岩泉さんがクズい岩及

ね、ね、岩ちゃん……嘘、だよね?
及川の声が、岩泉から遠ざかっていく。
両の腕を及川よりも屈強な男に片方ずつ拘束され、ひきずられていく『元』恋人の姿を……岩泉は、視界から外した。

きっかけはくだらないことだった。
風呂の前の脱衣場で、脱いだ服を洗濯籠に入れずに放置していたのを、及川がいつものように籠の中へと放り込んだものの。
ポケットの中にはまだ必要なものが残されていて、用があって取り出すのに二度手間になったのを岩泉が咎めたのだ。
そんなことなど露ほども知らない及川が、脱いだ服くらい籠の中に入れてよ岩ちゃん、と岩泉の言い分を聞く前に一方的に自分の意見を主張したのが、岩泉の癪に障った結果。
岩泉は、大事に大事に愛でてきた恋人の頬を、初めて張った。

「……いわ、ちゃん?」

呆然と立ち尽くす及川。
未だ上半身裸の岩泉は、あたたかなメリノウールのV字セーターを着ている恋人の鳩尾に、渾身の力を込めて右の拳を繰り出した。
がくり、と力が抜けてその場に伏せる及川。
咳き込みながら必死に及川は、岩泉に疑問を投げかける。
なん、で。
どうして。
豹変した岩泉にどんな理由があったのか、当然及川は知らない。
手なずけて男娼の娼館にでも売り飛ばす気でいたのかさえ、知れない。
とにかく、この岩泉という男は、及川の前で見せていた『岩泉一』の姿をかなぐり捨てて、今までの自分は単なる仮面の一部に過ぎなかったと言わんばかりに、及川を手荒に扱った。

「馬鹿につける薬なんかウチにはねえよ」

尻ポケットに入れたままだった携帯端末を取り出して、何処へかと岩泉は電話をかけた。

「待たせた。今日、出荷する」

……出荷? いわちゃん、なんのこと?
痛みで思考がうまく回らない及川が必死に訴えかけても、岩泉はさも当然とばかりに及川を無視した。

「もうテメェは十分『肥えた』んだよ。肥えた豚は出荷しねえと、次の豚を肥えさせられねえだろうが。そん位わかれ、だからグズだっつってんだ」

通話を切った岩泉は、開口一番及川に罵声を浴びせる。

「もう用なしだ、これ以上テメェの話を聞いてやる義理は俺にはねえよ」

猿轡を噛ませ、及川の手足を縛りあげ床に転がす。

やめて、いわちゃん。
何がいけなかったのか俺にはわからなかったけど、悪いところは直すからこれ外して、もとの優しいいわちゃんに戻って。

そんな及川の願いは、どこにも届かなかった。
四半刻ほどして黒いスーツの男が三人、及川のもとへとやって来ただけで。
縄を解かれると同時に左右を固められ、靴を履くことさえ許されないままに銃を突き付けられ歩かされて。
黒塗りの高級車の中に押し込められた後に無理矢理妙な薬を飲まされた後、何があったのかは及川は覚えていない。
それ以前に、脳の中でも記憶を司る分野に障害が残って、何の記憶も持てないままその日その日を暮らすことになったのだが、岩泉にはもはや出荷済みの豚のことなどどうでもよくなっていた。

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