泣き虫と青い鳥


20 泣き虫と先行きの不安



とりあえず今日この後は、私はあの部屋で大人しくしているということになった。今後の私の扱いをどうするかについて話し合う為だ。そんなわけで、私は制服とタオルケットを抱えて、部屋の隅の壁にもたれて膝を抱えている。

「………」

今私は部屋に一人だ。見張りをつけるべきと主張した潮江くんを私の運動能力とビビり具合を理由に一蹴した立花くんは、静かな声で私に大人しくしていろと告げた。反論の余地があるはずもなく、私に許されている自由は膝を抱えて座るか伸ばして座るか程度のものだった。部屋を歩き回る気持ちすら萎えてしまうような、そういう声音だったのだ。

一人で部屋に入ってから暫く経ったけれど、時間がどれくらい経ったのかは具体的には分からなかった。まだ1時間は経っていないのではないかと思う。元居た場所ではあちこちに時計があったから時間が分からなくなることなんてほぼ無かったのに、と焦りにも似たような気持ちがある。時間に追われる生活をしてきた現代人にとっては中々ない環境だ。一人無言でいる時間に耐えられなくて何か時間をつぶしたいと本来ポケットがあるはずの場所をまさぐっては、ポケットもなければ携帯電話なんてもってのほかであるという現実を目の当たりにして息を吐くということを繰り返していた。充電をどうするという問題はあるものの、携帯電話くらい身に着けておくべきだったとその点ばかり後悔する。

―――こういう時間ばっかりだな…。

抱えた膝に顎を乗せながら、私は畳の目を見つめた。考えてみれば昨日山本先生にこの部屋に連れてこられてから、基本的には待機時間ばかりだった。待たされている間他の人達が何をしているのかと言えば、私の処遇について話し合っているというのだから笑えない。迷惑をかけているという罪悪感の一方、私だって好きでこんなところに来たわけじゃないのにという気持ちもあって、大声で叫び出したいような気分だ。今本当に大声で叫べば放り出されるか閉じ込められるかの二択になりそうなのでしないけれども。

『ここは忍者の学校だぞ』

先程立花くんに言われた言葉を思い出して、私は何度目かの溜息をつきながら膝に額を寄せた。
忍者なんて時代劇ですらほとんど見かけない。実在したかどうかすら知らなかった。手裏剣を投げたり撒きびしを撒いたり塀を登ったり屋根の上を走ったり、そういうイメージはあるけれど実際にそうだったのかは分からない。けれども塀を登れるということと屋根の上を走れるということは、昨日身を以て体験したので正しかったようだ。

忍者に保護される―――この場合保護と言って良いものかわからないけれど―――場合、命の危険は伴わないのだろうか。時代劇ではすぐ切った張ったの問題が起こるけれど、この世界もやはりそうなのか。現代には警察があって、少なくとも現在地の分からない迷子は保護してもらえるはずだけれど、室町時代にそんな仕組みがあったなんて話は聞いたことがない。そもそも、本当に私の判断が正しくてここが室町時代だった場合。

―――室町時代の出来事なんて、応仁の乱くらいしか知らない。

小学校中学校の社会科でしか歴史を勉強してこなかった私は、室町時代に起こったことを殆ど覚えていない。足利氏が幕府を建てて、途中で金閣寺やら銀閣寺やら優雅なお寺を色々作っていたはずなのに、気が付いたら戦乱の世になっていた。応仁の乱は、私の記憶が正しければ相当広い範囲で戦いになっていたはずだ。そして、その後そのまま戦国時代と呼ばれる時代に突入した。

―――戦争、なんて。

スポーツ以外の戦いなんて、テレビや教科書の中でしか見たことがなかった。この学園がどういう場所にあるのか分からないし、今が応仁の乱以前なのか最中なのかもわからない。いずれにしてもこのままこの時代にいることだけは嫌だった。まだ鉄砲もろくに広まっていない時代とはいえ、国同士、城同士の戦争に巻き込まれでもしたらと考えるとぞっとする。

―――どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

何度目かになるどうしようもない自問を繰り返して、私は膝を抱く腕に力を込めた。ああ、これは良くない。目頭と頭が熱かった。何だか泣いてしまいそうだ。泣いたってなにも解決しないのにと思うけれど、鼻の奥にも水分を感じて慌ててすすり上げた音がやたらと耳に響いた。眉間に思い切り力を込めてその大きな波をやり過ごそうとしたその瞬間だった。

「待たせたな名前!」

スパァンと障子を開け放った鋭い音と、七松くんの笑顔に私は大きく瞬きをした。この音を聞くのは既に今日2回目だ。びっくりしすぎて涙も引っ込んだ。

「七松くん」
「仙蔵が呼んできてもいいって言うから迎えに来た!」
「え、あの、ありがとう」
「もそ」
「中在家くんも」

どしどし部屋へ入ってくる七松くんの後ろから中在家くんが覗く。

「もそもそ…」
「とりあえず名前が出入りできる範囲も決めたから、仙蔵から色々話があると言っている!」
「わかった。どこに行ったらいいかな?」
「いけいけどんどんで」
「…もそもそ」
「ん?まあそうなんだが」

私を抱っこするように両手を差し出した七松くんを遮って、中在家くんがその肩に手を置く。何を言っているかは聞き取れないけれども、やはり彼は七松くんをたしなめてくれているようだった。七松くんは暫く中在家くんと話してから、「まあ近いしな!」と大きな声で言って両手を下ろした。

「ほら、行くぞ名前」

その代わりに差し出された片手を握ると、ぐいっと一気に引っ張られて体が宙に浮きそうになる。慌てて着地した私を見て、七松くんはにっと笑った。




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