泣き虫と青い鳥


19 泣き虫と初めての食堂



食堂への道のりは、思っていたよりも遠かった。こんなに大きな日本家屋は生まれて初めだ。見た感じは縁側があったりとお城という感じでもないのだけど、渡り廊下みたいなもので繋がっていたりして、中々に広い。しかも、歩いている最中に端に寄れだのそこを踏むなだのと指示が飛ぶので、いつもどおり歩くことができず、そわそわびくびくしながらの道程だった。何故そんな指示を、と問おうとしたが、すぐ横を歩いていた善法寺くんが「ピャ…ッ!」という微かな悲鳴と共に落とし穴に落下した為、問わずとも理由を察することが出来た。落とし穴なんてドッキリ系のテレビ番組でしか見たことなかった私は、瞬間的に姿を消した彼に一瞬思考停止してしまった。テレビのあれは中にクッションや何やらがあって落ちても怪我をすることはなさそうだったけれど、慌てて覗き込んだ穴の中は普通に土を掘っただけの穴だった。体中砂埃で汚した善法寺くんは頭を掻きながら苦笑していて、特に怪我をした様子はなく、「びっくりさせてごめんね」という彼の言葉に私は心底ほっとした。

けれども、食満くんが善法寺くんを引っ張り上げ、罠におびえることになった私が更にスピードダウンしたことによって、食堂までの道のりはより遠いものとなったのだった。

「学園の中には無数にトラップが仕掛けてある」

食堂のおばちゃん(皆が口を揃えてそう呼んでいた)が用意しておいてくれたというおにぎりとお味噌汁を頂きながら、立花くんが涼しい顔で話を始めた。

「とらっぷ…」
「一番数が多いのは先程伊作が落ちた蛸壺や落とし穴の類だな。他にも様々仕掛けがある」
「何でそんな」
「ここは忍者の学校だぞ」

言わずもがな当然だろう、と言った雰囲気で話が終わってしまい、私は困って首を傾ける。
忍者屋敷のイメージと言えば、叩くと裏返る壁とか飛んでくる吹矢とかだけれど、そういうものも多くあるということだろうか。落とし穴でさえ嵌れば一人で抜け出すことは難しそうな私に、吹矢を避けるなんて芸当は不可能だということくらい容易に想像できた。しかも、当たったら多分死ぬ気がする。

「死ぬほどの仕掛けはないぞ」

私の深刻な表情を見てか、食満くんが苦笑するように言った。ついさっき件の落とし穴に嵌ったばかりの善法寺くんも、お味噌汁を飲みながら頷いてみせる。

「一年生は特にまだ罠を全部避けることは出来ないから」
「一年生…」
「うん。一年生はまだ十になったばかりの子達なんだよ」

とお、と鸚鵡のように繰り返すと、彼は笑いながら再び頷いた。
一年生が十歳で、六年生が十五歳。少なくとも私の知っている日本の学校とは仕組みが違う。不思議な感覚だったけれど、そういえば昔は成人=二十歳ではなかったのだということに思い至って納得した。そうだ、大河ドラマなんかでも大抵元服は十代でしていたし、彼らもきっと学園を卒業したらもう大人という扱いになるのだろう。
私は何事もなければ来年は普通に二年生に上がるはずだった。来年も子どものままの予定だったのだ。それを考えると、複雑な気持ちだった。

「しかしまぁ、掛かったら無傷というわけにもいかんだろうな」

涼しい顔のまま言い放ったのは立花くんだ。う、と思わず呻くと、伏せていた目を片方だけ開けて私を見ながら口端を上げる。どことなく意地悪というか、面白がっている顔だった。

「……もそもそ」

フォローするように中在家くんが何か言ってくれたのだけれど、案の定何と言っているか聞こえない。困って彼のすぐ隣に座っている七松くんを見たけれど、彼は口いっぱいにおにぎりを詰め込むのに忙しくて全くこちらを見ていなかった。中在家くんの隣に座る立花くんに視線を戻すと、長次の言う通りだろうな、という静かな言葉が返ってきた。

「入れる場所を区切るべきだ。安全面を考慮するなら、それが最善だろう」
「うーん。そうだね。罠が全くない場所ってすると結構限定されちゃうけど…」
「どうせ夏の間は学園には我々しかおらん。新しい穴を掘る奴がいない内に、ある程度の範囲は一度埋めてしまうというのも手だな」

面倒ではあるが、と付け足された言葉に自然体が小さくなる。落とし穴に落ちた善法寺くんが、それでも特に怪我無く足からちゃんと着地出来ていたところを見るに、恐らく彼らは皆落とし穴に落ちても問題がないか、そもそも落ちずに済むのだろう。そんな中、私が勝手に一人でうろうろしては仕事を増やす一方で、迷惑以外の何物でもないことは明白だった。

「名前は、腹一杯か?」

ごっくん、と大きな音を立てて口の中の物を飲み込んだ七松くんが、私を見てこてんと首を傾ける。しょんぼりしておにぎりを食べる手が止まってしまっていた私は、パッと顔を上げて勢いよく頭を振った。

「あ、ううん!ちょっとぼんやりしてただけなので」
「そうか?食べないんなら私が貰ってやるから遠慮なく言うんだぞ」
「それお前が食べたりないだけだろ」

口の周りや指についたご飯粒を食べている彼に、食満くんが笑う。それにつられて、私も小さく笑った。
手の中のおにぎりはまだ大きかったけれど、きちんと食べて力をつけよう。聞けば聞くほど、ここに長く留まることは難しそうだった。一刻も早く帰る方法を見つけるために、とにかく体力を落とすことは出来ない。まだじっと食べかけのおにぎりを見つめる七松くんの目から隠すように、私はぱくりとその山頂に噛り付いたのだった。



*prev next#