ジャスティン×ベンジャミン 二人きりのベッドの上で

昔々あるところに、誰よりも美しく透き通るような赤色の髪をした少年がおりました。
顔立ちも秀麗で、人形よりも優れているのではないかと言われることさえあった容姿を持つその少年は、その内側には外見からおよそ見当もつかない嗜好を持っていました。
時に彼の美しい髪は似た色の返り血で汚れ、嗜虐性を満たすために犠牲になったネズミなどの小動物の死骸が転がっていたりもしたのですが……失われた命に対して何ら顧みることのない彼のことを、少々傲慢であったと語る口があるかもしれません。
幼かった少年も青年としての階を上り、剣の腕も立ったことから傭兵稼業で暮らしの糧を得ることにした彼は、やがて同類と組み仕事にあたった方が効率が良いと気づきました。
しかしそれは、彼の容姿をあまり良くない意味で利用しようとする輩との、戦いの歴史の始まりでもありました。
着飾ったそこらの街娘が霞んで見えるほどの素材の良さでしか彼を評価しない連中は、彼を自分たちの夜の慰みものとして扱おうとしたのです。
一度だけならうまく言いくるめて場を抜け出したりもするのですが、誘いは嫌気がさすほどに頻繁で、実力行使に出られたのも片手で足りる回数ではありませんでした。
故に、彼は。
ならず者と然して変わらなくなった同類を己の手にかけ、正当防衛の果てに訪れた結末への哀悼を、嗜虐衝動をなだめるときに奏でるギターの音色に重ね合わせました。
歪んだ形で出会った音楽の世界は、やはり歪な形のまま青年の隣にあり、歪みを孕んだ新たな同類と引き合わせるきっかけとなります。
彼の瞳の光と闇。
どちらかしか知らない者たちは、当面の生活を通じて彼への理解を深めようとしているようではあるのですが……。



名をベンジャミンという彼ですが、記憶を失っていた期間に呼ばれていたアオイドスという通称が、世話になっている騎空団内でもすっかり定着し複数の呼称が時折混じりもする一風変わった日常を送っていたある日の朝。
彼の瞳の闇の部分をよく知るジャスティン──彼もなかなかにこの騎空団の空気に染まりつつあるようです──が、彼らのタコ部屋でまだ眠っていたバレンティンを蹴飛ばして起こし、先に起きだして部屋にたったひとつある鏡の前に腰かけて、鏡の中に映る自分の髪を弄っている赤の君を遠巻きに眺めていた。
(今日もやはり、『アオイドス』のようですね)
精神の均衡が著しく変動しない限りは、ジャスティンのよく知る『ベンジャミン』の状態にはならない。『アオイドス』であった時間についての理解を深めるのも大切ではあるが、ジャスティンにとっては『ベンジャミン』であった時期が自分たちの知る時間のすべてと重なり、取りこぼしがないかどうかを確認するのも大切なことだった。
(誰に頼まれたわけでもない、と言われても。僕自身が気になるからこそ、話したいことがある)
櫛に手入れ用の油を含ませては髪を梳いていくアオイドスは、ジャスティンの意味ありげな視線を横顔で受け止めつつ俯き加減で肩から下へ続く赤をいくつかの房に分け、櫛を入れていく。
毎朝行われるその儀式に手を貸すのはジャスティンの仕事の一つであった。
髪が絡まったり痛んだりしないように、丁寧にひと梳りずつ、アオイドスが今手掛けている側とは反対側の房をひとつひとつ手入れする。
これは『アオイドス』としての時期には余人が手掛けたことのない作業であると聞いている。
彼はやはりアオイドスであるが、同時にジャスティンにとって誰とも替えの利かない存在である『ベンジャミン』でもある。後ろ姿だけ見れば淑女の朝支度を手伝う栄誉を賜った果報者にも見えるジャスティンは、自分の担当した側の仕上がりを確認してから自然を装って、アオイドスに提案した。
「ベンジャミン」
まだ櫛入れが途中ではあったが、アオイドスが手を止めてジャスティンへと振り向く。
「僕、まだラードゥガに立ち寄ったことがないんです。よければ今日、一緒に行ってくれませんか」
バレンティン抜きで?
アオイドスの顔にはそう書いてあったが、二の句を発そうとしないジャスティンのただならぬ様子に、これは何かあるのではと察して半歩引いた。
「依頼が長引かなければね」
という、業務連絡じみた是ではあったが。



バレンティンに大量かつどうでもいいような雑用を言いつけてタコ部屋に拘束した状態で、アオイドスとジャスティンはラードゥガへと足を踏み入れた。
「あら、珍しいお客さまね」
ラードゥガを取り仕切るファスティバの他には、誰もいない。まだ夜がそれほど更けていない影響もあってか、ファスティバも手伝う主調理室での食材の仕込みも半ばまでしか進んでいなかった。
向こう数日のうちに食卓へと出てくるものの一環だから、あまり手を煩わせないように。気を使うことにしたアオイドスが、手のかからないノンアルコールカクテルを二人分、材料を受け取ってシェイカーを振る。
手慣れたふうのアオイドスに聞かねばならないことが増えた気もしたジャスティンだが、グラスに注がれたウイスキーオレンジの色合いに、心がさざめかないわけがなかった。
三人で船内活動をすることの多い彼らが、あえて二人で秘密の夜を過ごそうとしているのかもしれない。目の前の二人の間に何があったのかを詮索するようではラードゥガのマスターなど到底務まらないし、心の機微を知らなければ繊細なお客の話し相手になれるわけもない。
ファスティバは仕込みの手を止め、巨躯からは想像しがたい軽い足音をたてカウンターから降り、入り口にぶら下げてある札を裏返して休業である面が表から見えるようにした。
「──ありがとうございます」
ジャスティンはやや固くなってしまった声でファスティバに礼を言ったが、ふと目があったファスティバにウィンクされ、『ごゆっくりどうぞ』と何やら念じられてしまい。妙な勘違いをされでもしたら、と案じる暇もなく、カウンターのスツールに腰かけたアオイドスがグラスに口を付け始めた。
ジャスティンも続いてグラスに口をつけ、舌の上で液体を躍らせる。新鮮な果実の風味が鼻に抜けていく、非常に爽やかな一杯だ。かと思えば、グラスの底をよく見てみると焦げ茶が沈んでいる。気になってマドラーの先で焦げ茶を掬い、一口分を飲み下したばかりの舌の上にのせてみると。
オレンジとカラメルの濃縮された風味が一気に解けて、デザート感覚で風味が楽しめた。
「──美味しい、ですね」
ジャスティンの素直な感想を聞いてにっこりと微笑んだアオイドスは、足を組み直して上体をジャスティンの方へと捻った。
「喉にも刺激の少ない材料で作った、蜂蜜ベースの亜種を楽しむのは次の機会にするとして」
被っていた帽子を空いているスツールの座面に置き、アオイドスはジャスティンを見つめた。
「結論から言うと、俺はちゃんとヴァージンのままで──」
唐突に噎せるジャスティン。
「ちょっと、ベンジャミン、過程が飛びすぎている以前に僕の聞きたかったことを曲解しすぎなんですが」
おかしいな、と首を傾げるアオイドス。聞きたかったことではなく、知りたかったことだということはジャスティンの秘密であるが、いとも簡単にしっとりとした空気が破壊され緩みたるんだ面白おかしい空気に変わってしまうとペースを乱される。
「僕はあくまでも、僕たちと会うまで一度も『アオイドス』とは違う状態にならなかったのかってことを聞こうとしたのであって」
雰囲気に流されかけた結果遠回しに聞き出す努力をジャスティンは放り出し、アオイドスの過ごした時間についての理解を深める作業を開始した。
「今の騎空団に身を寄せるまでの貴方について、ある程度は聞いています。でもそれで全部なのか。貴方自身が忘れていることが、まだ何かあるのかもしれないと思うと」
それを知る人間に、僕は嫉妬せざるを得ないんです。
昏い光を宿したジャスティンの目は、言外の想いを雄弁に語る。
人とは得てしてそういう生き物なのかもしれないが、この時のジャスティンはほかの意図へと曲解し様のないくらいの熱視線をアオイドスへと向けていた。
「それを言われると、何か思い出せていないことが残っている気がしてくるけれど」
すぐに全部思い出せて語りつくせるような薄っぺらな喪失であれば苦労はしない。時間をかけてゆっくりと、記憶のもつれを解いていく必要があるのはきっと二人ともわかっている。
わかっているのに、たどり着く場所は同じなのに、辿れる道が違っているから苦しく切ない。
息の詰まる、悲しみを帯びた静寂。
「──時間さえかければ、可能性が上がるなら。嫌がられようと邪魔が入ろうと、僕は隣から離れませんよ」
そのくらいの覚悟ができずに、どうするんですか。生半可な気持ちで貴方を探していたなんて考えないでください。
アオイドスにのみ宛てられたブレストークは告白じみていて、口にしてからジャスティンはひとり冷や汗をかきかけたが。
それは杞憂だった。
うっすらと唇を開いたアオイドスが、ジャスティンの口元をじっと見つめて。
いつの間にか気を利かせて二人に背を向けていたファスティバに感謝しつつ、ジャスティンが親しさの度を越えた距離まで顔を近づけると。
アオイドスの瞼が落ちて影が生まれ、それを至近で堪能したあと最後の距離をゆっくりと詰めて、ジャスティンの唇がやわらかなものを捕らえる。
触れた瞬間に自身の中で一気に燃え上がるものを感じたジャスティンは、この場でこれ以上はまずい、と惜しみつつ物足りなさげなアオイドスの唇の端を拭った。
一呼吸おいて、下手をすると自分よりも細いかもしれないアオイドスの腰を抱き寄せ、欲望を隠そうともしない目をしたジャスティンが囁く。
「僕に散々捜させた償いを、してくれませんか?」
無意識に惹かれた、暗闇を思わせる色をした瞳の揺らめきに呑み込まれて、気づけば頷いていたアオイドス。
償いの舞台は勿論。

[ 9/14 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -