【牛及】ゆるふわ温泉紀行

……あれ?
スマホの道案内アプリとにらめっこしながら一歩半先を歩いてた牛島が突然立ち止まり、勢い余って俺は見事なまでにたくましい背中にぶつかった。
くそぅこいつめ、俺がぶつかった程度じゃ崩れないとでもいいたげだな……。
意外そうに振り向き、きょとんとしていやがる。なんてやつだ。
ちなみに現在俺たちは秘密の旅行中なので、あんまり目立つ真似はしたくない。その上になぜか牛島ときたら密会気分でいるらしく、道案内アプリに頼りきった珍道中もちゃっかり楽しんでるんだからなんか面白くない。
温泉旅館に予約した入館時刻が近づいてるのに、それらしき建物にたどり着かない現状をどう思ってるんだろね?

「及川」

なんか嫌な予感がする。

「何」

「充電切れだ」

あーーーーーーー!!
もう!!!!!
これだから!!!!!

いや落ち着け俺。
先にスマホの充電切らしたのは俺。
わかりにくい道だから近隣の大きな駅まで送迎しますってせっかくの申し出を、牛島の意向があったとはいえ直接お断りしたのも俺……あれ? 別に俺に全責任があるわけじゃないよね。
でもでも、直接の移動時間を考えたら、言い合いしてる時間だって惜しいし。正解の方角に移動し始めていないともう間に合わないはず。
どっちに向かえばいいのかあやふやにしかわからないけど。
二人分のお泊りセットを装備してる牛島が、予備バッテリーなんて持ってるわけないから……あーあ。温泉で日頃の疲れをゆっくり癒すはずが、たどり着くまでにお疲れの上乗せとか、日頃の行い悪かったりするのかな?

非常時に備えてあらかじめ印刷しておいた大まかな地図だけが、今の俺たちに残ってる手がかり。
自然豊かな、都会の喧騒とは無縁の僻地にひろーい敷地で建ってるその旅館は平屋って聞いてるから、遠目で建物を探そうとしても簡単には見つからない。
秘密のあれこれにはうってつけなんだろうけど、どう考えてもつく前に迷う時間がほとんどの利用者にとっての関門って気がする。

色々考えながら歩くしかないんだけどね、俺たちは。
特に俺は、牛島に一切の荷物を持たせてるわけですし。

日が落ちる前に何としてでも旅館を見つけないと、野宿まっしぐらになる。
それは困る。
野宿なんかしたら、せっかくの俺のもちもちのお肌に余計な負荷がかかるし、非日常にサカった目の前の男が雄へと変貌を遂げてお外でアーレなことになるかもしれないじゃん。
そんな展開、神様が許してくれても俺は許さないんだから!

「及川」

だってさぁ、お外でってことは、横になってあれこれしにくいでしょ。

「及川」

立ちバック、深く入りすぎて苦手だから、適度なところで調節しやすい体勢じゃないとつらいし。

「……及川?」

そもそも生でする前提なんだから、後始末とかどうするのってわけですよ。

「及川!」

「何もう俺だってお前としたくないわけじゃないんだ、か、ら……」

「…………その」

珍しく言いよどむ牛島。口元を手で隠したりして、柄にもない。
いつもなら必要もないのに俺のことまっすぐ見据えてくる視線も、意図的に逸らされてるし。

「そういうことは、部屋で二人きりの時にだけ、言ってくれないか」

あ、えっと、あれ?
もしかして。
さっきの、全部、口に出て──


あわわ

いたたまれない!!!!!
これじゃあ俺がまるで、牛島とえっちしたくてたまらない子みたいじゃないか!
実際こいつとするのはすっごく気持ちいいけど!
体だけが目当てとかそんなんじゃないし!

色々な問題が残ってたけど、とりあえず全部放り出して、俺の両足はゆるやかな斜面の踏み固められた道を一気に駆け上がっていった。
牛島を振り切り、息が上がるまで、勾配の影響で足の動きが鈍くなるまで。

──俺に生涯ただ一度の恋を捧げると宣言すらしたあの牛島に限って、これしきのことで俺に幻滅することはないだろうけど。
気分を損ねた可能性なら、大いにあるだろうな。
見知らぬ土地で一人になると、底なしの自由と果てなく続く空間に圧倒されて、自分がひどくちいさな存在に過ぎないと宣告されているようで。
全方位に広がる万象とは比較にならぬ、ごく限定的な居場所しかまだ持ち得ていないのだと自らを強制的に顧みる羽目になる時間の存在は、ずっと無視していただけに堪えた。

弱気に振り回されて、目尻に涙でも浮かぶかどうかの、瀬戸際で。

遠くに見える小さな灯りがわずかに大きくなって、エンジンらしき機構の稼働音もかすかに聞こえて。
思考の海溝に引きずり込まれる寸前で助けられた俺は、予約の時間をとうに回っていたせいで迎えに来てくれた旅館の車に回収された。
十数分後に隣の席に腰を下ろした牛島と何を話すのが一番自然なのか、答えが出る前に旅館に着き、部屋へと案内されてしまい──余計に困り、迷った。



食事の前に旅の汗をゆっくり洗い流す時間はなく、埃を洗い流すくらいに留めてお夕食をいただいたんですが。
うん。
おいしいものは、気持ちも上向きにさせてくれるね!
山のものも海のものも、それぞれの持ち味をうまく引き出す板前にかかれば、薄い味付けでもとっても深みのあるおいしさになるんだ。
それぞれの品に舌鼓を打ち、仲居さんに一番気に入った献立のリクエストも伝えて、覚悟ができたっていうか。
腰に巻いたタオルの前がおっ立ってたって、もう気にしないって決めたんだ。
え、そこは気にするべき部分なのかもう一度考えろってのはナシで。
だって俺はそんな節操なしじゃないもん。
俺に対して見境がなくなる牛島が大概なやつなだけだもん。
一緒にお風呂を使うって選択肢は、まぁ即座に蹴飛ばしたよね。
牛島が敵意丸出しで他の利用客を威嚇する恐れがあったから。
股間の凶器が物騒だしそんなものが俺の影響で反応してるところを見つかったら事態が余計にややこしくなりかねない。
折角の羽伸ばしタイムがめちゃくちゃになっちゃう。俺たちは痴情のもつれで人様の手を煩わせるメンドクサイ人々にはなるつもりはないから、ちゃんと自制しないとね。

「及川、話とは何だ」

突然声をかけられた。声の主が誰なのかわかってても、考え事の対象が気配を気取らせる前に接近してくるんだから、驚くなってのがまず無理だよ。

「あ、その、えっと、ね?」

どうしよう。
いざ自分で伝えようとすると、相応しい言葉が出てこない。
俺の正面に回って腰を下ろした牛島は、悪態ではない何かを生み出そうとして混乱している俺に気づいたみたいだ。
けど。
何も言わずに口づけてくるとか、反則だよ。
俺、また流されちゃう。
自分の弱さごと全部明け渡して、取り繕わない姿をそのまま見せて、さみしがりでよくばりでわがままな自分の居場所をくれるこの人を、他の誰にも渡すものかと繋ぎとめてしまう。

でもね。
牛島の唇が、俺の顎から下へと降りていくにつれて、そんな面倒な俺だろうと気にせずに手に入れようとしてるんだなって伝わってくるんだ。
肌の上を舌が這い、触れ合った箇所から生来のものとは異なる匂いが生まれて、感覚を丸ごと何もかもが甘い綿菓子の中に埋め込んでいるような、ひどくまろやかな刺激だけを感じ取って。
ぴったりくっつけて敷かれた二組の布団のうち、今回もきっと片方しか使わない。
牛島がこうして俺をぐずぐずに甘やかす限り、俺は自分の下着さえ自力で脱がずに足を開いて恋人を誘うステップから先には進めなさそうなので。

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