泣き虫と青い鳥
22 泣き虫と争いのある世界
忍術学園に苗字名前という女が現れて、5日が経った。
最初の3日は何をするにもおろおろと左右を見回し、竹箒を持っては脛をひっかき、薪割の斧を渡されては途方に暮れと呆れるほどに何もできなかったが、5日も繰り返せばある程度の慣れも出てきたように見える。あまりの何も出来なさ加減に辟易として、全員が一度は「なぜそんなに何もできないのか」と訊ねたのではないかと思うが、彼女はその度に困ったように眉を下げて「あまりやったことがなくて」と答えた。
「で?どう思う」
車座になったその一角で、立花が溜息と共に言葉を吐く。
「どうって言われてもなぁ」
「特に怪しい動きはないよ」
困ったように顔を見合わせたのはは組の二人だ。
「基本は外に出て廊下とか庭とか掃除してる。決められた範囲を出ることはしていないし、外部と連絡を取ってる様子もない」
「薪割があまりに下手すぎて初日以降やらせなくなったくらいか。山本シナ先生が言った通り、あれは忍の手じゃない。今まで刀や斧の類持ったことない手だろうな」
「やっぱり座敷童なんじゃないか」
頭を掻く食満に大真面目な顔で七松が言い、それを隣から中在家が押さえる。
それを横目で流し見て、立花は再び息をついた。
「忍でないからと言って間者でないということにはならない。むしろ本当に間者ならば、5日程度で尻尾は出さないだろう」
その言葉に、七松以外の全員が小さく頷いた。斧を持ったことがないからといってそれが間者でないということには結びつかない。むしろそういう点から『忍でない』という安心感を植え付ける為に『そう育てられた』という可能性の方が、未来から来るという戯言よりも信憑性があった。
彼女が間者であるという証拠を見つけること、それが学園長の下した忍務の主旨であるというのが、ここにいる六年生の一部を除いた意見の総意である。
「お前たちは山の神や妖の類は信じるのに、座敷童は信じないのか」
その除かれた一部が首を傾けた。
眉間に大いに皺をよせ、頭痛がするとでも言うように立花が頭を押さえる。
「座敷童でないというのは本人が認めていただろう。あれは未来人を自称している」
「未来かー。600年くらい先って言ってたっけ。想像もつかないよね」
善法寺が小さく口元を綻ばせた。きっとここにいない下級生、特に1年生なんかは、そんな話を聞いたら大層驚いて彼女に様々な話をねだるに違いない。
それはとても微笑ましく、同時に危うい光景でもある。だからこそ、下級生のいない夏休みの間に片を付けてしまいたいというのもここにいる主な六年生の総意であった。『争いのない世界から来た』と憚らず口にする彼女が、彼らを徒に傷つけることのないように。
「しかし仮に本当に未来人だったとして」
立花が言った。
「たった一人で600年も前の時代に迷い込んだ割には不安そうにする様子が少ない」
「そう言われればそうだな。泣いても良さそうなもんだが」
食満が眉を寄せて答える。時折考え込んだりする様子はみるものの、不安そうにする様子はあまり見ない。しいて言えば、使い慣れていないと彼女が言う道具を渡したときにそういう表情をするくらいだった。
「何で泣く?」
七松が再び首を傾げる。その仕草がまるで人間を理解しようとする動物のように見えて、は組は揃って苦笑した。
「全く見ず知らずの場所だよ?知ってる人も、自分の常識も通用しない」
「忍者ならある程度下調べしたりして全く知らない場所に行くこともないだろうが、普通の人間だったらなあ。怖いし不安だろうな」
二人の言葉に、七松はふうんと唸った。丸い目が大きく瞬く。
ともかく、と立花が声を上げた。
「監視はこれまで通り継続する。このまま状況が動かないようなら、少しずつ彼女が動ける範囲や出来ることの範囲を広げていく。あくまでもこちらが『信用して』そうしていると思わせるように」
言って立花はちらりと同室の男を見やった。潮江は終始口を開くことなく、憮然とした表情で床を睨みつけている。
「それでいいな、文次郎」
「…采配はお前に任せる」
その一言に頷き、立花は顔を上げる。耳を澄ませると遠くから竹箒の音がしていた。この密談の最中、ずっと聞こえていた音だ。あまり長い時間目を放すことはできない。解散、と放った瞬間、一迅の風と共に全員の姿が解けるように消えた。
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