「ねえ癸生川」

「………」

「大晦日ぐらい掃除しないか?」

「断る」



necessary



K県鞠浜市鞠浜台。
とある通りにあるモダンなレンガのマンションの三階。
そんなお洒落なマンションの一室がこんなに散らかっているとは誰も思わないだろう。
しかし、いつも通りに癸生川探偵事務所にやってきて、そこで気付いたのだ。
今日は大晦日。
年に一度の大掃除の日。
あと2時間で終わってしまうが。
でもそんな時くらい、ちゃんと掃除してみたいものだ。
そう思ったのだが、癸生川は先程短く返答をしただけで、寝室から出てこない。

「困ったな…」

掃除をしなくても、癸生川が困らないのは分かっている。
あいつはこれだけ散らかっていてもすぐに物を見つける。
しかし、僕が困る。
僕には生憎、そんな能力は持ち合わせていない。
室内を見渡すと、ソファには脱ぎ散らかした衣類が無造作に掛けてあり、書類が癸生川の机を中心に辺り一面に散らばっている。
最近は忙しくて掃除が出来ないでいたこともあるけれど、流石にこれはまずい。

「癸生川ー」

「………」

だめだ。
これ以上呼ぶと喚くだろう。
止めておいた方が良さそうだ。
仕方なく、僕は一人で掃除を始めた。
書類に手をつけると怒られそうだし、まずは本棚からやろう。
僕は応接セットのソファを棚の下に置いて台にした。
そして、本棚の近くに数年放置されていたであろうハタキで一回叩いた。

「うわっ、げほ!ごほ!」

すごいホコリだ。
ふわふわと舞う黒いホコリを目の当たりにして、思わず溜め息を吐きたくなった。
何年蓄積されていたんだ。
高い場所にあるとはいえ、なんで今まで気付かなかったんだ。
そんな自分を反省しながら、取り敢えず、ホコリを下に落とすことにした。
それが終わってから、バケツと雑巾を持ってきて水拭きをした。
次にテレビ。
ダイヤル式の古いテレビだ。
もう寿命なんじゃないかと思うけれど、まだまだ使えそうだ。
こっちも中々ホコリが積もっている。
拭いてみて、改めてテレビを置く台が赤茶色だと気付いた。
それまで、焦茶だと思っていた。
ホコリのせいだ。
次に机を拭こうとしたけれど、癸生川はこの机にあるものを触ったりすると、これ以上ないぐらい嫌な顔をするので止めた。
そんな睨み合いの持久戦はやりたくない。

「さてと」

そろそろ資料でも整理しよう。
見たところ、散らばってる資料はお客さんに見られたら大変なぐらい重要なものばかりだ。
僕はソファに座って、一つ一つファイリングして片付け始めた。

「これは一年前…これは半年前…これは……4年前…?」

僕がまだ来てない頃の資料まで出てきた。
それも、設立したぐらいの時の。
『御堂丸邸、概要』と表紙に書かれていて、何枚か纏めてホッチキスで止めてある。
随分古い記録だな、読んでいいものかな。
ただの助手が見ても支障のないものなら構わないが、どう見ても怪しい。
しかし、今後の事件に関わるものだったら読んでおいた方がいい。
第一、『御堂丸』はオーナーの名前じゃないか。
少し気になったので、目を通してみようとした瞬間。

「それはだめだ」

「わっ」

後ろから、癸生川によってその資料は取り上げられた。
見られて困るものを放っておくぐらいなら、自分で管理すればいいのに、とは逆鱗に触れそうなので言えなかった。

「癸生川も手伝ってくれよ」

「断る!」

「困るよ。僕じゃ分からない資料とかまだたくさんありそうなんだよ」

「じゃあ掃除しなければいい」

「もう…」

どうしよう。
これじゃ掃除が進まない。
困った。
でも、こうしていても仕方がないので掃除機だけでもかけよう。

「次は何をする気だ」

「掃除機をかけるんだよ」

癸生川は徹夜明けのテンションで何か喚いているが、僕は無視して掃除機を取りに行った。
台所の隅にある小さな掃除機は、僕が来たときに買ったものだ。
ここにある家電で一番新しいのはこの掃除機だろう。

「癸生川、ちょっとどいてくれないかい?」

「む」

コンセントを挿して、スイッチを押すと、なんとも言えない音が鳴った。
でもなんとか使えそうだ。
掃除機は先程落としたホコリやゴミを吸い込んでいった。

「はー…」

が、僕は手を止めた。
何故。
癸生川が、目の前から動いてくれないから。

「……癸生川」

「なんだ」

「掃除できない」

「だからしなければいいのだ!」

「……僕がしなきゃ誰がするんだい?」

こんなホコリまみれじゃいつかアレルギーを引き起こすよ。
そう言おうとした瞬間、

「ん…ッ!?」

唇を塞がれた。
癸生川の唇で。

「ちょっと…癸生川…?」

唇が離れたので、恐る恐る聞くと癸生川は少し悲しそうに笑って言った。

「無理しないでくれ」

そう、珍しく僕の身を心配した。

「なにしろ…」

「君の代わりは、いないんだ……だろ?」

分かってるつもりだ。
僕は体が丈夫な方じゃないし、この都会では僕の能力は厄介なだけだってことも。
この能力のせいで、体が弱ってきていることも。
だから、僕に出来る精一杯をやろうとしているんだ。

「無理してないよ」

掃除くらいのことでこんなに心配されたら堪らないな。
まったく、いつから君はそんなに気遣いのできる男になったんだ。

「そうか」

「うん…じゃあ掃除の続きをやるよ」

「…物をどかすくらいは僕がやろう!」

癸生川は珍しいことを言って、黙々と作業しだした。明日は雪が降るかもしれ
ない。
いや、今は12月だからその可能性は大いにある。
僕は一人笑い、掃除機をかけた。

「なんだ」

「いや、別に」

「む……あけおめだ!」

「あれ、本当だ。掃除しながら年越ししたのは初めてだよ」

今年もきっと、この探偵は僕がいなきゃだめだな。



――――――
2009.1.1
年表でいうと1996年12月31日〜1997年1月1日ぐらいの出来事かな?
五月雨の破壊力ハンパなかったです。

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