【白及・瀬見及】瀬見と及川

忘れもしない。忘れられるはずがない。忘れられるなら、俺はとっくに。



二年の三月、筒状に巻いた模造紙を七本抱えて廊下を歩いていたときに、同じポジションを争う後輩とばったり出会った。同じ行先だと告げ、筒を三本腕から抜き取ったその後輩は、事の真偽についての話を早速俺に振って来た。

「来年のユニフォームについて、牛島さんがちょっとした我儘を言ったそうですよ」

試合で集中が高まるほどに目が据わっていく白布は、私生活でも肝が据わっているらしい。授業の合間、噂を耳にしたその足で、早速本人に問いただそうとしたのだそうだ。だが教師からの呼び出しを受けており教室には姿がなく、仕方なしに一旦自分の教室へと引き返し、放課後に改めて突撃する度胸には内心舌を巻く。
「二番を、欠番にしておいてほしい、と。鷲匠先生に話したそうです。事実でした」
あの鉄面皮でそれを言うか。そしてその事実を本人から聞き出すか。
二重の意味で俺は現実から目を背けたかった。いつまでこだわり、追いかけるつもりなのか。見上げる、いや、呆れる執念だった。
「今でも隣に立たせたいセッターであることに変わりはない、って顔をしていましたから、事実であり本心なんでしょうね」
もうどこから是正したらいいのか、俺に教えてほしい。是非頼む。
「及川を白鳥沢に、か……懲りないというか、往生際が悪いというか、まだ若利は諦めてなかったんだな」
「全くです」
白布も怒気を露わにし、憤慨した様子で足音を荒くしている。正セッター候補の一人としても、到底看過できる話ではない。直接知らされた白布の胸中は如何ばかりか。いや、若利がそういう機微に疎いのは知っているし、だからこそ及川も話を聞く耳を持たなくなったように思うが、面倒なことにならなければそれ以上は望むまい。
「番号なんか誰が何番つけても、及川が同じチームに来るなんて今更あり得ないってわかりきってると思ってたところへ、それだもんなあ」
もし、万が一、何かの間違いでもいい、及川が今からでも気を変えて白鳥沢へ来てくれたら。部に顔を出せば、仲間に向ける慈愛と信頼を浮かべた目が、こちらを向く。同じポジションを争う者同士の、切磋琢磨ができる。うちのエース様はまず間違いなく及川を自分の隣にと望むだろうから俺は控えに回されるわけだが、言い換えればそれだってある意味チャンスだ。及川に何かあった時、力になってやれるかもしれない。及川の重圧を幾許かでも背負うことが出来たなら、俺にとっての栄誉は正セッターの座にも勝るとも劣らない。
そんな間柄からさらに踏み込み、バレーを抜きにしても俺と個人的な関係を構築してくれれば。同じクラスにでもなれば、同じ教室でほとんどの授業を一緒に受け、今までとは比べ物にならない位に多くの時間を共有できる。関わりようのなかった、プライベートにも触れさせてもらえるかもしれない。
及川が俺に割いた時間。俺のために作ってくれた時間。あの瞳に、俺だけを映す時間。最初は一瞬でもいい。それが少しずつ長くなって、俺が及川を見つめる時間といつか同じになれば。
俺のためだけに、笑ってくれる日が来れば。
「――てますか」
及川とのめくるめく日々へと、想像をより膨らませんとしたまさにその時。目の前に何かが立ちはだかった。
「話、聞いてますか」
……後輩のことを、俺は失念していた。

「牛島さんが『ああ』なのはもう十分に慣れてるので、何を今更と思ったのが正直なところですが」
計七本の模造紙を資料室へと戻し、担当教諭へその旨を伝えに職員室へと向かう足で、白布は話を蒸し返した。
「うちへ来てくれたとしても、更には正セッターに選ばれ同じコートに立つ日が来たとしても、セッターとしての自分自身を捧げてくれるかどうかまでは考えているのか甚だ疑問に思うのが実情です」
確かに、白鳥沢のスタイルを及川が是とするかどうかは別だ。機械的に、打ちやすそうなトスを上げ、表面上は期待に応えて見せるかもしれない。自分自身の真骨頂は秘めたまま、白鳥沢を全国の舞台に立たせ、結果を残したならば咎めを受けることもない。
ただ、うちのエース――若利の願いは本当の意味では叶えられず、不満を燻らせたツケが俺たち控えのセッターに回ってくる可能性だってある。
「確かに、伝統的な白鳥沢のプレイスタイルだと、文字通り『捧げる』羽目になるからなあ」
頑として受け入れず、磨き上げたもう一つの凶器――サーブを武器に、ピンチサーバーとしての起用に留まる条件をつけた上での編入。厄介だと聞く及川の性格だと、そんな無茶だって通してくるかもしれない。
それはそれで、俺もサーブを磨けば境遇は同じになるから、そこまでの痛手じゃない。チームとしての痛手は抜きにしよう。そのへんは頭の切れる後輩、白布の担当だ。
「そもそも、天変地異が起きて、及川さんがその気になったとしてもですよ?」
何だろう。
白布の語気が、冷えてきたような。
……気の、せいだな。そう思いたい。そうであってくれ。
「牛島さんに、何もかもを捧げさせるつもりは、『俺には』ありませんから」
い、今の一文。どこに白布は、力点を置いた?
知らなければならないような、素通りしておいた方が波風が立たないような。
どっちだ!?
「第一、及川さんの側に『牛島さんに捧げる気』がかけらでもあったなら、入学時点でうちに来てるはずです」
県内での知名度なら互いに群を抜いていますから、と付け加える白布は、不服そうに腕を組む。
「しかし、それは実現しなかった。つまり、及川さんの側には、その気はなかったということ。知っているのに、まだ諦めない。男の醜い嫉妬のようで、見ていて気持ちのいいものではありません」
なぜだろう。白布の言葉が突き刺さる。俺のことを言っているわけでもないのに。
「彼を本気で欲しいと思っているのなら、彼の選択を頭ごなしに否定するのは逆効果です。その選択を後押しし、前途を否定せず可能性を広げるために力を貸すくらいの意気込みでなければ、歯牙にもかけられない」
ブスッと音がしたような。思いっきり刺さった。間違いない。言葉の刃ならぬ槍が、そりゃあもう深々と。
及川の可能性を広げる、って何だ。バレーの指導者でもなければ、及川より秀でたものを持っていると自負する武器があるとも言い切れない。あと他に俺に残されてる切り札、切り札、こんな時にすぐ出てくるものを俺はまだ磨き切れていない。
俺ではまだ力不足なのか。
「現実を見て、総合的な判断を下してもらわないと、いずれ部の全員が困るんです。次期主将に指名されたからには、相応の自覚を持たなくては」
槍が刺さって開けられた穴に、短刀が押し込まれ傷口を抉られる。主将にすら選ばれない、そもそもレギュラーとして定着できない俺はもはや口の端に乗せる価値もないのか。
いやいやそんなはずは。
自分自身を奮い立たせようにも、白布の舌鋒に勝てる奴は部内にはそう多くない。というか、本気の白布とやり合おうとした奴を俺は知らない。
だから正しくは、白布に誰が勝てるのかを、俺は知らない、だ。
「気を引き締め取り掛からなければ、欲しいものは何も手に入らない。呆けている間に横取りされても、文句が言える立場にあると思っているのなら、そのおめでたい思考はそのままにしておいてください」
その分敵が減ってやりやすいですから。
ちらりと白布が俺を一瞥し、思わず立ち止まった俺とは対照的に職員室へと入室する。
獅子身中の虫、だったか?
もしかすると白布は、俺たちにとっての、そんな存在なのかもしれない。

予感が的中するのは、そこから二年後。
白布は及川を追いかけて、同じ進路を辿っていた。
その先で、念願叶い『射止めた』報告を後日聞かされたのは、俺だけじゃなかった。
当時白布が、言外に釘を刺した連中全員への、餞別だったのかはわからない。
俺にもまだ、起死回生の一手が残されているのかどうかも。
試してみなければ、わからない。
わかりようが、ない。


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