その2

牛島は外観の美醜には然程関心がないものだと、自分では思いこんでいた。
しかし、及川の外見は端的に言うと、好ましさを覚えるものとしてカテゴライズされる。
具体的にどこがどう、という段階まではまだ至っていなかったが、及川の悪魔らしからぬ『ぽっぷ』で『きゅーと』なデザインの尻尾を模したアダルトグッズの類は人間界の通信販売で目にしたことがある。なのできっと、大衆受けもするのだろう、と思い至ったところで、無意識に牛島の手は魔力を練り始めていた。
触媒となるのは、罪を犯した人間を人間界の法で裁く際に罪人の手の動きを封じるための枷──手錠だ。それも本物の。
職業柄顔の広い牛島は、常であれば人間どころか悪魔であっても入手が困難な代物であっても、そう難渋せずに入手できる。
今回もとある伝手を辿って以前に手に入れていた手錠に、一定以上の魔力を込めなければ破壊不能な絡繰りを施して、硬度を上げていった。
それを持ち、先ほど抱き潰したばかりの及川の眠るベッドルームへと戻り。微細な電流を流して、覚醒を促した。
「起きろ、及川。お前の今後について、俺から提案がある」
体の中でぱちぱちと爆ぜる電流に及川は最初抵抗していたが、徐々に強められていくうちに眠ってもいられなくなったようで、布団を捲ってがばりと起き上がった。
「……何……ですか。藪から棒に」
あれ、シーツもう取り換えたんだ、と余計な所へ注意を向けている及川にいら立った牛島は、少々強めに神経回路へと直接電流を流し込んだ。
「あ、がっ!」
びくり、と及川の体のあちこちが一時的に痙攣し、整えられたシーツを乱す。悪い病の発作を想起させるほどに及川の体をのたうち回らせた後、牛島は電流を流すのを止めた。すっかり呼吸を乱し、眠るどころではなくなった及川を確認して溜飲を下げた牛島は、当初の予定通りにこう提案した。
「『これ』が必要か不要かは、お前次第ではあるんだが」
先ほど魔力を込めたばかりの手錠を及川の目の前にぶら下げ、牛島は続ける。
「俺に付き従い、仕事の上でもパートナーとなるか。それともただ単に家にいて、外出は必要最低限の生活を望むか。明日までに答えを出せ。質問は、受け付ける」
唐突に自分の今後の身の振り方を決めろと言われた及川は目を白黒させ、え、あ、う? などと、意味をなさない音を口から何度も吐き続けて。
「ちょ、ちょっと待てよ、いきなりそんなこと言われてはいそうですかなんて選べる二択じゃないだろどっちも!」
びりり。痙攣を起こすほどではないが、忠告にはなる程度の電流が再び及川の身に流される。
「言葉遣いには気を付けろと一度仕込んだはずだったが、もう忘れたのか?」
犬以下の物覚えの悪さには給金は出せんぞ、と及川の前髪を掴んで視線を強制的に絡ませた牛島が、至近距離で囁く。
「ごめ……んなさい……」
屈辱に唇を噛む及川。それさえ牛島の気分を高揚させる材料だ。この男の表情をもっと引き出したい。自分しか知らない表情を、この瞳の中に永遠に刻み込んでおきたい。そう願うほどに。
「繰り返す。何か、質問はないか」
前髪を離し、及川を捨て置く牛島。支えを失い突っ伏した及川の目は死んではいない。逆だ。いつか必ず復讐してやると、怨嗟の炎が大いに燃えていた。
「じゃあ、聞かせてください。さっきは確か、家の中なら自由に過ごして構わないし、貴方の相手をするときも他の用事がある時も呼ぶって聞いたように思います。それに……他の仕事は一切受けるなって話は、どうなるんです? 矛盾があるような気が、するんですが」
「気が変わった。お前は俺の仕事の手伝いをさせても何ら遜色ない程度には魔力もあるし、使いこなすだけの能力も備わっている。こちらはこちらで人手不足でな、使える者がいれば連れてこい、が最早合言葉にさえなりつつある。実際、叩き起こす時に抵抗して見せただろう。あれくらい出来れば残りは俺一人でどうとでもなる」
少々鼻につく口ぶりであったが、牛島の仕事──フリーランスで短期かつ高給の仕事を引き受け続けるには様々な能力が必要で、ある程度組織として動くためには良質の人材を一定以上確保しなければならなかった。納期には余裕があっても、舞い込む仕事の量が増え続けるようでは、操業不全に陥る末路は見えていた。それを憂い、及川を引き入れようとした目論見がなかったとは、言えなくもない。
半分以上は、公私ともに及川を手元に置いておきたいという、牛島の私情ではあったのだが。
「勿論、仕事のない時間帯や日は家で自由に過ごして構わない。それはお前の権利だ。だが、俺が呼び出した時は俺の方を優先してもらう。この一線は譲れない」
カウチに腰を下ろして足を組んだ牛島は、そのまま逼迫した人間界での仕事量の多さを嘆き始めた。
「そもそも、あの給金につられて俺のところへ来る奴は九割九分生活に困窮した新人ばかりで、仕事上では使い物にならないような奴だろうと思っていたから、追い返すつもりでいたんだ。天界行きの人間の少なさは即ち、魔界の管轄の人間が増えるのと同義であり、俺たちがいくら裁量で天界送りにしたところで追い返されてくる始末だ。そこまで今、人間全体が『こちら側』へ堕ちている。元から悪魔に生まれてくるべきだったとしか思えないような人間さえ散見される。悪行をそう簡単に働けないよう淫魔の連中も精一杯やっているらしいが、如何せん多勢に無勢だ」
何の気まぐれか人差し指を立てた牛島は、その指で三度円を描き……指を下ろした。
瞬間。
明滅する視界、一瞬の後に鳴り響いた轟音。
無意識に目を閉じ耳を抑えた及川は、地鳴りが行き過ぎたところで体の力を抜き、恐る恐る目を開けた。
「……今のって、落雷?」
こともなげに牛島が答える。
「そうだ。一件、この近辺で一家まとめて『処理』する必要のある件が発生していた。隣家に影響の出ない範囲に絞って落としたから一命をとりとめようもないだろうが、念のため検分してくる」
そう口にして立ち上がった牛島の手には、漆黒の短剣が握られていた。
「お前はここにいろ。新人が目にするには、少々刺激が強い現場かもしれんからな」
ベッドヘッドのポールに手錠の片側を、もう一方を及川の右手首に繋いで、牛島は翼を広げて窓の外へと身を躍らせた。
瞬く間に見えなくなっていく出来立ての『相棒』の姿を、及川はただ見ていることしか出来ずにいた。

十五分もしただろうか。
顔色ひとつ変えていない牛島が、閉じたはずの窓をすり抜けて戻ってきた。
着地し、握っていた短剣を掌の中へと戻して、ベッドで大人しくしていた及川の頭を撫でながら、死を運んでいったばかりの男はあっさりと日常へと戻ってしまうのだ。
「やはり問題はなかった。一家全員、揃って焼け焦げていたからな、お前はもっと経験を積んでから──」
ぽたり。
及川の瞳から、滴り落ちていくものがあった。
「あ、あれ? おかしい、な……」
自由な左手を駆使して何度拭っても、溢れ出てくるものは止まらない。
悪魔は人の命を無慈悲に奪うもの。それは、その人間が『そうされる』に相応しい人間でしかないから。
わかってはいる。このところ冴えていない及川の頭でも、いや心の底でも、わかってはいるのだ。
それでも。ここまで無慈悲に、人の命を刈り取ることに、及川は慣れていない。慣れる以前に、経験を積んでいない。
自分の死に、納得してから逝ってもらいたいと願ったからか。それとも、ただ突然に、命が奪われていく事象への感傷か。
いずれにしても、少なくともそのどちらかが、及川に涙を流させた。
ベッドヘッドの手錠を、牛島が静かに外す。途端に及川が牛島に抱き着き、一瞬牛島がたたらを踏んだ。
「……彼らを『送る』最上のタイミングはあの瞬間しかなかったと、お前もいずれ思えるようになるだろう。それまでは……苦しいだろうが、耐えてくれ」
服が濡れていくのも厭わずに、牛島は及川の形のいい後頭部をひたすらに撫でていた。
それは、親が子を導くようでもあり、夫が妻を慰めるようでもあった。

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