十一章 牛島編
婚約も結婚も、もっと先のことだと思ってた。
番を作っただけでは、そこまで急に話も進んだりはしないって、たかをくくってた。
牛島の気持ちを、ちゃんと考えてなかったんだ。ずっと俺だけを待ってたのに。自分のことしか、見えてなかったんだ。
いい雰囲気とは無縁の状況下、寝耳に氷水でも注ぐ位に唐突な話だった。
やることやって後始末もして、後は寝るだけ、ってタイミング。
まだ寝るな、とだけ言ってベッドを抜け出した牛島は、ダークグレーの、明らかに風体にも雰囲気にもそぐわない小箱を、両手で大事そうに包んで持ってきていた。宝石店なんかで見かける、いかにも高価な装飾品が入ってますって顔した、ベロア素材の四角い箱。
開いて恐る恐るつまみ上げた、銀色のリングの行き先は、俺の左薬指。
牛島がこうも事を急いだのには、ちゃんとした理由があった。
どうにか発情期を乗り切った後、身一つで牛島のところに転がり込んだ俺は、次の日に早速診療所に連れて行かれて検査を受けてお説教されて、今までのつけを一気に支払い精神的に参ってたんだ。
抑制剤は少なくとも今後数年間、一切使えないと釘を刺されて。よくよく話を聞いてみたら、発情があそこまで拗れたのは明らかな過剰摂取で、薬に対しての許容量に個人差はあっても、俺はどちらかと言えば低い部類だったらしい。
避妊薬だけで過ごすなら、抑制剤の目くらましが使えない以上、余計な手出しをされないよう四六時中牛島の隣に居ないと厄介だった。
常に一緒にいられるとは限らないから、最悪一回くらいは何かされても不思議じゃないんだろうなあと半ば諦めてたのに、結果的には全部杞憂で終わってる。
二度目の発情までの間、俺達は番にはなれなかったから、一時しのぎにでも何でも、俺が誰のものかはっきり示しておく必要があった。牛島も同じことを考えていて、早めに手は打つがもう少し待て、って言われていた上での、一件。
贈られたのは、てっきり小遣いで買えるようなそこそこの物だと思ってたら、後から偶然店先で同じのを見かけて目を疑った。
シンプルなデザインではあったけど、正真正銘の白金――プラチナだったから。
高校生の指に嵌める額じゃない、硬質でまろやかな光沢の、嫌みのない輝き。ここまでする必要をその時は感じなかった。
目立たせるにはやり過ぎ位が丁度いいって、気がついたのはずっと後になってから。
一人にならざるを得ない時間も、ちゃちな指輪と違って、変なのは全く近寄ってこない。進学しても効果は全く落ちず、当然のように同じ大学の同じ学部に籍を置いた牛島の隣、何も無さすぎて退屈する位に平和な時間が流れてた。
牛島の性格も少しずつまともになってきて、頻繁に夜更かしする羽目になるのを除けば、居心地は結構良かった。
だからかな。
岩ちゃんと重なる部分を見つける度に、無理だってわかってても懐かしさに駆られる。家に帰りたい。朝練に寝坊して怒られて、全速力で走って登校してた他愛ない日常が、こんなにも遠い。元の居場所には戻れない体だって知ってても、変わりはしない。
数ヶ月に一度の発情は、前触れにさえ気がついたら、どこで過ごすかの場所なら選り好み出来るようにはなった。それ以外の部分は逆に自力ではどうにもならなくて、割り切って成り行き任せにしてる。
発情中の俺は、牛島に対してかなり素直らしく、普段も十分の一でいいから可愛げがあれば、なんて何回ぼやかれたかな。
俺の気も、知らないで。
元々は一番嫌いな相手だったけど、発情期に俺がどれだけ負担をかけてるのか、何も気にせずに頼りきれるほどまだ体のことは吹っ切れてない。
昼夜問わず日単位で拘束して、俺に合わせて行動させて。いくら相手が好きだからって、簡単には出来ないし、続けていくのはもっと大変だ。
なのに、そんな様子は微塵も感じさせないし、俺の都合に合わせっぱなしで自分の時間なんかどこにあるのかわからない。
大事にされてるからって、あっさり絆されたわけじゃない、と思いたい。
理性と意識が一緒に戻ってくる、発情が落ち着いて間もないひととき。ほっとした顔で抱き締めてくる腕に、言い様のない罪悪感を感じても、誰にも言えない。
本気で俺を選んで連れてきたんだって、信じ認めるしかなかった。迷いのない、隣を歩む者を必要としない強さ。一人で生きていけばいいのに、余計なものを自分から進んで抱え込んで、本当に馬鹿だと思う。放っておかずに、わざわざ拾い上げるんだから。
それに、優しさが過ぎるから困るんだ。引け目を感じる。俺はまだ未練がましく迷ってて、詰られたならもっと楽なのにな、と思わないわけじゃない。
今となっては、俺を庇護してるのは岩ちゃんから牛島に変わってる。最初にオメガとしての俺を見つけて、以来ずっと俺しか見てないって言葉には嘘も誇張もない。
牛島の隣で暮らし始めてから、ただの一度も俺は自分の性に悩まされなかった。何もかもが順調で、俺にとっての申し分ない相手はこいつなんだなって、何かにつけて実感する。
体の調子なんかが、その最たる例だ。避妊薬を口にする時に、ふと立ち返って自分の性を思い出すくらいに、普段は体のことを忘れていられる。あれだけ俺と岩ちゃんを振り回した本能を、たやすく御して日常を取り返して。番のいるオメガは大人しいものだ、って涼しい顔して言ってさ。
恩着せがましくしてくれないと、調子が狂うんだ。初めての発情期、最初に抱き潰された時以外は、ベッドの中で痛い思いをしてもいないし、物足りない時も俺が満足するまで付き合ってくれる。
ここまで揃っていて何が不服かと、申し分ない番だろうと、傍目からは見えているのも気づいてる。
重篤な症状を見かねて手を差し伸べたわけじゃない。俺が自分の中身の性を知って間もない頃から続く、岩ちゃんとはまた違う確かな縁が一筋、今に繋がっている。
厚意に甘えるのはもうやめて、目を背けずに向き合い薬を全部止めるのが、せめてもの礼なんだろう。悪いのは全部俺で、早いところ想われてる恩返しをしてやれって、周囲の無言の圧力も最近ひしひしと感じてきて。
望まれている姿と今の自分との隔たりが大きいほど、優しくされるのがつらかった。岩ちゃんのことを俺は引きずっていて、贈られた指輪に籠められた覚悟にはまだ、応えられる自信がない。覚悟に相応しい気持ちを、俺は心から抱けるんだろうか。どちらつかずのままだと、誰に対しても失礼だから。
牛島も牛島だ、これつけとけって軽い感じで渡された指輪なら、まあ虫除けにいいかってこっちも軽く考えるのに。
手を取り指輪を通した前後のことも、いずれは忘れていけたはずだ。
柄にもなく緊張しきって、笑っちゃう位にぎこちない、指輪を摘まんだ震える指先。
緊張がこっちにまで伝染して、雰囲気に飲まれていた俺はただ、事の顛末を見ているばかりだった。嵌められた側の手をかざせば、薬指にしっくり馴染む装飾品が、上品な輝きを放つ。
サイズぴったりだ、って純粋な驚きを何気なく口にしたら、指の間から見えた表情に、胸が潰れる思いだった。俺のたった一言で、牛島はここまで喜んでくれるんだ。なのに俺は、俺のために生きようとしている人に、どんな仕打ちをしようとしてる?
こうしてくれたのが岩ちゃんだったら良かったのに、なんて軽口は絶対に叩けない。
幸せそうに、口許を緩めて、俺が嫌がってないのを安心した目で見てたから。俺が悩んでる理由も、まだ勘違いしてるんだろう。半分正解、もう半分は不本意ながら不正解。岩ちゃんを選びきれなくなってきた胸中を伝えたら、よく眉間に寄せてる皺も消えるんだろうな。
岩ちゃんのことは、忘れられるはずなかった。ずっと覚えていたい、大事な時間ばかりだった。
なのに。
それでも。打ち消されていく。
変わらない過去と、いくらでも変わる未来。岩ちゃんはあくまでも、俺の過去の大半を共有している事実を持ってはいても、未来永劫一緒に生きていけるって話じゃない。
それは既に立証された。
俺の一番が岩ちゃんのままでも、その次の存在になら、牛島もなれるかもしれない。初恋が叶わないのなら、岩ちゃんを一番幸せに出来るのが俺じゃないなら、好きになってくれる人を好きになって、生きてみてもいいのかもしれない。
発情期の合間に流れる時間はとても穏やかで、夜中に叩き起こす必要もないのに添い寝されてても、不自然じゃなくなってる。
あるべき形は、おそらく幸せに一番近い形。
迷ってるんだろう、と思う。
自分の番を俺は愛してやいないのに、責めも非難もしてこない。
俺を手に入れる気でいたんだから、素知らぬ顔して発情中には薬を飲ませなければ、あっけなく腹の中に既成事実も出来上がる。欠かさず服用して初めて、アルファ相手でも避妊効果が出せる薬なんだから、忘れたふりをして一日飲ませない日を作るだけでいい。
とても簡単な話なのに、そうされずにいると、俺はどうして岩ちゃんに固執して牛島から目を背けているのか、自分自身の中で一体何を優先しているのかを勘繰ってしまう。
頑なに牛島を拒絶していたのは、とっくの昔に過去になっていて、この人とならいいかな、って誤認しそうになる。
否定が肯定に置き換わった瞬間、俺が牛島を選ばない理由は消える。岩ちゃんと過ごした、あんなにも長く鮮やかだった記憶が、俺の手を離れて空に還ろうと飛び立ってしまう。
一緒に生きていきたい人は、誰なのか。
どちらつかずのままで一番辛く苦しい思いをするのは、俺じゃない。
十中八九、岩ちゃんでもない。
俺に始終振り回され、選ばれるか選ばれないか、四六時中天秤にかけられ続ける牛島だ。
俺の答えをずっと待っている。
俺の腹がまだ平たいのは、牛島の全面的な協力があってのもの。手段なんか選ばなくても、結果的に番を孕ませたところで誰も咎めやしないのに、心が体に伴うのをずっと待ってるんだ。
俺の体は間違いなく、牛島だけを向いている。
このままバレーを続ける限り、牛島は自分の望みを殺してでも、俺に薬を飲ませ続けるだろう。一度体に命を宿せば、年単位で競技としてのバレーから離れざるを得なくなり、その間に低減した身体能力は、体質的に二度と元には戻せなくなる。
プレイスタイルを大きく変えるか、第一線に立つのを諦めるか。
現状からの変化は、もう全部片道だ。
けど、いつまでも今のままじゃいられない。大人になるってことは、子どもの頃よりもずっと多くの選択肢に囲まれる反面、その中の一つを選ぶ責任と義務が絶えず課せられるってこと。甘やかされてるだけの時期は、もうおしまいなんだ。
「ハンドサインは初見で覚えるのに、どうして講義の中身は二割しか定着しないんだろうね、バレー馬鹿だからって単位は余計にはくれたりしないんだよ」
何が悲しくて俺は、人の単位の心配を全力でしてるんだろう。他校との練習試合を間近に控えて、本当なら戦術の確認とか想定される局面毎の対処を話題にするはずだったのに。
持っているメモには、取得が危ぶまれる科目の対策アイテムを持ってる人の名前がリストアップされてる。間違っても、対戦相手の公式戦のデータじゃないのが、悲しいったらない。
「今度の相手は確か、まだ一度も対戦していないところだったな」
俺が本当に目を通したかった資料は、牛島の手の中。分析専門にやってるメンバーもいるから、自分の目で確かめる必要性はそんなに高くない。単位をいかに今のうちに取っておくかの方が、牛島個人として緊急性が高いのに。
「俺の話聞いてないよね、対戦相手には事欠かないんだから余計に、今の時期に単位取りこぼしてたら出られる試合も出られなく――」
呼吸が止まるかと思った。
前から歩いてくる姿。呼び止めた声。懐かしい仕草。
間違えるはずない。一年前、何も言えないままに離れた幼馴染み。
岩ちゃん、どうしてここにいるの?
岩ちゃんはもう、俺に関わらなくていいのに。大人と同じになったから、俺の発情は岩ちゃんじゃ止められない。もう一緒には過ごせない。
だから俺は、自分の居場所を、牛島の隣に変えたんだ。
「前に言ってたよな、いつか必ずアルファが迎えに来るって」
風に乗って、岩ちゃんの言葉が流れてくる。
「運命を引っ提げて日常からお前を連れ去る存在を、お前だけじゃなくて俺も、心のどこかでいつも恐れていた」
光の加減で見えなかった表情が、徐々にはっきりしてくる。
「けどよ」
俺をかばうように、牛島が俺と岩ちゃんの間に割って入った。それでも、岩ちゃんは大して気にしていないみたいだった。
「その先の未来までは、まだひとつに決まってねえんだよ」
岩ちゃんが、思いっきり牛島に喧嘩売ってる。何事かっていくつか視線がこっちに向けられてるけど、そんなの気にしてる場合じゃなくなってた。
「なあ、及川。目の前にお前の、『二人目』が現れたら、どうする?」
岩ちゃんが何を言ってるのか。言葉同士の繋がりが示す意味を、俺の中ですぐには掴みきれずにいた。
「な、に……? 二人目って、何言ってるの、岩ちゃん……」
俺の一人目は牛島だと、岩ちゃんがそう言いたいのなら。二人目ってのは、誰のこと?
刺々しい空気をものともせずに、岩ちゃんと牛島はしばらく睨み合ってた。
雰囲気は険悪だし、居心地も当然最悪のはずが、同じ経験をした時の状況を思い出したら、大前提が一つひっくり返る可能性に辿り着いた。
夏に連れて行ってもらったインターハイの会場で、『アルファ同士』が敵意を向け合った時に、今と同じようなことになったんだ。
ってことは、岩ちゃんは。
「実際は再々検査の結果待ちで、決まったわけじゃねえけどよ」
検査のやり直しなんて聞いたことなかった。
けど、世の中には、もしかしたら、が存在してる。思いもよらないタイミングで、積み上げてきたものが全部ひっくり返される。そんなことが、あるんだろうか。
「俺は間に合うのか。連れ戻す権利をまだ持ってると、胸を張っていいのか」
いつになく岩ちゃんは真剣だった。
今のままだと、俺は名実ともに牛島の対になって、二人分の遺伝情報を混ぜ合わせた子どもをいずれ産むことになる。おそらく、向こう数年の間には。
今のままじゃなくなったら。なくなったら、俺はどうなる?
どう、変わってく?
「俺はベータじゃなくなってたらしい。少なくとも、及川診てた医者は口を揃えて言ってんだ」
昔、つまらなさそうに一度、検査結果を見せてくれたことがある。アルファにもオメガにも傾いていない、真ん中辺りをふらふらしている測定値の並んだ、ありふれた指標。お前どうだった、って聞かれてその時は誤魔化して終わった話に、まさかの尾ひれ付き後日談があったなんて誰も予想出来ないに違いない。
「あの時と、もう状況は違う。ただ、無理に連れて帰っても、答えは出ない。選ぶのは、及川。お前だ」
岩ちゃんは、もう一度俺を選びにここに来てくれたんだ。ベータの時と同じ。たとえ体の中の性が変わっても、俺の知る岩ちゃんは岩ちゃんのままだった。
けど。岩ちゃんが変わらなくても、俺は変わってる。
岩ちゃんのところに帰りたいって、すぐには言えなくなってる。
説明出来そうになくても、このまま牛島と離れたら、俺の中に刺さってる棘は一生残るだろう。折に触れて痛む、小さな小さな刺し傷。
俺の扱いに慣れてないから、本当は嫌だと思ってないようなことにまで遠慮してさ。気づいてないみたいだけど結構抜けてるし、言葉は足りないし選び方もいまいちで、字面と本音が違う方向向いてる場面、何度出くわしたかな。
俺の言いたかったことも勘違いされて、そうじゃない、って訂正して、違う解釈のしようのない言葉を選んで伝えさせられる羞恥プレイのおまけつき。
言わなくてもわかる岩ちゃんとは大違い。言わないとわかんないし、言ってもうまく伝わらないし、気づいてくれるまでひたすら待たなきゃいけないし。
なのに、見限ろうとは思えないんだ。それ以上に何が大事か、もう知ってるから。
恭しく俺の手を取った牛島は、左手の約束に指先をかけた。あの時の映像が、逆に流れていく。
違うのは、お互いの表情。自分でも表情が強ばってると思う。手元に落とした視線を上げられない。
どんな気持ちで、牛島は俺を解放しようとしてる?
俺と生きる意志を固めてたのに、あっさり手放せるほど軽い想われ方してないのに、それでも俺を諦めようとしてるのか?
俺に、岩ちゃんのいない生活を定着させた癖に。まだ俺は、何も言ってないのに。
体温の残るプラチナは、俺の薬指から牛島の右の小指に移った。勝手に岩ちゃんから引き離してきたのに、また勝手に岩ちゃんに引き渡そうとしてるのか。俺がどうしたいのか聞く前に、選択肢だけ提示して、身を引く覚悟さえ先に固めてさ。
俺が本当に望んでること、知らないからそんなことが出来るんだ。知ってたら、今みたいにすっぱり諦めようとしない。絶対に。
見上げた顔は、高校時代を彷彿とさせる険しさで、岩ちゃんに返してやりたいとは一言も書いてない。なのに、俺はずっと岩ちゃんのところに帰りたがってると思い込んでる。俺との繋がりを自ら解いて、俺と一緒にいた時間を、なかったことにしようとしてる。心にもない振舞い。
今も昔も、自分はどうあるべきか、何を成すべきか、そんなことばかり考えてるんだろう。どうなりたいのか、何をしたいのか、意志が介在しない領域。
まだ俺は、牛島をそこから引きずり出せていない。体しか、まだ番になってない。その先へは、俺から歩み寄らないと、進めなかったって。今やっと、気づいたんだ。
見上げた目が合う。建前と本音が混じってる。嘘をつき通して、後悔しないはずない。俺を選ぶか、他の誰かなのか。そんな生易しい二択なら俺だって迷わなかった。対極にあったのは、誰も選ばない、比較されるはずのない材料。
「岩泉の隣が、お前の元からの居場所なのだろう」
言外に、帰ってもいい、戻れって、言おうとしてるようで。俺たちのまわりだけ、時間が戻ったみたいだ。
俺の居場所は、岩ちゃんの隣。
暗黙の了解が存在していて、誰も無理には引き離そうとしなかった、あの頃。
まだ誰にも、抱かれてなかった頃。
重ねた時間を、なかったことになんて出来ないのに。苦しみ抜いて、決断を下した誠意を、無下にはしたくない。
けど。俺は、自分に嘘はつけない。
牛島は俺の背中を軽く押して、岩ちゃんとの間に俺を立たせた。どちらを選ぶのか、この場ではっきりさせる、決断を迫られてる。
俺の答えは、とっくに決まってたのに。
「……馬鹿だよ、この期に及んで、まだ俺に選ばせようとしてるんだからさ」
前と後ろと、距離は等しい。岩ちゃんと牛島、二人のどちらをも、今の俺は選択することが出来る。一緒にいたい人の手を、選ぶ許しを得てる。
答えは、ひとつだった。
懐かしい、岩ちゃんの猫目。少し背も伸びたかな、大台がどうのって気にしてた頃の顔じゃなくなってる。
近づくにつれて、離れてた時間が溶け合ってく。一年の隔ては、岩ちゃんとなら障りにはならないんだ。
だから俺は。
岩ちゃんを、精算しなきゃいけないんだ。先に進むために。
俺のために俺を手放す気でいる人に、俺が本当はどう思ってるのか、知ってもらうために。
背後の気配が、少しずつ遠くなる。俺が立ち止まっていても、それは変わらない。思ってた以上に、言葉よりも多くのことを、考えてくれてたみたいだった。
いつ気づくかなって、同じ速さで背中を追いながら、見当違いの方を向いてる爪先を辿る。体育館はそっちじゃないのに、一体どこに行くつもりなのかな。
だから、一人にしておけないんだ。
「思いっきり、勘違いしてるよ」
でも、仕方ないのかもしれない。俺だって、岩ちゃんの顔を見るまでは、誰と一緒にいたいのか自覚出来なかった。ぎりぎりで気づいただけなんだ。
今この場から、いなくなられたら困る。一緒に生きてくって、決めたんだから。
「俺が岩ちゃんに会いたがったのは」
気づけ。
俺の本音が変わっていったのは、一体誰が原因だと思ってるんだ。
「帰りたいからじゃない」
振り向いた。そのまま、余計なとこ見てないで、俺のことだけ見てればいい。
いつもみたいに。俺を手放す選択肢なんか絶対想像しない、ちょっとずれてて腹立つけど、本当の意味では一度も俺を悲しませなかったお前に、今すぐ戻れ。
最後の一線を明け渡す覚悟を、俺に決めさせたいなら。
「ありがとうと、さよならを。ちゃんと伝えて、けじめをつけたかったんだ」
座標を変えなくなった背中に抱きついてやったら、笑っちゃう位に動揺して、固まってて。少しは俺に期待しても、裏切ったりしないのにな。二人きりになったら、こっそり言ってやろう。避妊薬が効かなくなる条件なんか特に、聞かせたらきっと卒倒するだろうな。
丸一年会ってない岩ちゃんとの会話よりも、背後の気配が離れていかないように気にかけるあたり、俺も大概だ。
俺たちの会話の中身は、流石に聞こえないだろう。
一緒には居られないって伝えたら、瞬きをするかしないかの刹那、岩ちゃんは泣きそうな顔をした。
すぐにそれは隠されて、ひどいことされたらいつでも戻ってこいよって、口だけ笑ってみせて。
俺は本当に、度を越して恵まれてる。自分よりも優先して、俺の幸せを願ってくれる人が、ここにもいるんだから。
でも、俺が選べるのは、一人だけ。
俺が選んだのは岩ちゃんじゃない。
期待だけさせておいて、やっぱり、なんてのは岩ちゃんに悪いし、牛島には失礼だ。今まで待たせてた分、待ってた甲斐があったと、思ってほしかった。
一年と少しで、あれだけ岩ちゃんにべったりだった俺が岩ちゃん離れできたのは、どうしてだと思う?
ちっちゃな頃から一緒にいて、思い出を共有してた時間の方が長かった、あの岩ちゃんだよ?
俺の中での岩ちゃんの立ち位置が、今までとどんなに違ってるか。鈍いから気づいてないんだ。
それだけ、俺を変えたのに。俺を形作ってたひとつの要素を、昇華させたのに。自信持ってもらわないと、張り合いがないじゃないか。近い将来、養う頭数が、一人から二人三人って増えてくんだから。
岩ちゃんに背を向けて、一度も振り返らずに、俺は牛島のところに戻った。やっと爪痕が消えかけてきたのに、また新しいのをこしらえた、ちっとも懲りない背中が待っててくれた。
「返して。それ」
気づくかな。
俺が、笑ってるって。
顔を見なくても気づいてくれる日、来るかな。
ゆっくりこっちに振り返りかけて、そのまま固まってる。
俺が『選んだ』のが、そんなにも意外だったらしかった。
「返してくれないとさ。俺、すごく困るんだよね」
触れた小指は強張ってる。俺の薬指に合わせた環は、指が少し太い程度じゃ当然、小指でもて余されてた。
割とあっさり引き抜けたリングは、牛島の右手に握らせて。手の甲を上に向けて、俺は左手を差し出して。
もう一度やり直せるなら、今度は自分の意思で、指輪を受け取りたかった。
「……もうつけてくれない、なんて話は聞きたくない。俺は岩ちゃんを選ばなかったのに、今更手放されたら、俺はどうなる?」
一人で家にも戻れない。こんな体になった以上、帰る気もほとんどない。頻繁に、本能に根差す欲求にあっさり屈して、迷惑になるだけだから。
「もう二度と、勝手に放り出すな。岩ちゃんは、俺を不安にさせたらすぐに、取り返しに来るよ。そうできる見込みも、あるんだから」
岩ちゃんと違って、牛島はこんな時に、自分から身を引く。我を通すとばかり思ってたのに、俺と同じように変化したんだろうか。
土壇場で全くぶれない、精神的な強さがある種の狂気さえ感じさせる岩ちゃんとは、適した頼り方自体が異なる。
それともいざという時に、俺が岩ちゃんのところに帰れるように、口実を残しておいたんだろうか。そこまで計算してるとは考えにくい。
けど、心弱りの原因が、俺だったなら。
そう見えたのは実は違って、天秤の釣り合いを生み出すために、そう『見せて』いただけだったなら。
本当の意味で、揺らがない強さを手にするために。
互いが、互いを必要としてる。片方がもう片方に、一方的に依存する間柄ではなく。並び立ち、同じ目を持てる半身。二人揃って初めて、足りないものを補い合える。互いの選択を尊重して、どうすればいいのか、何が必要かを、考えていける。
俺は確かに、牛島の対として生まれてたんだ。なら、役割なんて、とっくに決まってたじゃないか。
「一生だが」
「ん?」
ようやく牛島が閉ざしていた口を開いた。わざわざ正面に立ってやったのに、視線が泳いでる。ちらっとこっちを見ては、またすぐに逸れる。
もう迷わなくてもいいのに。俺はもう、どこにも行かないんだから。
「一生、隣に居ても構わないと、受け取っていいのか」
体温を移しあった、学生には不釣り合いに高価な指輪。どんな顔して、一人でこれを買ったんだろう。
将来を誓いあった二人が仲良く買いに行くような、本当は対になってるはずの片割れは、まだ完全には俺の指に戻ってきていない。指先に触れるかどうか、環を潜り抜ける直前で踏み留まって、最後はまた俺の望みのままに答えを出せるよう計らわれてた。俺が望めばこのまま離れても構わないと。
なら、その逆を、俺が望んでたとしたらどうか。そんな可能性は、考えてもいなかったとしたら。
原因は、ずっと牛島を袖にし続けた、俺にしかない。
「岩ちゃんよりも」
待ってられなくて、手首を掴んで勝手に通させた。第一関節の先、意志があって初めて、指輪が通される領域。
「岩ちゃんよりももっと、一緒にいたい人が見つかったから、だから俺は――」
言葉になんか、できっこなかった。
牛島の目を見てしまったら、胸が詰まって、今までいかに何も伝えられてなかったのか、やっと気づいて、申し訳なさともうひとつ。温かくて満たされてくのに、パズルの最後のピースを完成寸前でいたずらに隠されたような、特別で欠かせない鍵を知らずに渡してた。すぐに返してほしいのが半分、そのまま持っててもらって、完成させるべき時に二人で全貌を同時に目にしてみたいのが半分。
指のちょうど半分の位置で遊んでた指輪は、ほとんど俺の体温だけを帯びて決着を待ってる。同時に、俺も承諾を待ってた。
俺がどう思っていようと、現実問題として俺を終生養うのは自分自身じゃなかったから。
俺を逃がさないために贈った指輪に、違う意味を加えたとしても、その重さを是とできるのか。
今までの何十倍もの時間を共にして、親の庇護を失ってからも、同じように暮らす気はあるのか。
本当に、俺の生涯を背負わせていいのか。
心変わりが、重荷と思われるのが、どうしても怖かった。
「俺が及川を見ていた時間は、そう長くない」
第二関節にさしかかる。俺の左手を支えてる指から緊張が伝染して、往来の真ん中で始まった厳かな『儀式』だけに、意識の全てが向いている。
「岩泉は知っていても俺が知らないことを挙げると、日が暮れても足りはすまい」
ずっと、気にしてたのかな。岩ちゃんしか知らない俺が、いかに多いのかを。
岩ちゃんだけが知っている、公言できることから、口に出すのも憚られるようなことまで。この世に一人しかいない幼馴染みが、いかに俺の過去を専有していたのか、一緒に暮らすうちに突きつけられたのかな。
「何度失望させるか、何度悲しませるか、今までを含めると余計に、嫌気が差す回数だとは思っている」
何度衝突して憤り、嘆いては差違を飲み下したか。呼吸が合わない場面の多さに俺は匙を投げて、そっぽを向いて溝を埋めずに放置してた。
けど、牛島は全部乗り越えた。昔の岩ちゃんみたいに。俺に伝える言葉を選び、何がいけなかったのかを一つ一つ示した。その度に、俺の中の『岩ちゃん』が、置き換えられていったんだ。
「それでも構わないのであれば」
第二関節のその奥へ。もとあった場所まで、一センチ足らず。離れかけた距離が、今度は互いの意思で、ゼロに近づいてく。
「一生を引き受ける覚悟は、何年も前に固めてある」
指輪は元の位置に戻った。もう精神的に俺を縛るためのものじゃなくなった。言葉にすると薄っぺらになるから、約束を交わした証を俺から示すのならば、声を使わない言語が一番だった。
牛島はいつもそうして、俺に伝えてくれていた。
それぞれが望んだ関係性。あるべき位置。必要なものと不要なものに順位をつけて整然と並べ、過剰にも見えた取捨選択に拘ったのも、全部俺の負担を減らすため。
俺の居場所は、最初からここだったんだ。
前から抱きついたら、攻撃的な体温が汗ばむ位で、背に回された腕がまだ少しぎこちなかった。毎晩もっとすごいことしてるのに、玄関を出たらこうなんだ。
言葉ではあまり語らないひとには、語りかけすぎても等量の答えは言葉では返ってこない。その分、行動や態度に出てくるし、不器用な言葉よりもずっと気持ちを伝えやすい術をいくつも持ってる。
初めて会った時からそうだった。いつも言葉は後回し、一年生大会の時といい、ベストセッター賞取った大会もそうだし、三年夏の予選なんかは特に顕著だった。思いっきり手を出されて、動けないし抵抗する気も年々なくなるし、そもそも嫌悪感が一体どこに行ったのか探すのさえ忘れてた。
「鈍い、よね」
お互いに。俺の変調にはすぐ気づく癖に、気持ちはてんでわかってなかったんだから。自分の気持ちをわかってないって点では、俺も人のことを強く言えないけどね。
「俺に全部言わせてるうちは、及第点はやらないよ」
牛島は俺に甘いけど、俺はそこまで牛島に甘くはなれない。どうしても、ああしてほしい、こうしてほしい、欲が出る。わかってほしくて我が儘も出るし、高望みもしたくなる。
けど、岩ちゃんだって、最初から俺のことよくわかってくれてたわけじゃなかった。どうして思い出さなかったんだろう。お互いの考え方を知るまでの間は、うまくいかなくて当たり前だったことを。少しずつ、長い時間をかけて、わかり合ってきたことを。ある程度既に完成してる岩ちゃんとは違う。
牛島は、これから、なんだ。
「合格したら、その時は」
真実、俺は牛島ただ一人のものになる。過程をいくつも省いた言葉は、相当に慣れないと曲解されてそれきりの、独特の才能が発揮された比喩混じり。わかりやすさって観点では、よくこれで主将なんかやってられたなって思うし。
でも最近ちょっとずつ、何を略してるのかの傾向がわかってきた。わかってくると同時に、俺が思ってた以上に昔から、並々ならぬ執着と愛情を向けてた事実が浮き彫りにもなって。
俺はすっごく照れてるのに、あいつときたら何を当たり前のこと言ってるんだって顔で、憎たらしいやら余計に恥ずかしくなるやら、ペースを乱されるばかりだった。
二人でいるのが自然になってから、一時の情熱に惑わされたり、肉体的な快楽欲しさで手元に置くほど、牛島は俺を軽く扱ってないと知った。
それに、俺を形作る上で欠かせない、自分自身で気づかない部分が、随分前から牛島には見えていたみたいだった。
長い目で人を見る分、目先の最善手と現実の選択がかけ離れて、時間が経ってからやっと深意が理解される。間違ってないのに、損してるなとも思うのに、それを俺が知ってるだけで十分だ、なんて格好いいこと言っちゃってさ。
説明される前に互いの心境を察して振る舞える、そういった意味でも、俺はとっくに、牛島の『特別』になってた。
様々に語られた愛情が重すぎるくらいで、俺にはちょうどよかったんだ。
「俺はもう、他の誰も、選んだりしない」
人目なんかどうでもいい。俺が選んだこの人が、少しでも多く幸せを感じてくれれば、それでいい。
今までの分もあわせて。取るべき手を、もう迷ったりしない。
悩み、間違い、舞い上がっては現実に打ちのめされた、全部が今に繋がってる。どれだけ抗おうと、惹き合わずにはいられない、唯一の相手。
俺のための、番。
つま先立ちになり気まぐれに奪った唇は、外気のせいでかさついていた。何でもない行為のはずが、心臓がうるさくて耳が熱い。らしく、ない。火照る頬を隠そうとして肩口に顔を埋めたら、安心したような深い息遣いが首筋を温めた。
無条件に落ち着ける気配は、目を閉じると一層はっきりと感じられて、腰に回された心地よい腕の重みは、俺にもう一つの決断を促した。
「これ、一つだけじゃ、可哀想だと思わない?」
予算の都合は勿論あって、口で言うほど簡単には二つ目を買えるとは楽観視してない。小遣いもらってやりくりする身分で証明書つきの指輪なんか買うんだから、どこまでも牛島らしいけど、同じような節制は俺にはなかなか骨が折れる。
それに、俺の左手と、牛島の左手じゃ、持つ意味が違う。展望明るい、代表に選出されるほどの選手の利き手に、余計なものをつけさせる相応しい理由がなければ、おかしいって言われるのもわかってる。
俺からも目に見える形で、約束を贈りたいってだけの話だった。実現するかどうかの見込みは度外視で。
「二つ揃ってるのが前提なんだから、もう一つ用意しないと格好つかないよ。今度は……一人で買いに行かせたりしたくないし」
サイズも知らないから計ってもらわないと。似たようなデザインで違うものを間違って買ったりしないように、現品もその場にあるに越したこともない。口実はいくつか考えてあるから大丈夫。
自分から言葉にし続けるのは結構難しくて、曲解されないようにって考えたら、今のところはこっちから同じ言葉を使うしかないからもう一回。絶対に誤解できないように。俺を手に入れたのはお前なんだって、自惚れて構わないといい加減に気づけ。
重ね合わせた唇の温もりを、俺はもう他に覚える気はなくなったって。
岩ちゃんの隣で過ごした時間は、蒔絵の輝きを持っていた。
貝の淡い光沢が幾層もの真っ黒な塗りの中から切り取られて、艶やかな対比が落ち着きある確かな風格を漂わせる、他の色を一切存在させない前提で成立した調和の世界だ。
完成され、止まった時間の中で、穏やかに過ごせるならば、俺は岩ちゃんを選び続けた。止まっていた、いや動いていたのに止まっていると決めつけて、見ないふりをしていた歯車が予定通り噛み合ってからの一切を、想像せずにいた。
俺の時間は、一本の線上を坦々と進み流れていたにも関わらず。持って生まれた性の違いが二人を分かち、真に俺を満たす存在が現れてようやく、俺と岩ちゃんの時間は断ち切られて違う時間が始まった。
区切りを迎えないと、終わってみないと、自分が過ごした時間の全体像は決して見えてこない。岩ちゃんとの時間の全容を、当事者でも解釈出来たのは、今以上にはなにも起こらないよう関係性が完結したからだ。
だから、牛島と過ごした時間の正体も当分掴めない。けど、正体なんか知らないままでいい。知る瞬間は、続いた時間が終わりを迎えるに等しいから。
俺が岩ちゃんに与えてしまった痛みは、知ってほしくない。
「……岩ちゃんと過ごした時間はね、俺にとっては確かに宝物だった」
きらきらした時間。靄に引きずり込まれそうになりがちな俺を、何度も助けに来た岩ちゃんは、希望の象徴だった。今さらそれを否定するつもりはない。今の牛島が、俺にとって岩ちゃんと同等であり得るかと聞かれても、首は横に振る。
「岩ちゃんも、岩ちゃんと一緒にいた時間も、紛れもなく俺の特別な一部だったよ」
事実は事実。ただ牛島は、とても重要な要素を見落としてる。
「けどね」
いつまでも昔と同じでいられないって、もう俺は気づいたから。悪い意味だけじゃなく、牛島にとっては特に、いい意味で。
「誰とも同じように過ごせないなんて、決まってない。少なくとも俺は、そうは思ってない」
俺が重ねた時間の大半を、牛島は知らない。知らないから、教えるんだ。伝えるんだ。知らなかったから生まれたすれ違いも、気持ちの齟齬も、そうすることで報われる。
柔らかさなんか欠片もない体に抱きついたまま、嘘じゃないって伝わるまで擦り寄ってたら、身動ぎした拍子に、かさ、と乾いた音が牛島のポケットの中から聞こえた。そういえば試合の資料手に持ってない。くしゃくしゃになったホチキス留めの紙束を引き抜いたら案の定資料で、予想してた名前がやっぱり書いてあった。
「やっぱり、対戦相手って岩ちゃんのいるとこかあ」
肩口越しに見てるから、その他に何が詳しく書かれてるのかは読み取れない。お互いに試合に出るかどうか、違う問題もあったけど、新しい試みの効果を測るなら間違いなく出てくるし、こっちも牛島と組んでコートに立つ見込みも十分にある。
「俺が言うのも何だけど、対戦相手に岩ちゃんいるって相当手強いからね?」
俺の癖は当然把握済み、崩すための最適な手法も筒抜けだから、油断しなくても痛い目に遭うと思う。ただしそれは、俺一人だったらの話。隣から岩ちゃんはいなくなっても、俺は一人にはならなかった。隣にはもう、対で生まれた番がいるから。
「負けるつもりなんか、カケラもないけどね」
これ以上何が変わったって、変化を恐れる必要はない。変化の末にかけがえのない存在を見出すこともあるから。
手を引かれ、導かれるばかりの間柄じゃない。
二人で同じ景色を見ていられるように。
並んで歩いていけるのは誰なのかも、もうはっきりしてる。
自分の手で幸せにしたい人を見つけたから、プラチナに籠められた愛情を、同じように注いで誓いを立てよう。
「一人と一人だった頃とは違う。もう、『二人』なんだから」
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