【岩及】くまずきんちゃん

及川と岩泉が、『とおる』と『いわちゃ』だった頃。
まだ小さな世界のすべてがきらきらと輝いていた日は、今では遠く離れて振り返るばかり。
だが、記憶は思い出となり、色褪せずに二人の中に残っている。
何せ二人とも、『はじめて』だったのだから。

小さな子どもにありがちな、大人ぶりたがる時期を揃って迎えたはじめととおるは、額を突き合わせて恒例の『おとなかいぎ』を開催していた。何をしたら『おとな』になれるかを話し合う場として設けたらしいが、なかなか『おとな』への近道が見つからずにうんうんと子どもなりに悩んでたどり着いた結果が、『おとまり』だった。
自分一人で何でもできるようになったら大人だと、信じて疑わない彼らは喜色をありありと浮かべて、企てをそれぞれの母親に伝えて何とか許しを得たまでは良かったのだが……。

「ぜーったい、いわちゃのところにとまる!」
頬をぷっくり膨らませたとおると。
「いーや、おれがとおるのところにとまる!」
むっとした顔つきのはじめ。
案の定、すぐに言い争いになった。
どちらがどちらの家に泊まるのか。『おとな』への第一歩を先に踏み出すのは自分だと譲らず、微笑ましいと最初は見守っていた大人たちも埒のあかない展開に固唾を飲もうかとしたタイミングで、目を合わせていた二人の間に火花が散った。
じゃんけんの掛け声もなく動き出すふたつの右手。
勝負は一瞬で決着がついた。
「……うー……」
崩れ落ち突っ伏したとおるの右手は固く握られている。
一方のはじめの右手は、五本の指全部がまっすぐに伸ばされており、勝者はどちらであるか明白だった。
晴れて『おとな』への第一歩を踏み出す権利を手中にしたはじめに、突っ伏したままのとおるが言い放った負け惜しみは、その後も頻繁に使われることになった。
『いっかげつだけ、いわちゃがおにいちゃだから、いまだけゆずってあげるだけだからね!』

昼過ぎにリュックを背負ったはじめが遊びに来て、おやつのミルクプリンを食べてからひとしきり遊んだ後は、その日の献立の豆腐ハンバーグを作るお手伝い。丸めてへこませて、同じくらいの大きさをいくつも作っていくのは、粘土遊びにもそっくりで。夢中でこねていたらボウルの中がいつの間にか空になっていて、ぺたぺたする両手を洗おうか、手と隣を交互に見ていたとおるの目は、はじめの手元に釘づけになった。
最後に半端に残った分を足したのか、できかけの特大ハンバーグが平たくなっている最中で、大きさも顔くらいはあるだろうか。一仕事終えた顔のはじめがハンバーグから手を離した瞬間、とおるはその真ん中に人差指を軽くうずめてくぼませた。
いたずらすんな、とぺたぺたの手で頬をつままれて、お返しにと同じように洗う前の手で鼻をつまんでじゃれていたら、あっという間に顔も髪も豆腐のぺたぺたまみれ。二人揃って叱られて、お風呂に入るまでハンバーグ焼いてあげないからね、の鶴の一声の効果もあり、少し早い入浴にこぎつけた。
ここまでは、問題なかったのだが。

バスタオルで体を拭くのもそこそこに、脱衣場から裸のままのとおるが勝手に飛び出していく。母親の制止も振り切って、衣装ケースの引き出しを勝手に開けて、中を荒らすのはお手の物。ひまわり色の服を取り出し頭から被って満足げに胸を張ってから、思い出したように同じ色のパンツを探してもう一度衣装ケースを荒らし、見つからずにひっくり返してさらに探すこと、3分。
「あった!」
同じ色をした、ふんわり膨らんだシルエットの、いわゆるかぼちゃパンツ。色も相まってまさにかぼちゃと言える丸みを帯びたそれに足を通し終えたとほぼ同時に、まだバスタオルを羽織ったままのはじめがあきれ顔で近づいてきた。
「なにやってんだ、とおる」
風呂上がりに着るものは先に脱衣場に用意してあったのに、見向きもせずに飛び出していったとおるのどのあたりが、『おとな』なのかがはじめにはとても気になった。だが、一か月分『おとうと』だから仕方ないか、と特に口には出さずにいることが多かった。
「あっちにあったのは、ちがうの」
くまじゃないからきなかったの。お気に入りを用意してもらえなかったとおるが、洗濯の後に何をどこに入れるのかを見て覚えた上での、満を持した決行だった。
「きょうは、こっちがいいの」
にっこり笑ってひまわり色の服を指差し、いいでしょ、と得意顔をしたとおるは、くまよりもひよこに似ているように、はじめには思えた。
ただ、それを言うと絶対にとおるは拗ねる。機嫌を直すのは大変だ。くまはくまとして、話を合わせておいたほうがいい。
けど、ひよこではなくくまになる理由が、まだはっきりとはわからない。
どこがくまなんだ、とはじめが言う前に、とおるはフードをかぶって見せた。
まん丸の耳が二つ、頭の上にちょんとついたデザインをしていて、なるほど確かにくまのようにも見て取れる。
「みみ、くましゃのが、ついてて」
耳を見せようとしたとおるが、はじめの顔を覗き込む。
「……いわちゃ?」
何も言ってこないはじめの反応を気にかけたとおるが、首をかしげて目を合わせようとすると、自然と上目遣いになる。
「……かわいく、ない?」
何も言わないはじめが全然違うことを思っているとは露知らず、とおるの顔がへにゃへにゃと情けない表情を浮かべ始めた。
こないだえほんでみた『あかずきん』かよ。でもあかくねえし、そもそもずきんにみみついてねえし、くまずきんか。
あーでもくまずきんでも、とおるならあかずきんよりずっとかわいいよな。ばあさんのおみまいに、ぎゅうにゅうぱんもってって、いっしょにたべてかえるようなくまずきんか。
「……くまずきん……」
「い、いわちゃ?」
考え込んだ後よくわからないことを言い出したはじめを心配して、けれどやっと反応が返ってきたのは嬉しくて、とおるははじめの猫目を見つめる。
「な、とおる。それの、あかいいろ、あるか?」
それ、イコール、くま耳の服。つながるまで数秒かかり、思い出して口にするまで、さらに数秒。
「え、えと……ある、よ?」
とおるの持っている耳つきシリーズの中でも、色違いで買ってもらったのはくまとうさぎの二つ。うさぎはお出かけ用、と約束しているけれど、くまはいつ着てもいいと言われているから、叱られずにはじめと遊べる。
衣装ケースから出して確かめて、はじめの目の前で広げて見せると、はじめは白い歯を見せて笑った。
「あしたは、あかいのきてあそぼうな」
「……うん!」
無邪気に笑うとおるを見て、ああやっぱりとおるがいちばんかわいいんだよな、とあらためてはじめは実感して。それが十年以上経った現在まで続いているのだから、かわいいと思わなくなる日が来るわけがなかった。

ひとつひとつ丁寧に焼いていく豆腐ハンバーグを、焼けた順にテーブルに並べるのも、『おとな』になるための大切なお手伝いだ。並べた皿の上にハンバーグが乗ったら、ひとりひとりの席に運んで箸置きに箸を出す。
「そうだ、いわちゃ」
「なんだ?」
皿の位置に合わせて箸を並べていたとおるは、ハンバーグ運びを任されたはじめが同じ大きさのものしか持ってこないことに気が付いた。
「おっきいハンバーグ、だれのなの?」
「やいてからの、おたのしみだ」
「えー、ずるいー」
ないしょはいやだよ、とおるの顔にそう書いてあるのを読み取ったはじめが、とおるの両手をぎゅっと握って慰める。
「もうすぐだろ、がまんできるのが『おとな』だぞ」
おとな。そのためにお泊まりを計画し、今こうしてお手伝いを頑張っている。
とおるははじめのように、自分の家以外の場所で過ごしているわけではないのだから、それ以外の部分で『おとな』にならなければ。
「……おれも、『おとな』になって、おっきいハンバーグたべる」
「そうだ、そのいきだぞ、とおる」
励まされたとおるが、いそいそと箸並べを再開させる姿を見守る視線は二つ。高さは違えど、出来なかったことが出来るようになる瞬間に立ち会う喜びを知っている、その点は完全に一致していた。

その日の献立は豆腐のハンバーグとポテトサラダ、デザートは冷蔵庫で冷やしている最中のミルクゼリー。お泊まりにはしゃいだとおるのリクエストが珍しく全部通って、卓上はなかなか見ない賑やかさだった。
いつもの席につこうとしたとおるは、おなじみの椅子に腰かけても見当たらないハンバーグを探して、台所と食卓を行ったり来たりの繰り返し。
なのにどこにも見当たらない。
「あれ? ハンバーグは?」
わるいこはハンバーグぬきなのかな。
今でもくま耳のフードをかぶったままのとおるが、にわかに涙ぐむ。
いいこにするから、もうぱんついちまいではしらないから、ハンバーグはたべたいです。
必死にお願いをしているとおるの気持ちが通じたのか、しゃがんでいるとおるをはじめが迎えに来ていた。
「とおる、とおる」
声をかけられて、慌てて目じりを拭う。
「なぁに?」
「おれたちは、こっちだ」
踏み台の上で手招きするはじめの横に、とおるも足をかけて伸び上がる。
「これって、いわちゃがつくってた、おっきいのだよね?」
「はんぶんこ、しようぜ」
「うん!」
とおるの表情もぱあっと明るいものになり、目もきらきらと輝いている。
「これからも、ずーっといっしょにいような」
「うん」
「ずーっとだからな」
「うん」
泣きそうだったとおるもすっかり機嫌がよくなり、ぎゅっとはじめに抱きついて大喜び。
「『おとな』になったら、よめにもらってやるからな」
半分になった豆腐ハンバーグには、とろみのあるソースがたっぷり垂らされていて、お腹の鳴りそうなとてもいい匂いが広がっていく。
「だからこれが、けっこんゆびわだ」
丸いハンバーグの真ん中にはぽっかりと、とおるがあけた穴がある。
大事に大事に運んで食卓に乗せると、隣合わせになった席のちょうど真ん中にハンバーグを並べる場所が作られていて。
茶碗の横には急遽メッセージカードが置かれ、『けっこん おめでとう!』と書かれていたのだが。どんな意味を含ませて誰が用意したのか、『おとな』見習いの二人が知るのは、ずっと先のことだった。



おとうふのハンバーグは、おいしかったけど。
けっこんゆびわって たべるものなの?


とおるの微笑ましい勘違いが語り草になったのは、言うまでもない。


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