屋敷中に鳴り響く銃声


 目の前に飛び込んできた光景に、ノーチェは目を見開く他なかった。
 昼間だというのにやけに薄暗い部屋。窓から差し込む日の光を遮断するように厚手のカーテンが風にも揺れず、しんと静まり返っている。寝具の上の布団は丁寧に畳まれていた筈が、乱暴に扱われたかのように捲れては端が寝具からずり落ちている。微かな傾きも許されなかった部屋の絨毯は踏み崩されたかのようにぐしゃぐしゃに歪んでいて、綺麗さは見る影もない。本棚に綺麗に並べられた本は今は床に散らばって、整っていた机は引き出しが出ては無惨にも荒らされていた。
 一度足を踏み入れた筈のその部屋が彼にとってやけに馴染みのない――初めての場所に思えてしまった。荒れた部屋の全貌は見て分かるほど、初めて見たものとは異なっている。薄暗さは変わりのないものに思えたのは、現状が異なっているからだろうか――。
 ノーチェはその光景に足はおろか手指のひとつも動かすことができずにいた。何せ目の前に映るそれが現実のものだと認識したくなかったのだ。
 幾度となく見てきた筈のものではあるが、唐突に目の前に現れるようなものかと言われれば、恐らくそうではないだろう。見せる意志がなければ見る機会もない筈のものだ。――そして、鼻につく独特な錆びた鉄のような香りも、少しまでは遠い存在の筈だった。
 放心するノーチェを他所に、それを呼び起こす原因となったもの達が「こんなところに居たのか」と酷く冷めた口調で言った。暫く見ることはないだろうと思っていたその存在が目の前に現れたことに彼は確かに戸惑いを覚えたが――、それを凌駕するものがノーチェの目の前にはあった。
 正確には座っていたという方が正しいだろうか。部屋にあった椅子に深く腰掛け、腹部でゆったりと両手を組んでいる。部屋に居るというのに溶け込むような黒い服は恐ろしいほど目立たず、目を凝らさなければその姿を捉えることはなかっただろう。
 それでも彼は難なく姿を捉えることができた。何故ならそれをつい先日まで目にしていたからだ。服装こそまた別のものだったが、着る本人が変わらなければ印象も変わることはない。
 ただ、異なる箇所を上げるとすれば、力なく項垂れたままの頭だろうか――。生気を感じさせないほど項垂れたその様子は誰がどう見ても明白だ。長く黒い髪が垂れたまま毛先も動かない。人形にでもなってしまったように微動だにしないそれは、最早生き物と呼ぶには相応しくなかった。
 酷く青白い肌、閉ざされた瞳、こめかみから垂れるそれが頬へ伝う。

 誰がどう見てもそれ――終焉の者≠ヘ死んでいたのだ。

◇◆◇

 ――時刻を遡って午前八時。それよりも早く目を覚ます終焉の本格的な朝は八時頃を目処に始まる。
 特別朝に弱い終焉は時間をかけてゆっくりと意識の覚醒を待った。その後に身支度を調えるために洗面所へ向かい、顔を洗って目を覚ます。長く垂れる黒髪も初めこそは重いと思っていたが、慣れた今に至ってはその重さがなければ自分だと思うことはできない。
 柔らかなタオルで顔を拭いた後、視界に映り込む赤い色のメッシュを払い、終焉は部屋へ向かった。脱いで椅子の背凭れにかけていたままの服を手に取り、気休め程度に霧吹きで香りをつける。シュッと何度か音を鳴らして、漸く落ち着いた頃にその服の袖に腕を通した。
 カーテンから溢れる日の光は徐々に強さを増しているようだった。
 終焉はそれを、ゴミを見るような目で一瞥してから、自室を後にする。鳴らす音は最小限に留め、靴の履いていない足で一直線にキッチンへと向かう。道中客間で真夜中にノーチェに差し出したマグカップを回収し、それをシンクへと置き去りにする。
 慣れた手つきでまとめるには難しそうな髪を束ね、エプロンを着るとふう、と吐息を吐きながら腕を捲った。冷蔵庫を開けてじっと中身を眺める終焉は口許に手を添える。「……朝食は食えるんだろうか」と独り言を洩らして眉を顰めた。
 卵とベーコンをひとつ。冷蔵庫から取り出すと戸を閉める。パタンと音を立てて閉じたそれに目もくれず、棚からフライパンを取り出してコンロへと置いた。
 悩ましげに眉を寄せたままチチチ、と音を立ててフライパンの表面を温める。途中で少量の油を引き、表面へくまなく伸ばしてやると、パチパチと音を立てて油が跳ねる。ところどころ油が行き届いていない箇所はベーコンの油で補えるので気には留めない。
 終焉は片手でフライパンをもてあそびながら卵をシンクの角で小突く。力加減を考えコン、と鳴らす。すると、ヒビが入り、終焉は片手で器用にフライパンの上へと中身を落とす。
 熱したフライパンの上に落とされた冷蔵庫で冷やされた卵は、大きな音を立てて半透明だった白身を濁らせる。パチパチと耳に届く音はどこか心地好く、鼻を擽る香りは胸を落ち着かせる。その合間に終焉は塩とコショウを適宜振りかけ、水を卵の周りへ撒いて、蒸気を閉じ込めるように蓋をする。
 蒸すのにかける時間は数秒から一分に至るまでの間でいい――。終焉は閉じていた蓋を開けると、閉じ込められていた蒸気が顔面へとかかる。それにほんの僅かに顔を顰めるが、傍に用意していたベーコンを卵の隣で焼き始める。
 こちらもまた大きな音を立てて身を引き締め始めた。卵と違うのは焼き上げている最中の香りだろうか――肉の焼ける香りは甘いものが好きだという終焉の腹を揺さぶった。芳ばしい香りが男の意識を誘惑してくる。程好く焼けていくそれを裏返してやると、軽くついた焦げ目がいやに魅力的だった。
 終焉は一度そのフライパンの蓋を閉じる。軽く天を仰ぎ、数回呼吸を繰り返すと火を止めて戸棚から皿を一枚取り出した。真っ白で汚れのないその上に蓋を退けたフライパンを近付けて、ヘラで形を崩さないよう丁寧に皿へと盛り付ける。半熟とも固焼きとも言い難い目玉焼きの隣に、食べやすいように切り分けたベーコンを添えてやって、再び冷蔵庫の蓋を開ける。小振りのレタスを手に、軽く切り分けて悩ましく首を傾げる。
 切り分けたレタスを水ですすぎ、よく水気を飛ばしてからベーコンの下へと盛り付けた。程好く見られるほどになったであろう見た目に、終焉は軽く満足して次の工程へ移る。
 取り出したのは一切れの食パン。それをトースターで焼き始める。焼き上がるのに必要な時間は多くはない。できることといえば道具が転がるシンクの後片付けくらいのものだろう。
 それを手早く終わらせてしまうと、終焉は再び冷蔵庫を開けてパックをひとつ取り出した。戸棚から取り出したのは二つのコップで、終焉はひとつにミルクを注ぐ。一思いにそれを一気に喉に流し込み、はあ、と息を吐いて口許を拭った。
 トースターからはパンが焼ける香りが漂う。男はコップをシンクへ、ミルクをテーブルへ置き去りにバターを取り出すと、程好く焼けたパンの表面へ馴染ませるように塗り上げる。バターナイフの先を焼けたパンが引っ掛かる感覚は、特別不快なものではなかった。
 芳ばしい香りにバターの柔らかな香りが仄かにキッチンへと漂う。男はそれを終えると、トレーを用意して、作り上げていた料理をそれぞれ手慣れた様子で置いていった。半透明のラップを用いて埃が入らないようにそれぞれ蓋をして、トレーごと軽々と片手で持ち上げる。
 キッチンを後にした終焉は煌々と日が差し込んでくる屋敷の中を歩き、二階へ繋がる階段を踏み締めていく。上がりきった先にあるのはいくつかの扉。その中から端から二つ目の扉へ向かって、控えめなノックを鳴らした。
 コンコンと小さく木が鳴るが、部屋からは物音ひとつ返ってこない。
 ――ほう、と吐息をひとつ。終焉は諦めてその扉をゆっくりと開けると、薄暗い部屋の中で塊が動いたような気がした。

「入るぞ」

 なんて言葉を部屋の主に届くか届かないかの声量で呟く。足を踏み入れたその部屋の中は男の自室よりは遥かに明るく、清々しささえ感じられるほどだ。靴を履かないお陰で足音は立たず、終焉は寝具の上で寝転がる彼を見やる。
 ノーチェは体を丸めて小さな寝息を立てている。頭の下にあった筈の枕を抱き抱える様子は子供らしいの一言に尽きる。真夜中で目を覚まし、泣かれたときは流石の終焉も戸惑いを覚えたが――何の問題もなかったようだ。終焉は安堵してほっと胸を撫で下ろすと、近くの机に朝食を置いた。
 本来なら出来立てを口にしてほしいものだが、何せ昨夜の事が頭に残るばかり。終焉は起こそうかと思っていたが、心地よさげに眠りに就くノーチェを起こすわけにはいかない、と小さく笑みを溢す。
 「無駄にならないといいんだが」そう言って男は朝食の真上で指を軽く踊らせると、トレイを小突いた。「こんな感じか……?」と言いたげに首を傾げ、朝食を眺める様子はまさに人間そのもの。一度悩んだ素振りを見せると、長居はしていられないとノーチェの部屋を後にする。
 やることは沢山あった。慣れた足で階段を下りて客間へ行き、大きな窓からじっと外を眺める。空はいくらか白い雲が多いが、太陽は昨夜まで降り続いていた雨の残りをキラキラと輝かせている。朝露――とはまた違った、紫陽花の葉に乗る雨粒に、終焉は片眉を上げる。
 雨が降る気配は今はない。しかし、時季が時季だ。いつ雨が降ってきても可笑しくはないだろう。
 晴れ間が見られるのは午前中だけだと終焉は決めつけ、長い髪をほどきながら踵を返す。向かう先は脱衣室。風呂に向かう先で置かれた洗濯機に軽く溜まった洗濯物を投げ入れ、洗剤を加えて回し始める。ほんの少しの節約を兼ねて使う水は、先日使用した風呂の残り湯だ。今ではもうすっかり身に染み付いた一連の行動に、「昔は迷ったものだな」と思いを馳せながら微かに口角を上げる。
 あくまで自分の身の回りには無頓着だった終焉が毎朝忙しなく動いていられるのは、勿論引き取った――正確には奪った――ノーチェの存在が大きいのだろう。彼が屋敷に居るというだけで終焉の心は躍り、胸の奥が僅かに温まるような感覚に陥る。それでも気分は悪くないのだから感情というものは不思議で仕方がない。
 洗濯機を回している間、男は自室へ戻り後回しにしていた片付けを始める。起きてからそのままにしていた布団を持ち上げて畳み、シーツを伸ばして寝具を整える。机の上に置き去りにしていた本を本棚に戻し、斜めになっているそれを丁寧に立て掛ける。
 起床してノーチェの朝食を作ってから既に一時間が経過していた。終焉は部屋の片付けを終えると、自分は何も口にしていないことを思い出して徐に腹に手を添える。くぅ、と鳴ったわけではないが、僅かな空腹を感じているような気がした。
 そうして向かうのは紛れもなくキッチンだった。リビングを越えてその向こうにある扉を開く。整頓された道具達を横目に入れながら戸棚に手を伸ばし、寄せ集めている焼き菓子を手に取る。それは手のひらサイズの、一口で食べるには多少大きめのクッキーだ。
 終焉はそれを手に取ると口へ運び、柔らかく綻ぶそれを噛み砕く。サクサクと軽い触感、仄かに舌に広がる甘さは癖になるほどで、一度指先を舐めるともう一枚を手に取った。
 甘いものは好きだが、クッキーのように甘すぎずしつこすぎない味も男は好きだった。気が付けば残り数枚になってしまったクッキーを眺め、「皮肉なものだな」と悲しげに一言。いたく気に入ってしまったようで、「また買いに行こう」と呟くその顔は固い決心が宿る。
 ――不意に無機質な機械音が鳴り響いた。洗濯機が回り終わったのだ。
 終焉は足早に部屋へ向かい、洗濯機から洗い立ての洗濯物をカゴに詰めていく。機械というものはやけに便利で、小さなポケットに柔軟剤を入れておくと、必要な時間になった頃に柔軟剤を混ぜてくれるのだ。取り出した洗濯物からは確かに柔軟剤の香りが漂って、「悪くない」と一言洩らす。
 洗濯物を携えた終焉が向かうのはエントランスの向こう、然り気無く置かれた物干し竿にハンガーなどを使って洗濯物を丁寧に干していく。タオルの類いはノーチェの肌を傷めないように何度も振るって、繊維を立たせてやってから物干し竿に掛けた。
 雲の隙間から覗く太陽はしっかりと洗濯物を照らしていて、運が良ければその日のうちに乾くのではないかと思わせてくるほど。――しかし今は湿気の多い時季だ。乾くのには時間がかかってしまうことも視野に入れておかなければならない。
 それでも苦ではないと思ってしまうのは、やはりノーチェという存在があるからだろうか――。
 あまりにも単純な思考を持つ自分自身に終焉は苦笑を洩らし、屋敷の中へと戻る。カゴを元の位置へ置き、十時をとうに過ぎている時計を見上げて頭を悩ませる。
 やることがなくなってしまったのだ。普段なら何食わぬ顔で街の中を目的もなく歩き回るものの、今となっては匿う存在がいるからこそ表立って街を徘徊するわけにはいかない。過去とは状況が異なるのだ。

 今まで避けていた筈の教会≠ニの接触――それが一番厄介だろう。その上外から来た商人≠ヘ奴隷として捕らえていたノーチェを取り返すために街に潜んでいる。以前出会した商人≠フ男と教会≠フヴェルダリアが何やら事情を知っているような素振りを見せたことも厄介だ。
 奇しくも彼らの目的はひとつに集まっている。教会≠ヘ終焉を、商人≠ヘノーチェを狙っているのだ。終焉が思うに彼らは一時的に手を組んでいるに違いない。教会≠ェ終焉を捕らえている間に商人≠ェノーチェを奪い返し、そのまま街を出る考えでも練っていることだろう。
 終焉としてもそれだけは避けたかった。
 自分は何をされたとしても動じないとは思うが、ノーチェは無力化されていると言っても過言ではない。ただでルフランを出られるとは思っていないのだが――手離してしまえば終焉はいつノーチェと出会えるかも分からなくなってしまうのだ。
 何としてもそれだけは避けていたかった。理由は簡単――終焉はあくまでノーチェの手で殺されたがっているからだ。
 ノーチェ自身は無理だと言って何度も首を横に振るが、彼は一度も「そうしてやろう」という気持ちを持ったことがない。ただ言われるがままに奴隷としてこなしてきた彼にとって、人を殺めるということにただならぬ抵抗があるのだろう。
 そうでなければ彼が――ノーチェが奴隷などというものに縛り付けられるなど、有り得ない話なのだ。

「――私がこうしているのも、彼が奴隷であるのも……彼が、人を殺せないのも、私の所為なんだろうな……」

 ほう、と愁いを帯びた溜め息を吐き、終焉は部屋に戻る。立て掛けていたコートに袖を通し、逆十字の留め具を付けて部屋を出る。
 ――ふと見上げた階段の上は朝と変わることもなく、いくつかの扉が並んでいるだけ。ノーチェが部屋から出てくるような兆しは見られず、未だ眠っているのだろう。
 人間である以上夜が不安なときもある。
 終焉は軽く目を落とし、街へ買い物に行こうと扉に手をかける。
 ノーチェ一人を置いて外に出るのは何度かあったが、どれも不安で仕方がなかった。心身共に弱っている彼の元へ誰かが――それこそヴェルダリアのような挑発的で心を抉ってくるような男が――来ないとも言い切れない。その事態に直面したとき、彼がどうなってしまうのか、表情にこそ出さないが恐ろしくて堪らなかった。
 その上昨夜の出来事が気掛かりだ。なるべく傍に居てやるのがいいのだろう――。
 そうと決まれば寄り道もせず、必要なものを必要なだけ買って帰ってくる計画を立てた。屋敷を留守にする時間は数十分程度。その数十分の間にノーチェに何かが起こるのではないかと気が気でないが――いつまでも留まってしまっていてはいけないだろう。
 ノーチェの健康に気を遣うのも終焉の仕事だ。
 ――そう気持ちを落ち着かせて終焉は屋敷の扉を開いた。青い空に広がる雲の厚みが増しているように見えるのは錯覚でもないだろう。早いこと事を済ませなければ洗濯物が雨に晒されてしまうかもしれない――。
 そう思う矢先に終焉は徐に口許に手を添えて、「ふむ」と呟きを洩らし、踵を返す。長い髪をひとつの尾のように揺らし、向かった先はいやに薄暗い終焉の自室。扉を開けて、流れるように椅子に腰かけて、椅子ごと扉へと向き直ってやる。

「――随分と優秀だな、外の人間は」

 頬杖を突いて語りかけたその先にいるのは、くすんだ深い緑色のローブを羽織った三人の男達だった。
 見たところ終焉はそれらに見覚えはない。恐らくまた別の同業者――商人≠ェ屋敷を突き止めたのだろう。それぞれ懐から拳銃を取り出し、銃口を終焉へと向けている。そのうちの一人が「貴様が攫った奴隷はどこに居る?」と口を開いた。
 それに対して終焉は呆れるようにふう、と溜め息を吐く。

「何故私がそれに答えなければいけない? 捜し物なら自分の目で見つければいいだけのことだろう」

 男はあくまで正論を述べたつもりだ。何せ自分が大事にしておきたくて商人≠ゥら奪ったものを、自ら居場所を明かすような愚か者ではないからだ。
 目の前の男達は終焉の動揺の無さに、多少の驚きを覚える。彼らが終焉に向けているのは玩具でも何でもない、本物の拳銃だからだ。生きている以上、自分の生を脅かすその存在を向けられたら動揺は隠せない筈だが、終焉はまるで興味なさげに肘を突いたまま彼らを見据えている。
 それどころか敢えて挑発するように言葉を発したのだ。まるで、意識を自分から逸らさせないように。「ああ、すまない。貴様らにはそんな知能はなかったな」なんて言って、ただ神経を逆撫で続ける。
 勿論見え透いた挑発に易々と乗る商人£Bではなかったが――、終焉のその態度は脅されているとは思えないほど大きいのが酷く不愉快だった。足を組んで肘を突くその様子はまさに君臨者そのもの。普段から顎で使われている立場の者からすれば終焉の態度はあまりにも不愉快で、腹立たしくて――

「自分が今置かれている状況が解らないのか? 死にたくなければ奴隷の居場所を吐け……!」

 八つ当たりするには格好の餌食だった。
 死にたくなければ居場所を吐け――そんな言葉が終焉の頭の中で反響する。吐かなくとも屋敷を軽く見渡せば出会える筈の彼の居場所など、どう伝えろというのか。仮に自分が撃ち殺された後、ノーチェをこの場で見つけたときの彼らの反応は一体どんなものになるのだろうか。驚き、笑い、呆れ――どれもこれもつまらない人間の反応ばかりだ。たまには遊びも交えてみるのもいいだろう――。
 死にたくなければ、死にたくなければ――そう言葉が繰り返し男の頭の中を回っていく。死ねたらどんなに楽だろう、なんて他人事のように思ってみるのだから、この頃の終焉は多少我を忘れていたのだろう。
 ――瞬間、商人≠フ背筋に悪寒が走った。終焉へ向けていた銃口を思わず下ろしかける。部屋がやけに薄暗く思える所為か、体に迸る妙な寒気は冬のような感覚を呼び起こした。
 終焉が笑っていた(・・・・・)のだ。弧を描く鋭い目、不自然に歪む口許。手を組み直し、今から面白いことで遊ぼうとするような雰囲気を漂わせて言葉を紡ぐ。

「居場所は吐かない。だが――貴様らが私を殺せたら、そのときは彼を譲ろう」

 もっとも、それができるとは思わないがな――。
 その最大の挑発に商人≠ヘ堪らず引き金を引いた。

◇◆◇

 時を遡って三十分前後、ノーチェは漂う芳ばしい香りにゆっくりと目を覚ました。
 目の前にあるのは頭の下にあった筈の白い枕。気が付けばそれを両手で抱き抱えて、布団を軽く蹴飛ばして眠りに落ちていたようだった。徐に起こした体は重く、堪らず大きな欠伸をひとつ。ふぁ、と息を吸い込んで脳へ酸素を回し、目を覚まそうとした。
 ふと目を覚ます切っ掛けになった香りが鼻を擽る。何気なくその香りの元を辿れば、机の上に見知らぬ朝食が置かれていた。正体が気になり彼は覚束ない足取りで机へと近寄る。そこには出来立て当然の目玉焼きとよく焼かれたベーコンに新鮮なレタス、バターが塗られた食パンに冷たいミルクが揃っていた。
 彼は気になってそれに軽く触れると、確かに出来立てのような温もりがある。作られて時間が経っていないのかと思ったが、触れたミルクの入った瓶のようなものは冷たく、時間の概念さえも忘れさせるほどのものだった。
 これも何かの魔法の類いなのだろうか。
 ノーチェは二、三瞬きを繰り返して、徐に椅子を引いて朝食を目の前に座る。綺麗に張られたラップを剥がしてみると、出来立て同然の香りが顔いっぱいに広がった。それを期に眠っていた筈の腹の虫がくぅ、と音を立てる。食べないという選択肢があったが、用意した終焉がどんな顔をするのかなど想像もしたくなかった。

「……いただきます……」

 両手を合わせ、ノーチェは小さく呟く。然り気無く用意されていたフォークを使って、ちまちまと食べるよりも楽であろう食パンの上に載せて食べることを選んだ。レタスを――駄目だと思いながらも――指で摘まんで載せ、その上にベーコン、目玉焼きを載せた。
 こんな贅沢滅多にできるものではない、と思いつつ齧るのはたったの一口で、恐らく食べ終わる頃には全て冷めきってしまっていることだろう。
 口に含んだそれはやはり美味しいの一言に尽きた。カリカリになるまでに焼かれたベーコンの旨味が存分に引き立ち、舌の上を転がり続け、味気のない目玉焼きにアクセントを加える。その肉の油に根負けしないようにレタスが程好く味を変えてくれて、食べ進めるのに余計な気遣いは不要だった。
 ノーチェは朝食を食みながら昨夜の出来事をぼうっと思い出してみる。

 思えばあれは夜と雨でやけに情緒が乱れていたのだろう。得体の知れない漠然とした不安、自分以外の同じような人種は居ないという底知れない疎外感。誰も自分のことを覚えていないであろうという途方もない悲しみ――それらが折り重なって無意識のうちに涙を流してしまったのかもしれない。
 そう思えば、誰も居ない筈の客間に独りでいたところを見つけたときの終焉は一体どのような心境だったのだろうか。寝ている筈のノーチェが不安げに膝を抱えていた。男は何も言わずホットミルクを差し出した後、部屋に連れ戻してくれたが――終焉なりに驚いていた筈だ。
 何かを言うことこそしなかったが、ノーチェが無意識で涙を流したとき、不思議と締め付けられていた空気が僅かに柔らかくなったような気がするのだ。
 それらが相まってか、ノーチェは起こされず眠らせてもらえたのだろう。
 結局彼が何故あの場で膝を抱えていたのか、ノーチェ自身も上手く説明ができない。もしかしたら少しでも構ってもらいたいという精神が出てきてしまっていたのかもしれないが――、何にせよ彼の中では多少の羞恥心が胸に募る。
 上手く説明はできないが、謝って礼を言うのが正しいのだろう。

「…………ごちそうさま」

 ポツリと言葉を洩らして、ノーチェはガラスコップにミルクを注ぐ。トトト、と注がれる光景はどこかで見たことがあるような気がして、ただ茫然と見つめてしまっていた。必要な量だけが入っていたから溢れることがなかったのだろう――中身の切れたそれを立て直し、コップに口をつける。
 濃くも薄くもない独特な味がしていた。それを思い切り喉の奥へ流すと、胸の奥で詰まっていたかのような塊がぐっと腹の方へ流れ込んでいく。この感覚は未だに慣れることがなく、飲み干した後口許を拭いながら軽く咳き込んで、ほう、と一息吐いた。
 何気なく触れた白い毛髪は特に違和感がない。夜中に一度起きた所為か、目立つような寝癖などがあるような違和感はなく、癖の強い妙に伸びた髪が首元を隠す。そこにあるのはもう既に慣れてしまった鉄製の首輪で、切れた鎖が垂れ下がっている状態だ。
 最初こそは寝苦しいと思っていた筈だが、慣れてしまうと寝苦しさも感じない人間の順応性に彼は呆れさえも覚えた。慣れたという感覚さえなければもう少し現状に抵抗を覚えることができたのではないか、と思うのだ。

「……いや……結局同じか……」

 ノーチェは一度目を閉じると徐に席を立つ。用意してもらったクローゼットの中には似たような服が数枚入っている。どれを着ても同じであることには変わりないだろうが、選ぶ楽しみというものを終焉は用意してくれたのだ。折角だから甘えてみるのもいいだろう。
 ――そうして選んだ服はやはり無彩色のものだった。シャツの襟を首輪元に寄せて、少し丈の長いスラックスの裾を折る。慣れてしまった素足はそのままに、彼は空いた食器をトレーごと持って部屋の扉を開けた。
 着替える意味は特になかった。ただ、強いていうなら終焉の唐突な誘いにいつでも応じられるように、という気遣いからだ。
 トレーを片手に手摺りに手をついて階段を下りる。そのままキッチンへと向かって食器類をシンクへ置くと、ノーチェは思い立ったようにスポンジを手に取った。
 長い間奴隷をやっているが、力仕事もまともにさせてくれないのは今回が初めてだった。ノーチェに何度も愛を伝えている以上、やはり終焉は周りとは違うのだろう。
 泡立てたスポンジで食器を丁寧に洗った。コップは滑って落とさないよう、細心の注意を払いながら。丁寧に洗った後は水で濯ぎ、水切りへと立て掛ける。油汚れなど目立つ様子はなく、指の腹で擦ればキュッと小さな音を立てた。その出来に、力を使う以外のこともまだできるんだな、と彼は安堵の息を吐く。
 昨夜可笑しな様子を見せてしまった詫びに、できることは何だってするつもりだった。そうでなくても食事も風呂も何もかも世話になっているのだ。ここまでされておいて何も返さないなど、成人男性としての尊厳を失いかねない。
 終焉は拒むだろうが、ノーチェは終焉が押しに弱いことに薄々気がついていた。今回も威圧感に負けずに対峙すれば相手から折れてくれるだろう――。
 近くにあった柔らかなタオルで手を拭き、ノーチェは「よし」と呟いた。終焉相手になら少しだけ気を許してもいいのかもしれない。そんな気持ちが顔を覗かせる。
 ――パァンッ
 ――不意に身の毛がよだつほどの大きな破裂音が屋敷中に響き渡った。ぞくり、と背筋を走る悪寒にノーチェは息を飲む。

「……銃声……?」

 思い出したように脳裏をよぎった言葉がそれだった。
 その音は一度までならず二度までも立て続けに鳴った。遠くはない、寧ろ隣にいるかのような大きな音。死が隣にあるという感覚――あれほど望んでいた死が身近にあるというのに、ノーチェの足は微かに震えた。
 しかし、それも一瞬の出来事だった。
 次に鳴ったのは何かが倒れるような音。それは大きくもなく、かといって小さすぎるわけでもない。くぐもったような音が微かに耳に届くのだ。それは例えるなら紙の束を床にばらまくような音に近く、それが聞こえることに彼の心臓は鼓動を速める。
 この屋敷は広い。人独りが住むにはあまりにも大きすぎる屋敷だ。その屋敷の中で音が聞こえるなど、場所によっては有り得なくもない話である。特に奥まった場所にあるキッチンなら尚更だ。そこに隣接する部屋など限られていて、浴室を挟んで大きな客間がある程度だろう。
 しかし銃声の後に聞こえたのは何かを落とすような小さな音だ。紙の束のような、くぐもった音。一階の部屋で紙の類いを所持していて、且つキッチンからでも聞こえる、客間とは逆にある部屋と言えば――。

「…………あの人の部屋、から……?」

 気が付けば彼の足はキッチンを飛び出していた。
 駆けつけたところで何かが変わるとは思っていない。寧ろ事態が悪化するような気さえするほどだ。――だが、理由も分からず何故だか足が勝手に駆け出していくのだ。
 道中エントランスの扉が開いていることにノーチェは異物感のようなものを覚えた。理由は簡単、終焉は扉を開けっ放しにするなどという行為に出ないからだ。何せ彼らは追われている身で、自ら存在を知らしめることなど決してしない。だからこそ閉じていないその扉は寒気がするほどで、彼は足早にエントランスを通り過ぎる。
 二階へ上る階段の向こう――見えた終焉の自室の扉も不用意に開けっ放しだった。ノーチェは咄嗟にその扉の端を掴み、部屋の中を覗き込む。何事もなければよかったが、ノーチェは自分が疫病神が何かかと錯覚してしまうほどに気が動転した。
 奴隷とはいえ誰かの身を案じてやることは悪いことではないだろう。咄嗟に安否を確認しようとしていた口は、喉の奥にまで差し掛かっていた言葉を塞き止めるように閉じて、代わりに目を見開く。

 ――終焉が死んでいる。

 男を取り囲むように立っていた見慣れない人間は、一通り部屋を荒らすとやって来たノーチェに目を向けた。「何だ、この屋敷に居たのか」と口を溢し、フードをかぶり直すその様子は長い間見てきたものと酷似している、
 商人≠フ男達がノーチェという奴隷を取り戻しにやってきたのだ、と理解するまでに時間はかからなかった。

「やけに不気味な男だったので念のため、頭も撃ち抜いた。存命は見込めないだろうな」

 項垂れた頭を拳銃で小突き、終焉が自分の意志で動かないことを示してみせた。コツン、と硬いそれに頭部が当たり、終焉の頭が軽く揺れる。――しかし動く様子は全く見られず、こめかみから流れるその血液が頬を伝い、垂れていく。
 男の亡骸は不思議なものだった。金目の物を探すために何気なく商人≠ェカーテンを開けると、それがよく分かる。艶めく黒い髪も青白い肌の色も勿論常人とは異なるほどの異質さを持っていたが――、更に異質さを浮き彫りにさせたのはその血液だった。
 何故か血液が赤ではなく黒一色に彩られているのだ。まるで絵の具を溶かしたかのように黒く、「酸化した血液」など比にならないほどの深い闇の色。一瞬だけ目を疑ったのはノーチェだけに留まらず、終焉を撃ち抜いたという商人≠烽ワた訝しげな表情を浮かべていた。

「まるで化け物だな」

 そんな言葉が終焉へ向けられる。
 しかし、男は事切れている。蔑むような目も罵るような言葉も既に届くことはない。
 「この賭けは俺達の勝ちだな」と悪い顔で商人≠ヘ言った。金目の物を探していた二人はそれらしいものが見つからないと悟ると、首を横に振ってノーチェの横を通り過ぎる。そのまま立ち去るのかと思いきや、彼らはエントランスの手前――階段の手前で待ち構え始めた。
 彼らは本来の目的を見失ったわけではない。ただ「ついで」に金品を探してみただけのこと。本来の目的は強奪された奴隷の奪還と逃亡――つまりノーチェを取り返し、そのままこの街を去るということだ。それを果たすべく、二人はノーチェが逃げ出さないよう後ろを囲んだだけに過ぎない。
 そして、彼の前方から一人が目の前に立ち塞がった。

「さて、ついてきてもらおうか」

 商人≠ェノーチェの腕を掴む。――だが、彼は放心しきっているようで、ろくに身動きを取らなかった。
 ――いや、ただ考えていたのだ。何故このような状況になったのかを。何度も逃げ出せる機会は目の前に現れていたが、それをしなかったのはノーチェ自身が既に「逃げ出すことは無意味だ」と解っているからだ。理解しているからこそ、踵を返し、背を向けることをしなかったのだ。
 その分ひたすらに思考を巡らせていた。
 人の死を間近で見ることは特別珍しくはなかった。奴隷になって以来、同じような人間が衰弱して死んでいくのを羨ましく思いながら目にしていたことがある。その点を踏まえれば逆とも言える状況――終焉と過ごした何気ない日常こそが彼にとって非日常にもなっていた。
 まともな食事を摂ることも、時間たっぷり眠ることも、風呂に入り体を清潔に保つことも、与えられる洋菓子がやけに美味しいと感じることも、何もかもが非日常でしかなかった。――お陰で奴隷という立場であることを多少なりとも忘れかけてしまうほどにだ。
 その所為だろうか――何度も人の死に直面して慣れたと思っていた筈の光景が、いやに恐ろしく思えたのは。
 動かない、喋らない、血の気がない。そんな死体をいくつも彼は目にしてきた。その度に次は自分かと期待に胸を躍らせたが、回ってこない死に失望すらした記憶がある。恐怖などという感情を抱いたことがないと言えば嘘になるが、今ではもうその感情を持つことが恋しいと思えるほどだった。
 その筈なのに、何故か終焉の事切れている姿を見るのはノーチェに大きなショックを与えていたのだ。
 足がすくみ、目の前が真っ暗闇に包まれる感覚。人の声が遠く、見えるのは息をしないたった一人の男だけ。足下に穴が空いて落ちていくような絶望感を喪失感だと例えるのなら、ノーチェの胸に募るのは理由の見当たらない喪失感だった。

「…………殺す、理由はあったのか…………」

 耐え難い苦痛に身を委ねるわけにはいかず、ノーチェは徐に口を開く。
 殴られるものかと思っていたが、その商人≠ヘ彼に手を出すことはしなかった。徐に顔を見やれば、その商人≠ヘノーチェが知る人物とはまた違う人間だった。

「……この人を、殺すなんてしなくても……俺は言えばついていった。何で、殺す必要は……」
「……なるほど」

 口が上手く回らないのは終焉の死に動揺しているからだろう。何とか彼は自分の思っていることを商人≠ノ伝えることができたようで、目の前の商人≠ヘ一度悩む素振りを見せる。――当然、理由は分かりきっていることだった。
 ひとつは終焉が奴隷を強奪した本人だから。それ相当の罰を与えるために、二度と同じような出来事を起こさせないために命を奪っただけに過ぎない。誰が何を言おうと男が持ち逃げ去ったのは、労働に使える物理に特化したニュクスの遣い≠セ。一人捕まえるのに何人もの捕獲者が犠牲になるのだから、同じような目に遭わせるのが一番なのだろう。

「もうひとつはただ話に乗っただけだ」
「…………話……?」
「自分を殺せれば奴隷は譲ると言っていたんだよ」

 その言葉にノーチェは茫然とした。それに、痺れを切らしたかのように商人≠ェノーチェの手を引いて足早に終焉の部屋を出る。手を引かれたままノーチェは咄嗟に終焉へ振り返ったが、男の体は依然項垂れたままで、やはり動く兆しは見られなかった。
 ――結局彼はただ迷惑をかけて巻き込むことしかできなかった。
 終焉の体を見つめていると、途方もない喪失感がノーチェの胸を針のように刺し続けた。その感覚が嫌で、ノーチェは顔を終焉から逸らしてしまう。手を引かれて歩くのは酷く疲れてしまい、「……もう歩ける」と小さく呟けば、腕を掴む手が離れた。
 ノーチェの目の前には一人の男、そして背後には二人の男が立っていた。万が一のことに備えての配置に思わず「よく考えてるな」と他人事のように考えを巡らせる。半開きになったエントランスの扉を押し明けながら「金目の物はこの屋敷にはないのか?」と何故かノーチェに問いかけた。
 ノーチェはぼうっと目線を足元に落としながら「さあ」と何気なく声を洩らす。床だったものが白い石に、石だったものが若草の生える柔らかな土に変わっていく様子を見るのは酷く億劫だった。再び殴られ罵倒される日が戻ってくるのかと思えば、歩く足は自然と重くなる。口から溢れる筈の言葉など紡げる筈もなく、話し相手にもならないと思うや否や、商人≠ェ話を変える。

「少し離れたところに馬が――」

 「キャリッジがあるから乗ってもらう」――そう言い切るつもりで紡いだその言葉は、最後まで言い切ることがなかった。

「な……なん……!?」

 ノーチェの前後で戸惑うような声が飛ぶ。咄嗟に彼の肩を押し退け、二人が前へと躍り出た。ノーチェはバランスを崩しながらも様子の変わったそれに不信感を抱き、徐に顔を上げる。
 商人£Bの隙間から見たそれに、ノーチェでさえも言葉を失った。

「…………え……」

 空は薄暗く、白い雲の下に広がる灰色の雲が存在感を増していた。じっとりと肌にまとわりつくような湿った空気が「もうすぐ雨が降る」と暗示しているようで、体を支配するような倦怠感が増しているような気持ちに陥る。外に干した洗濯物を取り込まなければ再び手間がかかってしまうだろう。
 そんな天気の下、彼らが目にしたのは有り得ないものだった。
 長く風に靡く黒地に赤いメッシュの交じる髪。闇に紛れるかのような黒を全身にまとい、日に焼けていない肌は女のように白く、ポケットに手を入れて仁王立ちする様はまさに王者の風格を宿している。
 一文字だった口許は不自然に弧を描き、透き通るような赤と金のオッドアイは獲物を見つけたときの獣のように爛々と輝いている。

「――殺せなかったなぁ?」

 嬉々として発せられた言葉はまるで子供のようで、彼らはじっとりと湿った空気の中で蛇が体に這うような寒気を覚えた。

 そこには絶命した筈の終焉の者≠ェ嘲笑うように立ち塞がっていたのだ。


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