*学生時代の話



「あれ、ミロクまだワックス使ってるの?」

「まぁ」

「ふーん………あ!ワックスと言えばさ…」



ヘアワックス



「沖村、お前染めてるだろ」

「染めてませんよ!」

月曜集会で人が溢れる体育館に、僕の声が響いた。
よく勘違いされるが、僕の髪の毛は地毛で茶色だ。
中学の頃も頭髪検査に引っ掛かり指導室に連れていかれたりしたがその時は届出を出したら解放してくれた。
しかし、高校は届出というものがなかった。
しかも毎回検査する先生が違うのが悩みの種で、検査の度に説得しては検査し直すのを繰り返していた。

「とりあえず職員室前に行け」

「そんなぁ…」

今日で3回目だ。
もうそろそろ先生達の間で、僕をチェックから外してくれればいいのに。
この学校は先生同士のコミュニケーションがとれていないと思う。
僕がトボトボとわざとゆっくり歩いて職員室前に行くと、見慣れた人がいた。
相手も僕に気付いたのか、溜め息をつきながら話し掛けてきた。

「沖村、またか?」

「う、うん…」

「それ地毛だろ?」

「………弥勒院君は、またワックス?」

弥勒院蓮児だった。
僕と彼は2回目の頭髪検査の時に初めて話した。
クラスは同じだったけれど、関わりも特になく、初めて会話した時は始終ドキドキしていたのを覚えている。
どうやらまともに会話出来るようになったらしい。

「いい加減、抗議したらどうだ」

「そうだね…」

「俺なら今すぐするけどな」

「弥勒院君はワックスとか止めた方が早いと思うよ」

「それはないな」

1回目の検査で引っ掛かった人達は、2回目も引っ掛かっては進路に影響すると考えてか、みんなきちんと髪の毛や服装を整えていたのだ。
だが、2回目でも引っ掛かっているバカが2人いた。
それが、僕と弥勒院君だ。
彼は髪の毛にワックス、シャツ出しという、見た目完全に不良スタイルだった。
それは今も変わらない。
だから検査で引っかかって当然だ。
だけど、そんな不良の彼はどういう訳かモテる。
成績も、勉強してないのに出来るタイプで、スポーツも出来る。
まさに文武両道。
しかも誰ともつるんだりしない一匹狼らしい。
…モテる要素ばかりじゃないか。

「どうして、やめないの?」

そりゃ、女子にモテたいのはわかるけれど、何回も引っかかったら進路に影響するかもしれないのに。
怒られるのだって面倒だし、弥勒院君くらい頭がよければそれくらいわかってると思うんだけど。

「まぁ、色々」

「…?」

「敢えて言うなら、お前が1人で怒られるのが…」

「あ、先生来たよ」

会話の途中で、先生がこちらに来た。

「またお前らか」

また説教かな。
嫌だな。
僕は第一声に耐えるため、身構えた。
しかし、

「あー沖村は帰っていいぞ」

「へ?」

先生の口から出た言葉は予想外で間抜けな声を出してしまった。
どういうことだろう。
今まで地毛だと言っても再検査だった僕が、いきなり解放されるなんて。

「地毛なんだろ?」

「まぁ…そうですけど。でも、今まで再検査でしたよ?」

「あぁ、前回地毛なのに怒られたって聞いてな。よく考えれば沖村みたいな生徒が染めるとは思えないしな」

「はぁ…」

どうやら、僕の髪の毛は先生達の間で地毛だと認められたようだ。
これでもう叱られなくて済む。
今更という感じもあるが、これで漸く明日から静かな学校生活を送れる。
安堵に胸を撫で下ろすと、先生に「早く帰れ」と促されたので、僕は軽くお礼を言って早急に戻ろうとした。

「それよりも、弥勒院!」

「はい?」

「お前はなんだ、いつもワックスなんかつけて色気づいて」

「すみません」

僕が教室に戻ろうと職員室の角を曲がると、先生が急に弥勒院君に叱り始めた声が聞こえた。
ついでに、やる気のない彼の返事も聞こえる。
人が怒られてるのを聞くのは気分が悪くなるので、さっさと行こうとしたが、僕は思わず立ち止まってしまった。

「以後気を付けます」

弥勒院君の口から聞いたこともない言葉が聞こえたからだ。
いつもなら反省の色が全くない、「はい」だけで終わる筈だが、まるで反省しているみたいだ。
いや、それが普通だけれど。
それにしても珍しい。
どういう心境の変化だろう。

「沖村?」

「わあっ!!」

突然、弥勒院君が角から覗いてきた。
心臓が跳ね、脈動が急に速くなった。
説教は終わったようだ。

「まだいたのか。どうした?」

「あ…いや!弥勒院君が珍しく反省してるみたいだから、びっくりして」

「ああ…明日からは真面目にやってく」

「え、どうして?」

「さぁな。自分で考えろ」

「え…えー…」

次の日、彼は本当に真面目になった。
ワックスもシャツ出しもやらなくなったのだ。
それを見て、僕はほんのちょっとだけ、前の方が格好良かったのにな、と不覚にも思ってしまった。
彼のファンだった女子がショックで騒ぎ、クラスの男子が理由を聞きに詰め寄っているのを見て、彼の人気を改めて思い知った。

「怒られんの面倒だから」

その時、彼はそう答えたらしい。
けれども、僕には他に理由がある気がしてならなかった。
例えば、先程言いかけた言葉のような。



「っていうことがあったの、覚えてる?」

「ん?あぁ…あったような」

「あの頃から気になってたんだけど、なんでやめたの?」

「んー…忘れた」

弥勒はそう言いながら頭を掻いている。
あれから10年経って、彼の部屋の机に、ヘアワックスが置いてあったのを見て僕は不意に思い出したのだ。

「えー思い出せよ」

「………そーいや、2回目の検査からだったか?」

「何が……ちょ…ッ!!」

そう問いかけると弥勒はいきなり顔を近付けて軽くキスしてきた。
気付いた時にはもうされていた。
時間が止まったように、拒否する間も与えられずに。
反射的に僕の手だけが虚しく反抗していた。

「………い…いきなり何するんだよ!!」

彼にキスされると、暫く時間が止まってしまう。
だから、今のキスに対する反応が出来なかった自分が恥ずかしくて僕は多分顔を真っ赤にして、口を押さえた。

「思い出した」

「は?え、ホント!?」

「つまり、こういうことだ」

「う、うん」

「お前が好きだったんだよ」

弥勒が言った途端、僕は更に顔が赤くなっただろう。
この会話になっていない会話で何かが分かるのはきっと僕だけだ。
少しだけ、彼を理解出来た気がして、それも照れくさくなって僕は俯いた。
僕が注意されなくなった途端、彼が真面目になった理由。

「それは…つまり…僕に会う口実だったから…ですか…?」

恐る恐る聞くと、彼はまた少しだけ笑って、

「さあな」

と短く言い、窓を開けて煙草を吸い始めた。
僕には、それが珍しく照れ隠ししているように見えて、ほんのちょっとだけ、可愛いな、と不覚にも思ってしまった。



――――――
2009.3.15
学生時代が書きたかっただけです。
初々しい生王が書けていたら幸いです。

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