ジクパー アフタヌーンティーの向こう


紅茶色の瞳に映っているのは、栗色のウェービーな髪をした偉丈夫。
ベッドに横たわっている理由次第では胃が痛んだりしたかもしれないが、今回は眉を顰めたりしなくて済んだ、とほっと胸をなでおろしたばかりだ。
淹れたての紅茶は一人分。時間的に目を覚ますはずのないジークフリートの分は用意していない。パーシヴァルはジークフリートの中に溶け込み時として牙を剥く竜の血の影響を知ってはいるが、薬の代謝速度はそう大きくは変わらないと経験で掴んでいた。
ジークフリートが寝返りを打ち、ティーセットの揃っているテーブルの方へと向き直っても、確かに目を覚ます気配はない。
湯気の奥の、閉じられている瞼がぴくりと動いても、深くゆっくりとした呼吸は変わらなかった。
眠っているだけ。
規則正しい寝息もちゃんと聞こえているし、体のどこにも包帯を巻かれていない。
怪しげな魔法を受けてもいないし、星晶獣の影響は受けていないと太鼓判も押されている。

『何日も満足に眠らずにいたのは、団長としても僕個人としても看過できない。何かあったらまずいから今日と明日は休んでもらうから』

拷問用の黒衣に身を包んだ少年は、行先も告げずにふらふら出ていき戻ったばかりのジークフリートの、無言の圧をものともせずに篭手を外し。即効性の高い睡眠薬を仕込んだ針をすかさずに彼の手の甲へと刺していた。
医術も心得ている少年は、的確に静脈へと針を刺しており、酸っぱい顔をしながら患部を見つめて『命令』を下す。指揮系統の中で動いていると自覚させなければ、ジークフリートの行動は縛れない。あらかじめ彼の知己からされていた入れ知恵の通りにしてみると、なるほど確かに思惑通りに事が運んだ。気を張っていた時は自覚しにくかった疲労がしっかりと四肢に鉛をぶら下げ、鈍くなった感覚は思考をも単純化させていき。
やけにあっさりと少年の指示を受け入れたジークフリートは、七割ほどの意識を既に飛ばしながら自分にあてがわれている部屋へと移る途中で、慣れ親しんだ香りを聞いた。
ふらふらと香りの方へ吸い寄せられ、そういえばあちらの方もすっかりご無沙汰していたなぁ、と呑気に鼻をひくつかせていたジークフリートが辿り着いたのは……少年に入れ知恵をした知己であり、知音と形容し曲解されようとも一切の支障が出ない仲である、パーシヴァルの部屋の前。
いつもよりも香りが強い気がするなぁ、と考えただけのはずが、緩んだ思考は無意識に言葉として発するように勝手に命令を下していたようで。髪をタオルで拭き乾かしていた最中と思われる、湯浴み直後でガウン姿のパーシヴァルが声を聞きつけ部屋のドアを開いて、そうするのが礼儀とばかりにしかめっ面をする。

入れ。そのしまりのない、見るに堪えない面構えでうろうろされては他の者に示しがつかん。
まともな顔に戻るまで何が何でも休んでもらうぞ、ジークフリート。

言うが早いか、ジークフリートの手を篭手ごと両手で掴み、力ずくで部屋へと引きずり込むパーシヴァル。
ジークフリートが一服盛られている事はまだパーシヴァルの耳には入っていないが、コンディションが思わしくないとすぐに見抜けるくらいには今のジークフリートは平生とは違って見える。
甲冑を手早く外してベッドに座らせた時には瞼が閉じかけていて、とろりと溶けた蜂蜜色が珍しいほどに無防備で。
何とか全て外し終え片づけてから、何か言いたげなジークフリートの口を唇で封じて身を横たえさせて、頭の下に彼用の枕を仕込んですぐに。

おやすみ。

ジークフリートにしか聞かせたことのない、二分咲きの花の綻びを思わせる穏やかなテノールで、張っていた緊張の糸を手に取り最後の一本をそっと切る。
眠りの世界へと落ちていったジークフリートの手をしばらく握り締めていたパーシヴァルだったが、寝息が安定したのを確かめてからゆっくりと絡めた指をほどいて、ジークフリートの額の髪をかき上げて額に口づけを落とした。


ジークフリートとパーシヴァルが身を寄せる騎空団の団長の少年──グランが本人から聞き出した情報によれば、ジークフリートは戦闘用の糧食を適当に口にしていた程度の、人間らしい時間とは程遠い数日を送っていたのだそうだ。
ろくに食わず、ろくに眠らず、何をしていたのかは想像に難くない。祖国のために仕送りを続けている以上、まとまった稼ぎはどうしても必要になる。魔物退治は彼の得意分野であったから、大物を仕留めるためにまた無茶を重ねたのだろう、と推測するのは容易だった。
愛用のティーセットを扱うパーシヴァルの手はいつもよりも注意深く動かされていて、万一にもジークフリートを起こさないようにとの気遣いが感じられた。音をたてずに、ごく自然な気配を感じさせつつ、いつもの自分として振る舞うのはなかなかに難しいことなのだが……パーシヴァルがこうして自室でジークフリートを休ませるのは、今回がはじめてではなかった。上下関係がなくなってからは度々自身のプライベートエリアに引き込んで、あれこれと世話を焼いたり共寝をせがんで無理矢理に体を休ませたり関わりを持つよう努めてきた。恋仲になり体を繋げるようになっても手のかかるのは同じで、たまに程度のひどいのが混じっているのはジークフリートなりの甘えもあるのかと気付いたのは最近のこと。彼にとっての帰る場所が自分のところであれば、と高望みをしそうになる心を戒め、いずれは離れるときの傷が浅く済むように互いの存在を不可欠としない立ち位置を保とうとして……足元が崩れ去ったのが今回のジークフリートの「お忍び」だった。いついなくなるかわからない。自ら離れようとしなくても、時は無慈悲に関わりを断ち全てを無に帰そうとしてくる。互いの人生と旅の目的を思えば一緒にいる時間の方が希少であり、共にあることの叶う時間はあっという間に過ぎ去り手からこぼれ落ちてしまうと突きつけられて、パーシヴァルはある種の諦めがついた。互いの意思の元同じ艇に乗り合わせている間は、その時間が充実したものとなるよう尽力しようと。相思う間柄であるならば、その恋慕を疑い損なおうとするのはよしておこうと。
ひとときのゆめまぼろしであったと、いずれ振り返る時間に成り果てるのだとしても。胸のうちにある愛情の灯火は、明々と自身の有り様を照らし一本のしなやかな芯を一人の人間に通した。その事実までは消えることはなく、長く続いていく生涯の歩みの一助となる点は否定のしようもなく。星の島よりも遠くにある、時と祈りの果てで迎える未来という果実を手にした後にどうなるのか──怯む自分がいないと言えば、まだ嘘になってしまうけれど。
まだ見ぬものを恐れる、生き物としての本能を克服するのは独力では困難だろうが、それを超越したかのような振舞いをやってのける存在が幸い今のパーシヴァルの身近に在る。一人ではないという確信が、心を奮い立たせる一番の助けとなる。
ティーカップの中の熱の抜けた紅茶に改めて温もりを与え、一口含んで喉へと流せば。ブレンドされているカモミールが安らかな時間を演出し、ジークフリートのみならずパーシヴァルの瞼をも落とし始めた。
さすがにベッドは一人用なので横になるわけにもいかず、外で被ってきた汚れを落とす前にジークフリートを寝かせたからそもそも埃っぽさが気になる。ティーカップをソーサーに置き、違う部屋で仮眠でも、と踏み出したパーシヴァルの足が立てた小さな音をきっかけに、ジークフリートの意識が方向を定めて向けられて。
薬の効果の中にあってもジークフリートはかの人のままで、うつらうつらしながらでもパーシヴァルを自分の隣を指差し招き入れる。

おいで、パーシヴァル。

囁きよりも小さな声でジークフリートはパーシヴァルを共寝に誘い、素直に近づいていくパーシヴァルに気を良くして口許を緩めた。隣に身を滑り込ませてきた恋人を抱き締め、もう乾いている髪に鼻先を埋め息を吸えばあの香りが鼻腔いっぱいに広がり、安堵と多幸感に包まれる。
口を吸い、ガウンの中に手を忍ばせても、ジークフリートはパーシヴァルに受け入れられ温められていた。ガウンを肩から落とし、帯紐を細い腰から引き抜き解いても、拒まれなかった。その下を暴き、淡い色をした陰茎を口腔に含んでようやく、先の行為をねだるパーシヴァルが許容の拒絶を口にした。


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