一章

 人には無限の可能性がある。
 何かの本が能天気に、そう語っていたけれど。
 少なくとも俺にとっての現実は、そううまくはいかないみたいで。
 自分の可能性は最初から決まってる。そんな中で生まれてくるんだから、自分じゃどうにもならないことだって、星の数ほどある。
 味気ない一枚の紙を突きつけられた瞬間から、この先俺がどうなっていくのかなんて、わかりきってたことなんだ。

 いつか、どこかから。誰かが必ず迎えに来る。
 いずれ俺から漏れ出す何かは、人のちっぽけな理性なんか簡単に吹き飛ばすもの。抵抗するだけ馬鹿らしいほどの衝動が全身を支配し、理性を失った奴に俺は襲われる。そして、いつかは誰かの子を産む破目になる。
 大人になったら、絶対にそうなる。天変地異どころか世界の法則が変わらない限り、揺らぐことのない現実。
 統計上ではこの世に等しく存在している、嫌でも惹き合う繋がりの先には、一体誰がいるんだろう。
 女の子達が夢見るような、運命の人を待つ甘いあまーい物語の舞台なんて、いざ立たされてもちっとも楽しくなんかない。
 これから開いていく一方の、身体的な部分を含めての周囲との能力差。生活の根幹を脅かしかねない、体が訴えかける本能に、一体どれだけ抗っていられるのか。性徴が発現してすぐに誰かが守ってくれるわけでもないし、逆にこっちが迷惑をかけないように気を配る立場になるしで、本っ当に面倒かつ厄介。
 あとどのくらい、今までと同じような関係を皆と保っていられるのかな。本格的に性が分化してからも、一緒にいてくれる人はいるのかな。
 ……どちらにしても、もう少ししたら、集団検診で強制的に調べられ割り出されたんだ。
 そのタイミングよりもちょっとだけ前倒しになったのは、心の準備をするサービス期間って意味だったのかな。

 三つの性について、ほとんど意識せずに過ごしていられるのは、せいぜい小学生でも中学年まで。
 その先は、言わずもがな。だからかどうか知る術はないけれど、大体の人とは仲良く過ごしていた。
 何人も仲のいい子はいたよ。年相応の遊びに毎日夢中になって、帰りが遅くなって何回叱られたことか。
 中でも一番仲が良かったのが、岩ちゃんこと岩泉一。家が一番近かったのもあるし、俺がある日テレビで試合中継を見て始めたバレーに、ただ一人本気で付き合ってくれたっていうのもある。
 二人揃って地元のクラブチームに入って、バレーのいろはを教わって。練習すればした分だけ、結果が出るのは単純に嬉しかった。二人の夢が、一緒に代表の赤いユニフォームを着て世界の舞台で活躍することになるまでには、そう多くの時間はかからなかった。勝負の世界がどれだけ厳しいのか、そもそも自分の性に大いに左右される世界だなんて知らないまま、夢を描いていた幼い日々。
 俺にとっての小さな、平和だった世界が壊れるのは、思えば実にあっけなかった。

 きっかけはとても些細なことだった。
 その日は季節外れの陽気に恵まれ、とても過ごしやすい日のはずだったんだ。
 なのに俺は、軽い目眩を朝からずっと感じてばかりいて、学校を早退してかかりつけの小児科に連れて行ってもらったんだ。
 病院は小さな子が何人もいて、順番待ちをしていた。
 その後、順番が来て呼ばれたのかどうか、よくは覚えていない。
 覚えてるのは、誰もいなくなった待合室に、西日が射し込んで暖かかったことくらい。記憶が飛んでいて、俺が次に目を覚ました時には、診察も終わり何もかもが変わってしまっていた。
 初めまして、急なことで驚いただろうね、とあくまで優しく語りかけてくる知らないお医者さん。
 何年にもわたる長い付き合いになろうとは、その時はまだ知る由もなくて。
 お医者さんが難しい話をかみ砕いてわかりやすく説明してくれているのに、自分の事だとは思えずに俺は上の空でいたんだ。
 世界に存在する、人ならぬものが定めた人の在り方の指針を。
 
 日々進歩を遂げる現代医学でも未だに有効な機構や対策を打ち出せない、差別の根幹にもなり得る三種の型。
 アルファと呼ばれている。人々を教授し導くもの。
 集団を構成し大多数を占める存在は、三種の区分の上ではベータと呼ばれている。
 そして、もう一種類──俺が属すると今日判明した、強すぎる本能に流されていくもの──通称、オメガ。
 目を覚ました後に俺が覚えていられたのは、自分の体は両親とも幼馴染とも違う性質を帯びていること。育む性にいずれ特化していくってこと。
 人生がひっくり返るような大事件は、中学の制服に袖を通す、二か月前に起きた。

 一番親しい幼馴染の岩ちゃんにさえ悩みを打ち明けられないまま、俺は中学にあがった。
 中学にあがってすぐの検診でも、自分はオメガだという事実は変わらなかった。
 自分の性を吹聴するような奴はほとんどいなかったけれど、それは反面、自分は当たり障りのない性であるという事実に裏付けられていた。
 もしもオメガだったなら、身の安寧のために早速番探しを始めても何ら問題はなかったからだ。
 冗談じゃない。
 オメガらしく生きるだなんて、俺からしてみれば馬鹿げてる。
 アルファのご機嫌取りをして、自分のやりたかったことは諦める、そんな生き方にどんな価値があるんだ?
 オメガの性が暴れ始めるまでは、まだ時間がある。それまでは少なくとも、俺は自由に生きられる。
 時間は少ないかもしれないけれど、今日明日にでも番探しを始めなきゃ身の危険があるってわけでもない。
 大人になったら嫌でも番を作らないとまずいってことは、知ってるし何となく理解できる。
 けど今の時点で、自分の人生を他人に預けるような真似はしたくない。
 俺は自分の人生を生きたい。諦めたくない。 
 そのために今でも、性の本能を緩和するための研究が続けられているんだから。

 悩みを一人で抱えたまま新しい生活に慣れようとしたら、あっという間に何か月もの時間が過ぎていく。
 オメガの本能が及ぼす様々な悪影響を緩和するために、抑制剤も処方されているから体は何の問題もなく動いてくれているし、飲み忘れなければ自分の性を忘れていられるくらいだった。
 背も順調に伸びているし、抑制剤は俺の体質にぴったりだったらしく副作用らしい副作用もない。
 このまま順調にいけば、中学にいる間は岩ちゃんに背を追い抜かれたりせずに済むんじゃないかな。
 俺の中学生活は概ね問題はないように見えた。
 あいつにさえ、会わずにいられたら。
 
 オメガの性のことが判明しても、とっくに夢中になっていたバレーをやめる気なんか最初からなくて、その日も大会に出たんだ。
 一年生限定の、これからの世代の力量を計る大事な公式戦。
 小学生の時とは違ってネットは高くなりはしても、岩ちゃんはやっぱりいつもの岩ちゃんだ。いてほしい場所にいてくれるし、トスをあげると当然のように打ってくれる。
 いつまでもこんな風でいられたらなって、試合中にのほほんと考えていられるくらいに、岩ちゃんは俺にとってなくてはならない存在になっていったんだ。
 順調に勝ち進んで、頂点が見え始めたとき。
 奇妙な色のユニフォームの一団の中に、そいつはいた。
 当時は勿論名前なんか知らなかったし、正直な話、第一印象も良くなかった。初対面の相手をいきなりじろじろ観察してくるいけ好かない奴だった。それだけならまだよかった。
 譲りに譲って、とんでもないスパイクを試合で打ってきて、俺たちをこてんぱんにのしたのも、目を瞑っておくとしても。
 岩ちゃんも含むチームの皆がベータで安心していたところに、あいつは冷や水を浴びせかけてきた。忘れていられた自分の体のことも思い出したし、思い知らされた。
 あの瞬間は絶対に忘れられそうにない。
 勝てるか勝てないかで語る岩ちゃんの言葉を、字面の通りに追いかけられないくらいに、その時の俺は動揺していた。
 あいつは、正真正銘の、アルファだ。
 他の二つであったのならもっと食らいついていけてもおかしくないのに、あいつは簡単にこっちのブロックを叩き割ってくる。
 数の上では俺たちオメガとほぼ同数だから決して多くはないし、今のうちからアルファ特有の形質差が現れてくるケースは稀だって聞いてたのに。
 どうしてこんな時に、こんな形で、俺の前に出てきたんだよ。
 どうして、試合の後に、あんなことしたんだよ。

 今まで試合で負けたことは当然ある。
 お互いの得意分野がそれなりに判ってくるまでは、個人もチームも噛み合わなくてちぐはぐで、負けの悔しさは次へのバネになっていた。
 だからこの試合の結果を受けた皆は悔しそうだった。とんでもないのが同じ世代にいるからって、早速対策を立て始めていた。
 違う意味で凹んでいた俺以外は。
 あの一敗は、アルファとそれ以外、特にオメガとの根本的な力の差を、思い知らされたに等しかったから。努力で覆せるのかもわからない、俺たちを隷属させる相手と、まともにやりあえばどんな目に遭うのかを端的に示されてしまったから。
 スパイクを打ってコートに降りてきた瞬間に、あいつがこっちを──俺をじっと見ていた理由なんか、知りたくなかった。
 
 負けてしまった以上は帰るばかりになり、持ってきた練習用具や荷物なんかの片づけをやっていた。
 もたもたしていたら次の試合開始の時間にずれ込むからって、慌ただしかった。
 なのに監督は、俺だけを呼び出した。
 他校の生徒だがどうしてもお前と話したいそうだ、って。
 その時点で断っておけばよかったのに、俺としたことが腑に落ちないまま指定された場所まで手ぶらで出向いたんだ。
 そうしたらその場に、一番顔を見たくない奴が立っていた。
 ついさっき、俺たちを散々に負かした奴だ。
 数字の上では大差はついていないにせよ、精神的に呑まれてしまっていては、完敗も完敗だろう。
 思うようにパフォーマンスを発揮出来ずに不完全燃焼気味の俺は、若干の苛立ちを含ませてそいつを睨みつけた。
 若干上から注がれる視線が不愉快だった。自然と上目遣いになる意味を、深くは考えずに俺は振舞った。
「呼び出されてやるほどの用、俺にないから、時間ないしもう帰──」
 一言だけ投げて放っておくつもりだったのに。
 そいつときたら、もと来た方向に歩き出そうとした俺を後ろから抱きすくめてきたんだ。事態が呑み込めず混乱したのと、邪魔されて腹が立ったのとで、振り向きざまに肘でも一発入れてやろうとしたら、顎を掴まれて──まだ誰ともしたことのない、しっかり唇を重ね合わせる方の──キスを、されたんだ。
 まだ名を名乗ってさえいない、いけ好かない奴に。
 数秒なのか数分なのか、そいつの腕が俺を解放するまで、何もできなかった。
 耳に舌先を突っ込まれて濡れた音がして、ようやく反射的に体が動き距離を取れただけで。
「──何、してくれてんだよ!!」
 もう滅茶苦茶だ。幸いにも誰かに見られてはいないようだった。大方のチームはもう帰った後だから。
 けど、近くを誰も通りかからなかったからって、されるがままになっていたのはどう考えてもおかしい。
 感触のはっきりと残る唇を何度手の甲で擦っても、少し硬くて肉厚の、かさついているのに温かくて、しっくり馴染んでから離れたイメージが消えてくれない。
 今抱いてる悔しいって気持ちが、こいつ相手の試合に負けたせいなのか、それとも男にこんなことされてもちゃんと抵抗出来なかったせいなのか、混ざってしまってよくわからなくなる。
 キスされた時にそんなに嫌な気がしなかったのも、絶対に間違いに決まってる。
 相手は男で、俺や岩ちゃんよりも、いかついってかごつい奴なんだ。
 嫌って当然なのに。
 そんなことを、したい相手のはずないのに。
 なのに、どうして俺は、もう一度抱き締められて、大人しくこいつの腕の中にいるんだろう。
 わからない。
 どうして、顔がもう一度近づいてくるのがわかってるのに、手も足も出さずに目を閉じようとしているんだろう。
 再び、温かな感触を唇に覚える。
 二度目も、三度目も、なし崩しに奪われた。
 頭がぼうっとする。両腕でしっかり抱きかかえる支えがなかったら、きっと座り込んでいる。
 もう閉じ込められてはいないから、逃げようと思えば簡単に逃げ出せるのに。
 力がまるで入らない。
 自力じゃ歩けないくらいに、体はこいつを迎え入れていた。
 アルファに何かされただけで、オメガの体がこんなことになるなんて知らなかった。
 俺を診てくれたのはじいちゃん先生だったから、俺に現実を教えるのはまだ早い、って黙ってたのかな。
 もう遅いのに。
 委ねる、って言葉がぴったりだ。
 主導権を握らせて、からだの隅々までを明け渡し、向こうの好きなようにさせて──傍目からは恋人同士にしか見えないくらいに──俺たちは寄り添っていた。
 貪るような口づけを散々楽しんでから、あいつは約束を与えて、崩れ落ちた俺を置き去りにし試合へと戻った。
 悪い夢でも見たんじゃないかって位、現実感は薄くて。でも、口の中に残っている感触は、何よりも生々しくて。
 『五年までなら待ってやる』って言葉が、耳に残って離れない。
 気持ちが固まるようならすぐに迎えに行くし、他の奴にもらわれる位なら無理にでも連れていくって。
 冗談じゃない。
 あんな奴に、俺を支配させてたまるか。
 選ぶ権利くらい、オメガの俺だって持ってるはずだ。
 運命を運んでくる相手がいつか俺の前に現れる、だって?
 上等。
 わざわざ『ご足労』いただく必要なんかない。
 こっちから逆に見つけてやる。
 あっちの思い通りになんか、なってやるもんか。


[ 1/89 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -