ジクパー 雨の日の再会

晴天に霹靂が走った。
二人の離別は、そのくらい唐突で、衝撃のある出来事だった。

各地で活動する氷皇の草たちがグランサイファーの行方を突き止め、勅使を寄越してきたところまでは、まだ話は分かる。
真とも偽とも断じ難かったのは、勅使の持っていたアグロヴァル直筆と思われる書面だった。
『弟・パーシヴァルを今すぐに船から降ろしウェールズへと送り届けよ』
送り届ける供として一人だけ見送りにつける点だけは譲歩するが、それ以上は一切認めない、とも。
パーシヴァルを引き渡さねば、ウェールズ一国を敵に回すことになるのだ、とも読める文書を……団長であるグランは、懐で一夜温め、主だった団員と話をした。
集められた面々は多様で、様々な意見が交わされるが、その中に当事者はおらず……あくまでも、団として一人の団員の処遇をどう取り扱うのかを、決めようとしていた。
そして翌朝グランは、勅使を泊めた部屋まで出向き、諾の意を伝えた。
愛しい男の腕の中で眠るパーシヴァルには、何も伝えられないままに、事は水面下で進んでいた。

「あ、丁度いいところにいた。二人に話があるんだ」
訓練用の剣を手に手にいざ一戦、と構えていたジークフリートとパーシヴァルは、グランのいつもの呼び出しなら何らかの雑用か、と軽く考えていた。
だが、それは人払いのされた食堂に通された時点で甘い幻想だったと知れる。
気配の消えた部屋は普段が不断なだけに実に気味が悪く、嫌な予感が当たらなければ良いが、と思わずにはいられない程で。
沈黙を破ったのは、ジークフリート。
「話というのは、何だ。人払いまでしたのだから、余程重要な話のように思えるが」
ほぼいつもいる料理人三人組がいないだけで、こうも静まり返るのかと。パーシヴァルは固唾を呑んで、グランの言葉を待った。
「……ああ。大事な、話だよ。二人に……いや、パーシヴァルに……この船を降りてもらうことになったから」
「…………何だと?」
パーシヴァルの声色が一気に刺々しくなる。
「ウェールズからの勅使が、昨日来ていたんだ。今すぐにパーシヴァルをウェールズに帰せって」
グランが手にしていた書面を、二人の眼前にぶら下げる。
「…………兄上の、筆跡だ……右筆の文字ではない、間違いなく兄上直筆の……」
「どういう事だ、パーシヴァル」
途端に焦点が虚空を彷徨い始めたパーシヴァルの両肩を掴み、揺り動かすジークフリート。
だがパーシヴァルは、一度陥ってしまった悪夢からは戻れずにいた。
「確かに俺は遊学の身であったが……こんなにも早くに……何故俺が……」
「パーシヴァル!」
ジークフリートが声を荒らげても、ゆらゆらと揺れるばかりのパーシヴァルの体には普段のしゃんとした芯が通らないままで。
「とにかく」
グランの声は、どこまでも冷静だった。
「二人には旅の支度をしてもらうよ。今この騎空挺は、ウェールズに近い係留場に向かってる。そこから先は、二人で歩いてもらうから」
送り届ける時のお供は一人だけって言われてるから、こっちで選ばせてもらったけど構わないよね。
全てを見透かすグランの瞳は、十五の少年のものとはとても思えなかった。

そしてジークフリートは、パーシヴァルとまともに会話が成立しないままに、旅立ちの日を迎えてしまった。
明らかに避けられていた。話しかけようものなら踵を返され立ち去られ、手合わせになど応じる気はないとばかりに私物の整理に集中されて。
結局私物の大半は何かの役に立つだろうとの結論により、パーシヴァルの私室だった場所はほぼそのままの状態で残されることとなり、パーシヴァルはごく軽装での旅支度を終えた。
護衛兼従者のジークフリートも、旅は慣れているから必要最低限のものしか持たず、街で依頼をこなす時とほぼ同じ格好をしていることが余計にジークフリートの胸を抉る。
「何をしている、ジークフリート。行くぞ」
口調だけは平時のパーシヴァルだったが……声色が違う。含ませた細やかな感情が違う。パーシヴァルはもはや、ウェールズの一員としての自分の鎧の中にとうに篭ってしまった後で、王位継承権を持つ存在へと変質を遂げた以上は手遅れだとでもいうのか。
ジークフリートは自問する。
歩みを止めようとも思ったが、さっさと先へ進んでしまうパーシヴァル相手では意味をなさず、結局は隣を歩くしか選択肢は得られずに。
一昼夜をかけて領地に入り、日没前に門扉の前まで辿り着いた二人だったが、ここでもろくな会話を交わそうとしないパーシヴァルに対して……ジークフリートは業を煮やした。
パーシヴァルを確認して門扉を開けようとする門番がこちらを見ているにも関わらず……鎧姿のパーシヴァルを抱き寄せ、強引に……濃密な口づけを交わした。
口を離した時に、夕日に照らされ今にも溶け出しそうな瞳をしたパーシヴァルが、呪縛のようにジークフリートに囁く。
「俺の事は、早く忘れてくれ。俺はいつか、こうならなければならない運命にあった男だ」

それきり、門の中の世界と外の世界とで、二人は区切られ隔てられてしまった。

兄の右腕となるべくして呼び戻された弟としての役割。
懸命に、パーシヴァルは日々の『生活』に打ち込んだ。国王としての兄の補佐は、筆舌に尽くしがたい労苦をパーシヴァルに覚えさせた。同時に、こんな責を兄一人の肩の上に負わせてしまっていた過去の自分の無力を嘆き、そして自身を奮い立たせた。今の境遇に負けるようでは、ウェールズの男子を名乗れるわけがないと。そもそも旅は見聞を広めウェールズの治世に役立てるためだったではないかと。
……心の底から愛おしく想った人の事は、心残りではあったが。パーシヴァルもいずれは、国同士の縁故を深めるために政略婚をせねばならない日がやってくるのだから、愛し愛された日々のことなど覚えていても苦しむだけだと、自分自身の心に蓋をした。
蓋がずれ、想いが膨れ上がってくるたびに、自然と溜息が出た。

日々に埋没しきれずに。かといって、うわ言のように男の名を呼びながらの自慰さえも縁が浅くなり。すっかり溜息が板につくまでには、二年という歳月はパーシヴァルにとって十分すぎる時間だった。

しとしとと空から降ってくる慈雨が、大地を潤す。
天候に恵まれ過ぎていた反動で、干からびかけていた作物にとってはまさに恵みの雨と言ったところか。
ウェールズの屋敷の自室での窓辺に腰かけ、外を見ていたパーシヴァルはふと、曇天を見上げた。
兄によって騎空挺から引きずり降ろされた自分とは違う、あの男はまだ騎空団の一員として艇に乗っているのだろうか。
それとも何処かの地に根を下ろし、どこぞの誰かと婚姻してでもいるだろうか。
さすがに、年齢からして不自然ではないが……あの男に一家の亭主が務まるのだろうか、と考えたところで、大きな大きな溜息が吐かれる。
ジークフリートの安否どころか、音沙汰のないことにこれほど気を病む日が来るだなんて思いもよらなかったあの日々。
騎士団の面々と日々顔を合わせていた頃とはまるで違う、過度に煌びやかで窮屈な生活は、パーシヴァルの身を日に日に浸食し、屋敷の外に出る機会もまた減っていった。
空を掴めそうなほどに高く飛べた日々は、もう帰ってこないのか。
鍛錬の頻度も減り細くなった腿を見て、何も思わないわけがなかった。

ある日の事。
遠路はるばるパーシヴァルを訪ねて、男が一人やって来たという。
外は生憎の悪天候。情を見せて屋敷の中へと入れてやり、懐の深さを示す機会ではあったのだが、誰とも会う気分になれなかったパーシヴァルはそれを拒否した。
余程の用であるのなら日を改めて出直すと踏んでの選択だったが、男は帰りもせずに軒先を借りて雨宿りをしていくとの話だ。
会えるまで何日でも待つさ、との言葉も添えてくれないか、との伝言を伝えに来た使用人の物言いに、パーシヴァルはふと途轍もない懐かしさを感じて……重い腰を上げた。
不審な者であったなら即追い返せるよう自身も帯刀し、護衛も二人伴って、パーシヴァルは屋敷の階段を下りていく。
屋敷の第二の主が近づいてきたのを察知した扉番が、扉を開いて恭しく頭を下げる。
それを視界の端に留めたパーシヴァルは、続けてその先に立っているはずの男の姿を目にしたのだが……以前よりも軽やかになった足がなぜかもつれて、転びかけてしまって。
咄嗟にパーシヴァルを抱きとめたのは、屋敷の警備に当たっている兵とは違う鎧姿の男。
よく見てみれば、ひどく懐かしく……鈍い光沢を持つ、様々な色を吸い込んで生まれ出た黒い甲冑を、男はその身に纏っていて。
まさか。
まさか、いやそんなはずは。
パーシヴァルは混乱したが、同時に期待も寄せた。
もしかして、と。
「パーシヴァル……久しいな、少し痩せたのか……お前にしては軽いな」
パーシヴァルの唇はどれだけ動いても、声を失ったかのように言葉を紡ぎはせず。
代わりに、瞳から熱い雫が伝い、頬を濡らした。
「…………ジークフリート……」

久方ぶりだった。
使用人ではない者に自身の肌を晒して、体の奥を穿たせる行為など貴人のすることではないとアグロヴァルに散々仄めかされていたから。
それでも、部屋に招き入れて二人きりになっては、語る言葉を選びきれなかった。
一歩歩みを進めるごとに、鎧が外され床に落ちる重厚な音がする。
天蓋のついた寝台のすぐ近くまで歩いた頃には、パーシヴァルはジークフリートの両腕によって横抱きにされ、丁重に寝台へとその身を横たえさせられていて。
以前とは力のかけられ方が違う点に気が付くくらいには、分かたれていた歳月の重みを思い知り。
ジークフリートの不埒な手が胸元を乱そうとする前に天幕を引き、余人の目には触れぬよう精一杯の意地を張って。
蚊とはまるで違う生き物に肌を吸わせ、隅々までを許し、秘部を晒して胎の中で精を受け止めたのち……パーシヴァルは、ジークフリートの腕が生んだ檻の中で、どんな苦労話から聞かせてやろうかと早速企てていた。
「パーシヴァル」
すぐ上から声が降ってくる。
「俺はもう一度、お前を……パーシィと呼ぶ権利を持てるのだろうか」
神妙な面持ちで何という事を言い出すのか、この男は。
思わず口角を上げたパーシヴァルは、答えずに男の唇に自身のそれを重ね合わせた。
後にも先にも、パーシヴァルの心を射止めたものは一人だけだというのに。

溜息をついてばかりいる弟を見かねて、ジークフリートのもとへ勅使が送られていたのだとパーシヴァルが知ったのは、ジークフリートの腕の中にしっかりと体を収めてからだった。


[ 7/37 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -