ある年の正月



「ん…」

冬の澄んだ空気が俺の眠りを妨げた。
と言うより、毛布が床に落ちて寒くて目が覚めた。
俺は暫くボーッとして手元にあったケータイの日付を見た。
1月1日。
日本ではその日を、正月と呼ぶ。
そういえばそうだった。
昨日の大晦日は〆切日でそれどころじゃなかったから全然意識していなかった。
その証拠に、今俺が寝ているのは事務所のソファだ。
紅白を観る暇もなく〆切に追われる、ライターには労働基準法なんかあってないようなものだ。

「あー…寒…」

『ピンポーン…』

二度寝しようと毛布を被ったら事務所のチャイムが鳴った。

「っせーな…」

ブツブツと文句を言いながら体を起こして、ドアを開けると、

「あけましておめでとうございます」

と、着物を着た彩子ちゃんが笑顔で出迎えた。
あぁそうだった。
彩子ちゃんから正月に事務所で一緒にお雑煮でもって言われてたんだった。
たまには正月らしいことしませんか、だと。
うるせえとか言ってごめんな。

「初詣でも行くのか?」

「はい。この後、神子沢さん達と行くんです」

「悪いな」

「いえ、誘ったのは私ですから。そんなことより、先生もたまには外に出た方がいいですよ」

日を浴びないとカビますよ。
彩子ちゃんはそう言って軽く笑うと、小さなキッチンで支度を始めた。
エプロンは持ってきていたようだ。

「なんか主婦みてーだな」

「もう、何言ってるんですか」

お湯を沸かして鰹だしなんか入れて味見する姿はまさに古きよき時代の母親の図だ。
それに少し落ち着いた紫の着物の袖を捲りあげているのが余計にそれを連想させる。

「餅、何個食べますか?」

「2個でいい」

「はーい」

そんな会話をしている間に、俺は服と髪を整えた。
今日はワックスののりが悪い。
中々決まらなかったが、どうにか落ち着いた。
味付けし出したのか鰹と醤油のいい匂いがしてきた。

「そういえば、材料はどっから持ってきたんだ?」

「あ、家にあった余りです……なので気にしなくて大丈夫ですよ」

俺が材料費を気にしたのが分かったのか、彩子ちゃんは最後に一言付け加えた。

「なんか手伝うことあるか?」

「じゃあ、箸とお椀をお願いします」

俺はキッチンに向かい、棚から割箸とお椀を取り出した。
割箸は机に置いて、お椀は彩子ちゃんが作業しているコンロの隣に置いた。
もうすぐ出来るのか、彩子ちゃんは小皿に少し汁を入れて味見している。
そして醤油を付け足した。

「こんなもんですかね」

また味見をしてから彩子ちゃんは火を止めた。
すっかり出来上がったお雑煮に感動しつつ、俺は机に運んだ。

「すげーなー」

「母に教えられたんです」

「そうか…いただきます」

「いただきます」

温かい、関東風のお雑煮だ。
普通に美味しい。

「ちょっと味が薄いですかね…」

「そうか?」

「うーん…難しいですね」

彩子ちゃんの採点が厳しいだけだと思うが。
俺的には充分だ。

「なんか、事務所でお雑煮って面白い図ですね」

「だな」

「ふふ、でも正月らしくていいですね」

「確かに。今年もよろしくな」

「こちらこそ」

会ってかなり経ってからの新年の挨拶。
まぁ、正月らしいといえばらしいな。
ライターになってからは初めてな気がする。

「そういえば、先生」

「ん?」

「生王さんにはお電話したんですか?」

「は?」

「新年の挨拶の」

「あぁ…してなかったな…」

「だめですよ、去年お世話になってるんですから」

言われてみれば、確かに世話になったし、年賀状出し忘れたしな。
後で電話するか。
そういえば、あいつどうしてるかな。
最近はこっちが忙しくて、それどころじゃなかったから、気になるな。

「一応、私からも『今年もよろしくお願いします』って伝えておいてくださいね」

「自分で電話しないのか?」

「私は年賀状書きましたから」

しっかりしてるな、相変わらず。

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」

「私、洗いますね」

「すまんな」

「いえ、先生は電話でもしてて下さい」

まるで強制的にかけろと言われてるみたいだ。
仕方がないので、事務所の電話を使って生王の自宅にかけた。
数回コールの後、途切れて、

『もひもひ…沖村です』

と、生王が出た。

「眠そうな声してんな」

『二度寝して…って…ミロク?』

「あぁ」

『どうしたの、朝なんかに電話かけてくるなんて』

「彩子ちゃんがかけろって言うからな」

『へ?』

「あけましておめでとう」

『あぁ、そうだったね。あけましておめでとう』

「お前も忘れてたのか?」

『忘れてた訳じゃないけど、昨日〆切で』

「俺もだ」

奇遇だ。
大晦日が〆切なんてひどいもんだな、お互い。

『で、なんで彩子ちゃんなの』

「事務所で一緒にお雑煮食べてるから」

『お雑煮?ミロクが?』

「悪いか」

生王は必死に笑いを堪えているようだ。
自分でも弥勒院蓮児=お雑煮なんて式が成り立つと思ってない。
が、改めて笑われると何故か腹がたつ。
一通り笑ったのか、息を整えた生王が再び口を開いた。

『はー…じゃあ彩子ちゃんに、年賀状ありがとうって伝えてよ』

年賀状のチェックはちゃんとしてから二度寝したらしい。
俺とは大違いだ。

「わかった。彩子ちゃんも、今年もよろしくお願いしますだとよ…ん?」

ふと、洗い物を終えた彩子ちゃんが台所から覗いているのが目に入った。

「先生、そろそろ時間なので行きますね」

「あぁ、ありがとな。それと、生王が年賀状ありがとうだと」

「いえいえ」

「次、来週の9日からまたよろしく頼む」

「はい」

彩子ちゃんは、少し笑って荷物を纏めると、電話の邪魔にならないよう気を遣って、いつの間にか出ていった。
一人になったからか、急に静かになった。

『彩子ちゃん、どっか行くの?』

「あぁ、千月学園の奴らと初詣だと」

『へえ…ミロクは?』

「俺は行かねーよ」

『じゃあ一緒に行く?』

「は?」

『初詣』

「お前と?」

『うん。それと起きるかどうか分かんないけど、癸生川と、伊綱君も』

「んー…」

あのヘンテコな探偵と助手も一緒か。
水を差すようで悪い気もするが。

(たまには外に出た方がいいですよ)

さっきの彩子ちゃんの言葉が頭を過る。

「……だな。カビたら困る」

『は?』

「いや、こっちの話。行くよ」

『わかった。じゃあ伊綱君に伝えとく』

「よろしく」

『後でそっち迎えにいくから』

「おう」

短く返答して電話を切り、俺は窓を開けた。
タバコを吸いたくなったから、その換気の為。
朝日が眩しい。
冬の空気を通って伝わる暖かさ。
それが清々しい。

「そうだな」

今日は。
たまには外に出てみるか。
悪くない空気だ。
あの探偵達も来るなら、何か面白いことでもあるかもしれない。
俺は、少し笑ってポケットからタバコとライターを取り出して、火をつけた。
今年一本目のタバコだな、と沁々と思った。
そして、初詣に行く準備をし始めた。
そんなある年の正月。



――――――
2009.1.1
ちょっとした日常的な話を書こうとしただけです。

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