目指せ!ぼっち飯 もしもの世界【オメガバース・田中】

田中は何の変哲もないベータである。
よって、性的嗜好はベータの女性を中心に分布している。
と、本人は思い込んでいたようである。

──もはや、過去形であったが。

きっかけは些細なことだった。
友人に勧められたイメージビデオに出演していたオメガの女優にすっかり夢中になってしまい、以来田中は守備範囲をオメガの女性にも広げたのである。
彼女らには特有の発情期があり、その期間中は異性を求めて本能に忠実な生き物になるという点も、田中の庇護欲を大いに刺激した。
あわよくば、彼女らの世話をしてみたい。一度で構わないから。
そんな下心を抱きつつ、相変わらずバレー部の女神を崇め奉る日々を過ごしていた田中だったが、更に田中の守備範囲を揺るがす一大事件が起こった。

今回は、その事件を中心に記していく。





まったく、お母ちゃんも大概だよね。
過保護だよ全く。
出かけるからってまだ来てない発情期が突然来る確率なんて本っ当に低いし、万一来たとしても抑制剤飲んでるし、特効薬の錠剤だってポケットに入れてあるのに。
噛まれたら大事になるから首輪しろなんて。
今時こんなの大っぴらに誰もつけないって、何回説明しても聞き入れやしないんだから。
そりゃあ、思わず噛みつきたくなるような肌つやしてるって言われたことは何回かあるよ?
けど、そんな、ねえ?
まず、見境なしに噛みつけるような男なんて限られてるし、第一他にもっとこう、噛みつきやすい子がいるでしょ。
人の多いところだと特に。
……まあ、あんまり心配かけさせるのも何だし、一応つけてはきたけどね?
正直、すれ違う人の視線が痛い。
そりゃそうだよね、アクセサリーの域をとっくに超えてるよね、特殊樹脂製の真っ黒い首輪なんか。
チョーカーなんていうかわいらしめの言葉で片付けられない強固さがあるよ、うん。
やらしい動画じゃないとなかなかお目にかかれない一品だってわかってるのかな、過保護のお母ちゃんは。

気を取り直して。
どうして俺が休日に、首輪までして外出しているのかというと。
未だ実現していない、ぼっち飯を実現させるためなのである。
どこへ行こうと、誰かが邪魔に入る。
まるで、俺の単独行動を総出で邪魔しにかかってるんじゃないかって、疑いたくなるレベルで。
だから今回は、それを逆手に取ってみようと思うんだ。
知らない人との相席だったら、相手も俺に関心を向けないだろうから、ぼっち飯が成立するんじゃないかってね!
俺、頭いい!

やって来たのは、定食屋さんのチェーン店。
注文するのは勿論、ランチセットの一番安いやつ。
最初から決めてあるのは、ぼっち飯に割ける費用に余裕がなくなってきたせいであり、決して俺がお小遣いを使い込んだとかそういうのじゃないからね!
ちょっと今月は牛乳パンを食べすぎた気がしないでもないけど!
マッキーと一緒にシュークリーム食い倒れツアーを決行したせいでもないし!
お小遣いの日に岩ちゃんから借りてたお金を即返して懐が最初から心もとなかったせいだから!
……はい。全部言い訳です。ごめんなさい。
シュークリームも牛乳パンもとてもおいしかったです。
反省します。
今回のぼっち飯まで失敗したら、明日から大人しく首輪つけて部活に出ます。
どこかの誰かさんの鼻息が荒かったのが地味に怖かったし……。

お店はお昼時とあってやっぱり混んでた。
相席でもいいんですけど、ってお姉さんに言ってみたら、運よくそういうお客さんのところに通してもらえた。
やったね!
この調子で注文して食べちゃえばぼっち飯完遂で、及川さんの勝ち!

だと思ってたのに。
相席で通された先にいたのは。
まさかの、烏野のボーズくん。
えっと、名前は……。

あれ、なんでボーズくんが固まってるんだろう。
……って、そっかぁ。ボーズくんも首輪見るのは初めてかぁ。
だよねー。
普通に生きてたら、日常生活で見ないよねえ、こんなもの。
気になるのか、目をそらしつつ、チラチラこっちに視線を向けてくる。
……イタズラしてみたくなるくらいに、動揺してるね。これは。
オメガだってそもそもボーズくんは知らなかっただろうし、余計に狼狽えてるんだろうなあ。
なんだか新鮮な反応。
ベータってそういえば、こういう反応をして当然だったよね、そういえば。
ベータらしくない奴ばかり近くにいるから、忘れてたけど。





一方の田中はというと。
自己紹介の言葉すら出せずに、ひたすら妙な汗をかいていた。
じぶんは、たなかりゅうのすけであります。
通り一遍の名乗りすら出来ずに、片言の言葉すら口から発することの出来ない彼だったが、ほどなくして注文してあった日替わり定食が運ばれてきてからは、無心に飯を口へと運んでいた。
その様子を、及川は何の気なしに見つめている。
すると、田中が口の端に食べこぼしをつけていることに、気が付いた及川は。
自身がいつも岩泉にされているのと同じように、口の端についている食べこぼしを指先で摘まみ。
あろうことか、そのまま自分の口へと放り込んだのだ。

「ん、おいし」

田中の妙な汗も加速する。
ついでに、脳裏に妙な妄想も展開される。

『やだ、苦いからソレ飲みたくないのにっ』

『……うそ。苦いけどね、なんだか、クセになっちゃうの』

「……おーい?」

『やだ、そこ噛んじゃだめっ、跡ついちゃうっ』

『ん……ねぇ、もっと……あ、左のそこっ……い、い……っ!』

「ボーズくーん」

『やだ、やだぁ……そと、そとに出して……』

『も……ばかぁ……っ……!』

「あちゃー……聞いてないねこれは」

幸か不幸か、田中はすっかり、及川を妄想上の世界でアレコレしていた。
すべては及川の首輪がいけなかった。
望まぬ相手に噛まれぬようにするためだけではない。首輪にはもう一つの意味も含まれていると、イメージビデオで覚えてしまったせいだ。
噛まれたアルファから、所有の証として首輪を贈られているのかもしれない。
そんな年に不相応な背徳感が、田中を一気に燃え上がらせた。
誰かに噛まれているのか、いないのか。
ベッドではどんな風に乱れてみせるのか。
そもそも、決まった相手がもういたりするのか。
膨らんだ妄想は留まるところを知らない。
想像上の及川が、手ぐすねを引き田中を誘う。
イメージビデオの世界では不埒な護身用の装飾具としての役割を果たしていた首輪が、まさか現実世界でも同じような用途に使われていようとは。
まだ田中は初々しかった。
妄想が止まらずに、箸を休めてすっかり想像上の及川と桃源郷へと旅立っている。

田中を桃源郷から連れ戻した存在は、実は及川ではない。
天運の持ち主・日向が、偶然二人を見つけて烏野ネットワークに載せたのだ。
そのせいで近距離にいた烏野の主将・澤村が田中を一喝し、現実世界へと戻ったのだが。
その時には既に、ぼっち飯どころか、烏野の面子総出で及川と田中を囲んでいたというのだから、世の中は恐ろしいものである。

無論、及川のぼっち飯が大失敗だったのは言うまでもない。





田中の守備範囲が及川にも拡大されて以来、夢の中には連日及川が現れるようになった。
言葉巧みに田中を誘い出し、金銭を巻き上げられた挙句足蹴にされるのだが、当人は夢の内容にいたく満足してしまっている。
以前の田中であれば、男に踏まれるなどもってのほかだったのだが。
彼は目覚めてしまっている。自分の妄想の中では、何もかもが都合よく動くせいだ。
一例をあげよう。

『龍ちゃん』

これは紛れもなく、田中の妄想の一部分である。
年上美人をめでたく勝ち取った田中は、年上なのにどこか幼い一面の残る恋人に首ったけであり、下僕としての生き甲斐を見出しつつあった。

『牛乳パン、買ってきてぇ』

田中は思いっきりたかられているのだが、当人たちにそんな意識はこれっぽっちもない。
先日プレゼントしたばかりの下着を今日着用していると自己申告してきた及川の言い分を鵜呑みにし、鼻の下を伸ばしきった実にだらしない面持ちで牛乳パンのお使いに出た田中は、買いに出たはいいものの財布を忘れてきたことに気が付き、そそくさと自宅に逆戻りした。

すると、だ。

部屋で大人しく待っているはずの及川が、田中の衣類を収納から引き出して高く積み上げ、鼻先を中に突っ込んでいるではないか。
ふえーん、という情けない泣き声も聞こえてくる。
ぎゅうにゅうぱんとかもういいからぁ、はやくかえってきてよぉ、と舌っ足らずに田中を呼ぶ声。
いつもつけている首輪も外したのか、白く肌理の細かな柔肌も露わになっている。
それを見てしまった田中は、理性を保てるわけもなく及川に覆い被さり──

いいところで、午後の始業を告げるチャイムが鳴る。

今日もいい夢だった。
垂れかけた唾液を拭きつつ、田中は午後の授業に臨むのだった。

その授業中にも、夢の続きを見ることになるのは言うまでもないが。


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