉を踏み締め、扉を開けると――静寂が広がっていた。
 扉を閉めながら靴を脱ぎ、その足でキッチンへ。普段ならすぐに駆け寄ってくる筈のノーチェが見受けられないのを視野に入れながら、キッチンの机へと荷物を置いた。
 ばさりと音を立てて置かれた袋から、さつまいもが二つ溢れ落ちる。それすらも気にせずに、何かを追うようにぐるりと辺りを見渡した。
 エントランスには靴はなかったが、足跡がないわけではない。男は軽い足取りで再びエントランスへと赴くと、静かな瞳でじぃっと床を見つめる。ほんの少し型崩れした赤黒い絨毯、微かに付いた土の汚れに小首を傾げながら、終焉は気配を追った。

 終焉にとってノーチェの気配はまるで犬のようだ。大きな塊が付かず離れず――たまに何気なく傍に近寄って来たりもする――の距離を保ち、じっと命令を待つ白い犬だ。
 それが多少――いや、かなり気に食わないものの、可愛らしいとも思っているのもまた事実。どうにも分かりやすい彼の気配は――何故か終焉の部屋にあった。

「…………」

 自室だから、という理由でノックもせず、終焉は部屋の扉を開ける。きぃ、と音を立てたとき、視界の端に映り込む謎の塊が小さく震えた気がした。部屋は暗闇を徹底して保ち、終焉にとって最適な空間として存在している。机の上はあらかた片付いていて、落として割って以来花瓶を置くことはなくなった。
 また落として割ってしまったらノーチェが同じように指を傷付けてしまうだろう。――そんな懸念から割れ物を近くに置いておくのは気が引けたのだ。
 ――問題は部屋の壁際に置かれている寝具だ。
 終焉は慣れた足取りで布団を頭からかぶっているそれに近寄る。頭だと思うそれに手を載せて、「何をしているんだ」と呟けば、布をかぶった塊が「うっ、」と声を上げた。
 しゃくり声だ。

「何があったんだ。外が荒れているんだが」

 ぽすぽすと軽く頭を叩きながら終焉は膝を折る。なるべく目線を合わせてやろう、という意志が見て取れる行動だ。それでノーチェが顔を出すとは思えないのだが、男はやめることはなかった。

 秋に入ったばかりだというのに外は夏の面影を忘れている。青々と繁っていた筈の木々は赤へ移り変わるよう、点々と黄色に染まっていた。秋の空は夏とは違って小さな塊の雲が多く、それがひとつの塊へと変わっていくのが分かる。
 そして、虫達の騒がしい鳴き声が、気が付けば音楽を奏でるようになった。リリリ、と鈴のような声色で鳴いている虫達の合唱を聴くと、夜の居心地が格段に良くなるような気がするのは、気のせいだろうか。見掛けていた虫が消えて、見掛けていなかった虫が顔を出すのを認識すると、季節の移ろいを実感する。
 四季とは面白いものだと終焉は認識していた。空も、景色も、何度体験してもまるで飽きが来ないのだ。
 特に秋は。秋は――灼熱を乗り越え、涼しくなった影響で、様々な変化を感じることが多い。食べ物は勿論――景色も、外の住人も。

「…………いたのか?」

 ――ノーチェを宥めながら何気なく終焉がそう呟けば、彼が小さく動いた。ゆっくり、ゆっくりと男の顔を見るように振り返る。頭からかぶった布団から覗く顔に、血の気はなかった。

 長い体と沢山の足を持つ虫がいたのだ。頭には赤みがあり、十センチは優に越えているであろう体に、十は越えている足が地面や壁を這っている。一見本当に百の足を持つのではないかと思われるムカデが、そこにはいたのだ。
 基本的にこちらから何かをしなければ特別害はない筈なのだが、――彼はその姿にすら怯えてしまう節がある。終焉自身はその理由を教えてもらってはいないが、苦手ならば極力近付けないようにする意識があった。

「――…………うぅ……」

 流石に逃げ惑う気力も残されていなかったのだろう。首輪に残る鎖の残骸を揺らしながら、ノーチェは終焉の服に手を伸ばした。そのまま黒いコートを握り締め、終焉の胸元へと顔を寄せる。驚いた拍子に流したであろう涙の跡が頬に残っていて、ふぅ、と男は溜め息を吐いた。

 気を付けていた筈なのに、怖い思いをさせてしまった――。

 そう自責の念を募らせる終焉は、体を預けてきたノーチェの頭を手袋越しに撫でてやる。髪の感覚が伝わるわけではないが、それでも宥めるには最適だろう。布越しの彼の体は小さく震えていて、終焉は困ったように眉を小さく寄せた。
 ノーチェのムカデ嫌いが特別気になるのではない。それを見付けてしまった彼のために、一体どう対処すべきなのかをひたすらに考えている。
 終焉は彼を除く人間がそれとなく苦手だが、動植物に嫌悪感を抱いているわけではないのだ。駆除をする対象にはしたくない、というのが男の本心だ。
 ともなれば森へ追いやるというのが二人にとっても、虫達にとってもいい話となるだろう。
 問題は、どうやって彼らを逃がすか、というところに落ち着いてしまう。手で一匹ずつ森へ放とうにも、数があればキリがない。手が汚れることは構わないのだが、それに触れた後、ノーチェが終焉を避ける可能性があるのかもしれない――。

「……まあいい、仕方がない」
「う、」

 寄り掛かっていた彼をゆっくりと引き離し、終焉は決意したかのように立ち上がる――

「…………ん?」

 ――と、離した筈のノーチェが、終焉の背にぴたりとついてくる。ばさ、と音を立てて落ちた布団にも見向きもせず、彼はしがみつくようにその背に身を寄せていた。
 認識した途端、男の動きが一度だけ止まる。口許が微かに緩むのを抑えるよう、口許に手を当ててから深呼吸をひとつ。ほぅ、と息を吐き自室から出るために足を踏み出すと、体の重さが増して足に負担を与えるのが分かる。
 少しも離れないつもりなのだろうか――部屋を出てもぴったりとついてくるノーチェに、終焉は「何だ」と呟いた。
 今から外に向かうのだが。そう呟くと、ノーチェの体が一瞬でも強張ったような気がして、終焉は彼に意識を向ける。彼は俯きがちで表情は見えなかった。――しかし、ついてくる気ではいるようで、コートを握る手にはぐっと力が込められているのが分かる。
 どういう理由で自分の元に寄り添うのか分からない終焉は、遂に「嫌なら部屋にいても構わないよ」と歩きながら呟いた。

「というか、何故私の部屋にいたんだ? 距離を取るなら二階が最適だろうに」

 ノーチェの体を引き摺るように歩きながら、先程からの疑問を問い掛ける。
 彼に与えた部屋は二階にある。苦手としている生き物が現れたのなら、少しでも遠く、身を隠すために自室へと戻るのが一般的だろう。
 だが、ノーチェは何を思ったのか、終焉の部屋に駆け込んで丸くなっていた。靴を脱ぐのも忘れ、一目散に布団をかぶって、小さく小さく震えていたのだ。
 その理由を聞き出すべく男はノーチェに問い掛けると――彼は「……えっ、と」と口を溢して、視線を小さく泳がせる。

「アンタの……アンタの部屋が、一番……安全に思えたっていうか……」

 ――そう呟いた後、ノーチェは続きを言うこともなく口を閉ざした。
 しかし、その言葉だけでも終焉は満足げに――とは思えないほどの抑揚のない声色で――「そうか」と言う。それは良かった。そう呟いて、慣れた足取りで愛用の靴を履き、扉を開ける。
 空は相変わらず白い雲が多かった。終焉の陰からそっと外を覗くノーチェの体は、相変わらず強張ったまま。ちらりと夜の瞳を壁際に向けた後、更に体を小さくしながら終焉の背中に隠れる。
 無理をしなくてもいいのに。
 なんて思いながらも口にしないのは、終焉自身のエゴだろうか。

「――呑み込もうか」
「……え?」

 全く、人間らしい。
 そう心中で呟きながら、終焉は自身の手を振り上げる。――すると、屋敷の周りを囲う庭の地面から黒い影のようなものが大きく口を開いた。
 終焉の陰から外を覗き見ていたノーチェは、眼前の景色につい間抜けな表情をする。口を開いたままそれを目で追って、その形をどうにか認識しようとした。

 形容しがたいほど黒一色に彩られたそれは、何とか言葉にするなら「影」よりも「闇」が相応しいように思う。一筋の光をも通さない漆黒は、天に向かって口のようなものを大きく開いていた。
 獣の形をしているのか、爬虫類なのか、別のものなのか――皆目見当もつかない。ただそれが、地面もろともを包み込む勢いで大地を呑み込んだように見えた。
 大地を喰らったのだ。

「――な……に……?」

 揺らめくわけでもなく、立体的に現れた黒いそれは、終焉が手を下ろすと同時に大地へと戻った。正体はやはり影そのもので――まるで水面のように波打つ影に、ノーチェは目を丸くする。
 今まで見掛けていたのはあの影だったのかと、脳が不思議と理解した。
 黒が呑み込んだ筈の大地は先程まで見ていた景色そのもの。何かがなくなった形跡などある筈もなく、今まで通りの綺麗な庭が存在しているだけ。確かにそこに何かがいたというように、はらはらと舞う木の葉に目を奪われていると、終焉が手を握り締める。
 何かを掴んで逃がさないような素振りに、彼は終焉の背中からちらりと顔を覗かせた。
 何をするのだろう――そう疑問に思うノーチェを他所に、終焉は握り締めた拳を横へ振るう。まるで森へ何かを投げ捨てるような仕草だ。実際には何かを持っているわけではないが、男は確かに森へ何かを放ったのだ。
 それを頷けるよう、森から一斉に鳥が飛び立った。
 どこにあの数がいたのか。木々から飛び立った鳥の数は優に二桁へと到達していただろう。かろうじて青空が見える空に、黒い鳥の影が幾羽も姿を現した。鳥の鳴き声とは程遠い――ギャアギャアと叫びにも似た声が屋敷にまで届く。
 その光景を、ノーチェは茫然としながら見つめていた。

「……もういないか」

 ぽつりと呟いた終焉は、先程と同じように手を下ろす。辺りを見渡して、相変わらず木の葉が散らばっている庭を見て、「片付けないとな」と溜め息を吐いた。ノーチェはぽかんと口を開けたまま鳥の収まりを見送って、終焉が離れたことには気が付かない。
 茫然としているノーチェを他所に、終焉は倒れている箒を手に取って地面を掻くように掃く。ざりざり――と、数回木の葉をかき集めたところで、彼がハッとして終焉の元へ駆け寄った。

「あ、あの」
「……安心するといい。あの子達は森へ放っておいたから」

 ノーチェが怯えるような様子で男の元へ駆け寄るものだから、終焉は彼を安心させるように言葉を紡ぐ。その間にも箒で地面を掃いていて、彼は咄嗟に奪い取るよう箒を手に取った。

「これは、俺の仕事なの……」

 だからアンタがやるのは駄目。
 そう言ってノーチェは終焉から箒をもらい、せっせと木の葉をかき集める。――だが、一度根付いた恐怖は拭えないのだろう。時折何かが動くのを視界の端に入れては体を強張らせ、小さく唸り声を上げる。「うぅ」と情けない声が溢れていた。
 強情だな、なんて心中で呟きを洩らしながら、終焉はノーチェの挙動を見守る。何度も不審になる動きにほんの少し焦りを覚えるものの、懸命に庭の掃除をしていた。
 庭の奥の方にある倒した家具を建て直し、位置を整える。ふう、と一息吐いて、足早に終焉の元へ駆け戻ってくるのだから、余程嫌だと思っていたのだろう。
 終焉は傍に寄ってきたノーチェの頭を撫でてやって、「よくできたな」と褒めてやる。風で集めた木の葉が舞い上がらないうちに塵取りを持ってきて、二人で葉っぱを回収した。

 特に何をするわけでもない。集めた木の葉は処分するに限る。もしくは森に捨てて土の肥料にするか、燃やすか――。

「…………ノーチェ」
「……ん……?」

 小さく唇を開いた男の脳裏によぎるのは、店で見掛けてしまったヴェルダリアの姿。彼は両手にさつまいもを抱え、不機嫌そうに歩いていったのだ。教会≠ヘ暢気に焼きいもを堪能する余裕さえあるのだろう――。
 そう思うと、終焉はゆっくりと彼に問い掛けた。

「焼きいもとスイートポテト、貴方はどちらがいい?」

 選択肢をノーチェに委ねた理由は特にない。ただ、終焉は彼のために動くのが好きなのだ。
 ――しかし、彼の回答は決まってひとつ。

「アンタの好きな方でいい」

 ――秋の色に染まりつつある世界。
 彼への褒美と言わんばかりに用意されたスイートポテトは、ほんのりと甘く、温かかった。


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