【岩及】九九と素数 ※ブラコンの捏造兄います

「お兄ちゃん、宿題手伝って?」
教科書とノートを抱えて部屋に入ってきた徹は、予習しているフリに騙され、遠慮がちに声をかけてきた。
二つ返事で快諾した時の、ぱあっと花が咲いたかのような笑顔を見るためだけに、自分の貴重な時間を弟に割く優しい兄を演じている。
危ない趣味は今のところないが、どこぞの誰かに徹を嫁にくれとそのうち言われるだろうから、もうそろそろ心の準備をしておかないとな。
まだ早いって?
そんなわけがないだろう。
徹がよその男のものになるんだ。何年かければ割り切れるか、想像もできない。
簡単に割り切れるほど、徹がかわいくなかったなら、どれだけ俺は楽だったのか。
全く違う人生を歩んでいたに違いないと断言できる。
そのくらい、弟の徹はかわいいんだ。

ローテーブルを出して向かい合わせに座り、広げたノートに一度目を通してから閉じて、数字の羅列を復唱する徹は真剣そのものだ。
何をしてもかわいいのは事実でも、四六時中徹にでれでれしていては、頼り甲斐のある兄と思ってもらえなくなるかもしれない。
緩みっぱなしの表情筋に鞭を入れると、徹の好きな「かっこいいお兄ちゃん」が手軽に出来上がる。
整った顔立ちに生まれた利点を弟相手に存分に使う兄、と書くと笑い話でしかないが、今のところそれ以上の目的を俺は見つけていない。
ブラコン?
上等。
徹がこんなにかわいいのに、ブラコンになるなって言う方が無茶だ。
むしろ、徹に興味なんかない、って奴がいるのが俺には信じられない。
徹のかわいいところを紹介するプレゼンテーションなら、三日三晩続けられる自信、あるぞ?

ミルクたっぷりのココアが溶けたような柔らかい髪はいくら眺めていても飽きないが、その持ち主はものの数分で教科書に飽き、一丁前に腕まで組んで自分との戦いを始めている。
年の離れた弟が持ち帰ってきた算数の宿題は、やや風変りなものだった。
授業中に簡単な自己紹介を行い、得意な段と苦手な段をそれぞれ読み上げる、といった趣向らしいのだが、諳んじている段があれど正確さに欠ける現状を目の当たりにすると、どうフォローをしていいのかがわからなくなってくる。

「にいちがに、に……に……ににんが、し?」

よしよし徹、そこは合ってる。大丈夫だ、兄ちゃんが保証してやる。

「にさんが……はち?」

ちょっと多いぞ、徹。八になるのは二の三乗だ。お前にはまだ早いやつだ。

「にし……にし……ろく?」

どうしてそこで足したんだ。しかも前の数より減ってるぞ、気づけ。
ああでも、九九がわからずに小さい頭を傾けてウンウン悩み唸っている徹は誰よりもかわいい。
九九が危なっかしくてもそのかわいらしさの前では何ほどの問題になろうか。
指折り数えても答えが違っているのがまた、いい。
たまらない。

「えっと、つぎ……なんだっけ……」

十、十二、十四、と増えていくはずの二の段が、まだ半分もうまく出てこないのだから、徹はおそらく二の段が一番苦手なんだろうな。九九の早見表を引っ張り出して、ひとつひとつ指さしで答えを確かめている。

「にいちがに、ににんがし、にさんがろく、にし……」

あ、気づいてないな。
さっき徹は、『にさんがはち、にしろく』という新種の九九を編み出していたのに。

「にし、ええと……」

そうそう、指さし確認して、八を見つけるんだ。

「あった、じゅう」

……違った。どうしてそこでひとつずれるんだ、徹。
この調子で、明日の発表に間に合うのか?
いや、間に合わなくても徹はかわいいし、兄ちゃんはいつだって徹の味方だ。
けどな、これを機に、徹のかわいさが余計なところまで広まって、いじめっこに徹がいじめられないかが、兄ちゃんは気がかりなんだ。
よその学校の子も含めて、徹かわいさで変なことをしてこないか、とかな。
[newpage]
早いものだ。
九九の危なっかしい徹の宿題に付き合って、十年経つのか。
久しぶりに実家に顔を出したら、岩泉さんのところの一が徹の部屋にいて、俺の代わりに徹の宿題に付き合ってるなんて、あの時は想像もしなかった。
宿題に付き合ってるのか、徹と付き合ってるのかは微妙なところだが、背丈ばかり高くなって顔つきがほとんど昔と変わらない徹の隣には、一みたいなのがいる位でつり合いがとれるのかもしれないな。

「今日の数学の宿題、岩ちゃんのクラスでもう終わったとこかなぁ」

高校で別々のクラスになってしまい、前と同じように同じ宿題で仲良く悩んだりできなくなった、と徹がぼやいていたのを思い出す。

「どこだ、見せてみろ」

教えてあげる気なんだな、一は。

「えっとね、ここ」

……顔が近い気がするけど、兄ちゃんは気にしない、気にしないぞ。

「問七か」

さりげなく視線を向けると、なかなかに複雑な計算式が途中まで書かれている。
九九に四苦八苦していた徹が、自力でこれだけ数学と向き合えるまでに成長していたとは、兄ちゃん嬉しいぞ。

「なんかね、答えが違ってるみたいで」

どれどれ。
一に倣って徹の計算過程を順に追いかけていく。
かなり昔にやったきりろくに触れていない数学の公式はすぐには思い出せないが、数値計算の正誤くらいは大して時間をかけずに判断できるだろう。
男の割に丸みのある文字に癒されながら、特に問題のなさそうな過程を二巡してみても、かわいい徹のどこがいけないのか、すぐには見当たらなかった。

が、一はそうではなかったらしい。

「……あー、最後だ」

さいご?
とでも言いたげな徹は、首をかしげてきょとんとしているし、一をじっと見ている。
かわいい。
なんなんだこの生き物は。
俺の弟だ。
鴨居に頭をぶつけそうになっていようと、微塵も損なわれないかわいらしさ、愛らしさはそろそろ文化財に指定した方がいいんじゃないかとさえ思う。
徹の出した答えを正解にすべきだ、とごり押しが出来ない無慈悲な数学の問に対して不満を募らせていると、徹が何をしでかしているのかの解説が始まった。

「最後な、根号の中身、三桁になってるだろ」

確かに。
徹も頷いている。

「うん」

252。
最終的に求められた値にしては、どうも不格好な数値だ。

「252って、どんな数をかけあわせてできた数字かちょっとでも考えたか?」

ええと……と、徹は早速考え始めた。
前と違って、今回は指折り数えていない。

「……よく、わかんないや」

たぶん、2はかけてあるような気はするよ?

今回ばかりは、徹の独り言を聞かなかったことにしたかった。
額に手を当て言葉を失った一はきっと、俺よりも事態の深刻さに振り回されているのかもしれないな。
根号の中身をどう処理すべきか、順を追って復習する羽目になった一は、こんな苦労を繰り返しているんだろうか?





根号の中身を簡略化するために、素数が二度出たら外側に出す。
徹の中で、理屈はまだ自分のものになってはいないようだが、何をすればいいか覚えてしまえばどうにかなるのだから、早速自力でやらせている。
……はずだったんだ。

「……及川」

一の低い声に、背中を丸めた徹がしどろもどろに弁解を始める。

「あ、あのね、2をだしたら、なかよしさんがね、ひとりぼっちでね、もとにもどしたの」

しかし、徹が何を言おうとしているのか、さっぱりわからなかった。
一もわからなかったようだ。

「『仲良し』も『独りぼっち』もこの際聞かなかったことにするけどよ」

うわあ、一の顔が妙に険しい。

「素数で割り切れるかどうか、試したか?」

「……え、えっとね」

「た・め・し・た・の・か」

「………………まだ、です」

「2で割ってみたんだろ」

「そう、です」

「じゃあ他の素数で割れないか、総当たりでいいからやってみろ」

一が畳みかけた。
はい以外を徹に言わせない作戦は有効だった。
252を2で割った値、すなわち126を更に何かしらの整数で割れないかどうかを検証していき、順調にいけば根号の外は6、中は7となるはずだった。

なのに、なあ……。

「……あれ?」

「どうして一発目の割り算で141なんて数字になってんだ」

どんな計算をしたんだ。

「……あ、ほんとだ。違うね」

141になるまでの過程が気になったが、下手に突っ込んで時間を浪費するのはもったいない。
正答にかなり近づいた徹を見守りつつ、若人二人の語らいを遮らないように、部屋の隅に座って待っていたんだ。
その時に俺は、記念撮影とばかりに動画を撮っていた。
自殺行為を犯していた過去の自分を、止める手段でもあればなあ。

「ところで、岩ちゃん」

この時すでに徹は、一の膝の上に座っていた。

「素数って、どんな数だっけ」

一の表情が、何とも言えないものに変わる。
ここにきて素数の認識について再確認する必要に迫られている点についてなのか、かわいい徹が膝の上に座っているという実に羨ましい状況についてなのか、絞り込めなかったが様々な意味で本意ではないことが明らかだった。

「どんな数って、正の約数が1とその数だけ、ふたつしか約数のない自然数で」

「それはそうなんだけど、具体的にどんな数だったかなー、ってこと」

男が男の膝の上に座って話すような内容なんだろうか。
いや、徹はかわいいからな。
俺だって徹を膝の上に座らせて仲良くお話したい。
ごく自然に徹を膝の上に座らせておける一が羨ましい。
徹が頼ってくれるなら、兄ちゃん今からでも数学の勉強しちゃうぞ。

2、3、5、7……

ここまではよかったんだ。

「ねえ、岩ちゃん」

7の次の素数って、9だっけ?

すさまじい発言を、耳にしてしまった。
一は即座に否定し、11だと改めて教えていた。
そっかあ、とぽやぽやしたまま、徹はもう一度素数を小さい順に読み上げていったから、時々あるちょっとした間違いのひとつとして忘れようとしたんだ。
徹の名誉のために。

なのに、なあ……!

「2,3,5,7,11、13,14」

どうしてそこで、14が入るんだよ!!




徹の読み上げる『自称素数』に対するツッコミに忙しかった俺は、その時一が戦っていたもうひとつの難敵にはずっと気づかずにいたんだ。
何年も前から、徹のことを『そういう意味』で好きになっていた一は、徹の過剰なスキンシップに寿命の縮まる思いでいたけれど、隠し通していたから。
徹はそれを知らない。
だから、一の膝の上に座り込んだ時に、自分の尻に当たっていたものの正体を察してもいない。

徹の柔らかい尻の誘惑から意識を逸らすために、あの時一は心の中でずっと素数を数えていたんだ。
なのに徹は途中で素数を間違え、一が無意識に口に出していた素数の羅列にも混じり、挙句の果てに素数のつもりで合成数を自信満々に言っちゃうんだからなあ……。



そんなのを何度も繰り返したら、一がいくら我慢強くても、限界が来るのは時間の問題だったから。
徹に手を出したからって、頭ごなしに叱りつける気、俺にはないよ。
一なら、徹のこと、絶対大事にしてくれるって、俺は知ってるからな。

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