その4

ほぼ自由業と言っても差し支えない悪魔の生活は、内訳の個体差も激しい。
ひたすらに眠るもの。享楽に明け暮れるもの。鍛錬に余念のないもの。彼らは、よい意味でバラバラだった。
だから、規則正しく己が決めた時刻に目を覚ます牛島に対して、二度寝を決め込もうとする及川がいても、お咎めなどないはずだった。
本来は。
「起きろ、及川。時間だ」
「ふ、にゃ……ぎゃっ!」
電撃が及川の身を容赦なく貫き、強制的な覚醒を余儀なくされる。不平等な契約を結ばされた及川は、基本的に牛島に言う事には従わざるを得なくなっていた。
逆らえばすぐに牛島からの雷が落ちる。物理的に。まだびりびりと痺れの残る体をどうにか動かし、及川は裸身をむき出しにしたままベッドの横に立ち上がった。
「……あれ、服……」
脱いだとばかり思っていた服が部屋のどこにも見当たらない。
及川のなけなしのポケットマネーで買われた人間界用の服なのだ、一着たりとて無くされては困る。
「あの安物のことか。洗濯には出したが、少々焦げ臭いのは残るかもしれんな」
「……二重の意味で、ひどいと思った。人間になりすまして仕事するときに便利なのに、安物って一蹴されるのは少々心外……それと。焦げ臭いのは残るかもしれないって、どこのどなたが雷落としまくって焦がしたんでしたっけ?」
「躾のなっていない子犬に躾をするのは飼い主として当然のことだろうが」
「だからってあんなに雷落とす必要ありました?」
丁寧な言葉遣いを崩さずに口喧嘩をするのにも、及川は段々と慣れてきていた。
「それに、人の事を犬だ犬だって。犬は! 雷なんか落としたら! 簡単に死にます!」
愛玩動物かなんかと勘違いされても困りますし、と腕を組みふくれっ面をしてぷいと横を向く及川。
その様子のどこが愛玩動物と異なるのか牛島には区別がつかなかったが、及川の機嫌を盛大に損ねたことは彼にも理解できたので、ベッドの傍らに落ちていたブランケットを及川の肩にかけ謝意を表した。
「……その、及川は頑丈だからといって、俺自身も調子に乗っていた部分があるかもしれない。そこは謝る。悪かった。だが……他の奴の前で、そう簡単に表情をころころと変えてくれるな。俺が平静を保てなくなる」
「……フン」
比較的簡単に及川の機嫌は直ったが、さてここからどうやって仕事の話に持っていこうか。
牛島が思案し答えを出しあぐねていたところに、吉報が舞い込んできた。
牛島の業務用携帯端末が、低く静かなバイブレーション音を控えめに部屋の中に響かせたのだ。
「あ……仕事の、依頼? 早く出なよ」
近づきつつあった牛島の唇に指先を当て、及川が端末の方に視線をやる。呼び出しとあっては『続き』に没頭するわけにもいかず、牛島は及川から離れて端末の置いてあるデスクへと向かった。



「……はい。今夜、直ちに」
仔細を聞き、牛島はそのまま通信を切った。依頼の情報は端末上にも文字情報として残されている。画面の明度を落とし、牛島はデスクとセットになっているチェアに腰を下ろした。ブランケット一枚の及川も、その流れでベッドに座り牛島の方を向く。
「何、やっぱり仕事の依頼だったの?」
及川はあまり気乗りのしない様子で、瞳はどこかの虚空を見つめているようで。自らのまだ弱くやわらかな心の内を守るための外殻を作りきれぬままに、最初のひとつを迎えてしまったのだな、という諦め混じりの目をしていた。
「ああ。今回の相手は一人だ。委細はまだお前が知るには早いだろう。見ているだけでいい、手を下すのは俺一人で十分だ」
掌からぬるりと飛び出してきた黒の短剣は今日も変わらず七色の光を宿し閉じこめ、何ら問題ないことを牛島に検分されたのちに再び掌へと戻った。
その様子に背すじにうすら寒いものを覚えた及川は、自らの体を抱き締めるようにブランケットを纏い直す。
(また一人、人が死ぬ……)
魂という形でしか人間に触れてこなかった期間が長い分だけ、及川は生身の人間の生死を逆転させる行為には慣れていないし、慣れる機会さえ今まで与えられずにいた。命を奪わずに自然死した人間の魂を魔界へと運ぶ仕事ばかりを繰り返して、意図的に『狩る』仕事を選ぼうとしなかった及川の側にも責任はあるが、それでもまだ構わないと判断されていた魔界の側の甘さもあるにはある。
けれど、甘い事を言っていられる時期はとうに過ぎてしまったのだ。
及川も独り立ちしなくてはならない。一足早くに一人前にさせられた牛島と同じ道を歩むように、周囲の状況は刻々と変化しつつある。
当の牛島の手ほどきを受けながら、少しずつでも。
それがどれだけ恵まれた環境であるのか、及川は知らない。牛島も、理解させる気がない。
かつて牛島の孤独を及川が埋めたように、及川の不足は自らの手で埋めるつもりでいたためだ。
「夜までは待機だ。ターゲットが帰宅する、道中を狙う。セキュリティのきつい集合住宅の一室のみを狙っての侵入も不可能ではないが、不審な点があるとして人間界の警察が関与してくる可能性もある。それよりも路上で『始末』してしまった方がいくらでも偽装できるからな」
「……慣れて、ますね」
「嫌でも、慣れる。……時間があるからな、日が落ちるまでは俺に付き合え、及川」
「わかりたくはないけど……わかりました」



「って、魔力でどうにでもなるのに、筋トレとかっ!」
規則正しく負荷付きの腕立て伏せを繰り返しながら、及川が文句を言う。
「甘いな、及川。俺の客は賞金が高額な分、一筋縄ではいかない奴らが多い」
その隣で、涼しい顔をして同じ動きを繰り返す牛島がこう続けた。
「俺たちの知る魔界には属さない勢力と組して、悪行を働く輩も多い。魔術戦になる場合も少なからず、ある。そうなったら勝負は接近戦に持ち込まれるだろう?」
「だから、腕っぷしを鍛えておくに越したことはないって理屈、ねえ……わかるような、そうでもないような……」
「及川が思っている以上に、魔界以外にも人間の考える『悪魔』は存在しているのは確かだ。そんな相手とやり合う上では、一人だと少々面倒臭い」
「何……面倒って言ったって、片方は人間でしょう? 隙を見てそっちだけ狙えば、汲んだ相手ごとどうにかできたりしないの?」
「何度か試みた。しかし悪魔と契約した人間は、特殊な力を与えられるらしく、人間の側も悪魔と同じ魔法を使ってくる場合がほとんどだ。だから、手っ取り早いのは逆の手順になる。悪魔を先に倒して、その後に人間を狙う。こちらも相応の被害を被るのは承知の上だ。契約した悪魔が倒された時点で九割五分、人間は戦意を失うからな。後は想定していた手筈通りに人間を狩って、終わりだ」
「……手間、かかりますね」
「それを一人でやるのと二人で分担するのとでは、効率が全く違ってくる。お前なら公私ともに最高の伴侶となってくれると、俺は期待している」
「……そう、言われても……」
雰囲気が妖しくなり始めたところで腕立て伏せは切り上げて、同じく負荷つきの腹筋や背筋のトレーニングに移る。
疲労困憊した及川を抱きかかえてシャワーを浴び、ひと眠りしたところで。
その瞬間は、訪れた。



「起きろ、及川……そろそろここを発つ」
「うん……判った」
牛島が及川のために誂えたのは、一見すると何の変哲もない黒いスーツだった。
ネクタイは締めなくていいの、と及川が問えば、これから向かう先ではしていない方が街に馴染みやすい、と牛島が答えて。
そういうものなのか、と深く考えずに袖を通した及川は、渡されたシャツやスーツの上下全てに強い防御の魔法がかけられていることに気が付いた。
「牛島、これって……」
「魔術戦になれば服などあっという間に消し飛ぶからな。姿を消す余力まで使い切った状態で、全裸で街を歩くわけにもいくまい」
「あ、そういう事で」
もっとロマンティックな事情でもあるのかと若干の夢を見ていた及川は、あっけなく砕かれた己の夢想を振り捨ててベルトを締める。夜の商売に携わる人間にしか見えなくなった二人は、姿を消して窓をすり抜け、夜の街へと身を躍らせた。
「ちなみにさ、どこへ向かってるの?」
牛島に手を引かれるがままに空を飛翔する及川は、無邪気に牛島に問うた。
「この街の歓楽街だ。魔界のものとは違って、より不健全で危険な場所だ。……人間たちにとってはな」
「歓楽街……」
及川は必死に、本当に必死に、その様子をイメージした。性的なアピールも甚だしい淫魔がありとあらゆる生物から精気を搾取する魔界の歓楽街しか知らない及川は、人間の作り上げる夜の歓楽街をよく知らない。そんなところで自然死する人間などほとんどいないからだ。
「考えるよりも実際に目にしてしまった方が割り切れる。目を慣らすためにも、少し早めに街に降りて散策に時間を充てる」
行き交う人々を物理的にすり抜けさせながら、二人は着地し街に足を馴染ませる。
見上げた空には星がない。代わりにあるのは幾多の文字を形作っているポール上のカラーランプや、飲食店を装う照らされた看板ばかりだ。ここまでは魔界にある淫魔街と然程変わらない。変わるのは、その先だ。歩いていると酔っ払いとすれ違うのは当然であっても、柄の悪い輩は淫魔街にはほぼいない。その点が違う、と及川は真っ先に感じ取っていた。
そして今回のターゲットは、そんな場所に出入りするような底の知れた人物なのかもしれないな、とも思い、手を下す牛島の胸中を慮った。
大通りは混み合っている割にごみが散乱しているわけではなかった。大抵、人通りとは反比例する。一本わき道に逸れれば案の定、烏が好みそうな生活ごみの山が出来上がっていた。
生活感を感じ取ったところで再び大通りへと二人は戻る。夜の街に溶け込んだ淫魔の匂いに時折牛島は眉をひそめ、ナビゲーションのアラートがターゲットの接近を知らせるまで、眉間に皺は寄ったままだった。
『ターゲット、接近』
「及川、今回のターゲットはこいつだ。よく見ておけ、片が付くのは一瞬だ」
言うが早いか、牛島は雑踏の中で振り返る。及川が視線の先を大急ぎで追えば、今まさにナビゲーションのアラート画面に現れている男に似た面相の人間が一人、こちらに近づいている最中ではないか。
「って、透過した状態でどうやって手を出す──」
及川が案じる間もなかった。
牛島は、丁度裏道へ引き込める場所まで男を引き付けておいてから透過を解き、男の口を片手で塞ぎずるずると小路の奥へ奥へと引きずっていく。否──及川の目だからそう見えただけであって、その場にいた人間の目では、男の姿が急に見当たらなくなった、に等しかった。あまりにも鮮やかな手口で、自分たちは幻覚か何かを見ていたのかもしれない、と勘違いを引き起こすほどに……時間的には、短かった。
利き手で男の口を顎ごと固定した牛島は、誰の目もなければ注意も向けられない場所まで男を移動させ。
馬乗りになり、ゆるく握っていた右の拳を開いて──掌から夜闇に溶け込む短剣を取り出し、掌ごと一息に男の心臓目がけて突き立てた。
一気に刀身の毒が全身に回り始め、男の体がびくびくと痙攣し始める。
「安心しろ、及川。麻酔薬だ、この男は死の瞬間まで痛覚さえ感じずにいられる」
ならこの痙攣は反射的なものなのか、と少しだけ身のこわばりの解けた及川は、それでも尚苦しそうに見える男の目を見つめる。
「……及川?」
及川が何を考えているのか読めなかった牛島は、両の手は緩めずに首から上だけを及川の方へ向けて意図を問うた。
「……いくら何でもさ、誰も看取ってくれないのは、気の毒だから」
びくり。
びくり。
痙攣の頻度が落ちていく。
「それに……ほら」
ぎこちない手つきで、開かれたままの男の両目を手で伏せさせた。
「もう、逝っちゃったよ」
生きていれば、どれだけの罪を重ねる未来がこの男に待っていたのかは及川は知らない。
知らなくても死を悼むくらいのことはしてやろうと思っていた。
それがまだ半人前にすらなれていない自分の出来る、精一杯なんだろうかと。
及川は一人、自問していた。



狩った魂を魔界へと運び、すぐに二人は人間界へと戻った。
いつ次の依頼が舞い込んでくるかわからないからだ。
牛島の根城に戻って服を脱ぎ捨てると、牛島は及川をシャワールームへと誘った。
熱いシャワーを二人で浴びながら、ふと及川は牛島の体が昂ったままだと気づいて、無意識に手を伸ばしていた。
「っ、おい、何をす──」
「それ、そのままにしておくの? つらくない?」
張ったカリの裏を指先で何度も擦ってやれば、いよいよ腹に付きそうなほどに反り返り滴を垂らしていく。
荒い息を吐き自身の快楽に没頭し始めた牛島を尻目に、及川もまた自分側の準備に余念がなかった。
分泌させた粘液で濡らした指を二本、尻の奥へと捩じ込めば、覚えさせられた緩やかな快楽が蘇り自発的な潤みも生じる。
壁に手をつき、牛島に背を向けて尻を突き出せば、程なくして牛島の剛直が及川の体内を蹂躙し始めた。
「あっ、う、んっ……奥、おくついてぇ……!」
早々に理性を放り投げた及川が牛島にねだり、牛島もまた及川に応えつつ自分の快楽の探求を並行処理していく。
シャワーの湯が二人の肌を叩く音と、肌と肌がぶつかり合う際に生じる粘着質な水音と。
最後には及川の両足を抱え上げた牛島が一滴残らず及川の中に注ぎ込み、思わぬ形で供給され続ける魔力によって及川は徐々に魔術的な強さを増していくのだが、そう気が付くのはまた別の話になるであろう。

[ 87/89 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -