74-進路
「世那、いい加減にしないか」
珍しく職員室に呼び出されていた世那は気まずそうに視線を逸らす
そんな彼女にため息を吐いたのは正道、彼の手には三年生になって一回目の進路希望調査用紙があった
二年の末に一度希望調査をとったものの、春休みを終え三年になったため再度調査が行われた
この後夏前、秋前と二回調査を行う予定ではあるが世那の用紙には依然「検討中」の文字が記入されている
進路面談を行おうにもこれでは話にならないと正道は彼女を職員室に呼んだのだ
「難しいことだとは思うが漠然でも何がしたいとかないのか?」
「悟のお嫁さんですかね」
「真面目に考えろ」
真面目に答えたつもりだったのにと世那が不服そうにするも、彼女にとってやりたいことはまだ見つかっていない
「ちなみに悟は何て書いてました?」
「そういうのは俺の口からは言えん、本人に聞け」
「ケチ」
二人があまりにもオープンなためか、正道も付き合っていることを知っている
しかしだからと言って勝手に情報を流すことはしない
悟のことになるとどうも子供っぽくなる世那に呆れつつも新しい用紙を彼女に渡した
「せめて志望校はいくつかに絞っておけ、夏で慌てても手遅れになるぞ」
「はーい」
渋々用紙を受け取った世那が教室へ向かって歩く
もう放課後なので生徒たちは少ない校舎を進んでいく世那は先日伊弉冉に進路の相談をしたことを思い出す
何がしたいか決まらない彼女は正直にその旨を伝えたのだが、伊弉冉はいつものように豪快に笑うだけだった
焦らずとも自ずと見つかると告げた彼には何が見えているのだろうか
「(千里眼はないはずなんだけどな)」
勘が冴えているということだろうか、超直感のようなものかと考え込んでいた世那が教室の扉を開けるといつもの三人が出迎えた
「おー、帰ってきた」
「珍しいね、また他校の生徒をボコったのかい?」
「バレるようなヘマはしませんー」
揶揄ってきた傑にドヤ顔をした世那だがそう言う問題ではない
そもそも他校の生徒をボコるなど絶対にやめた方がいいのだが、彼女はたまたま居合わせているだけだと主張する
帰ってきた世那の持っていた紙を見た悟が首を傾げた
「あれ、それ進路希望調査?」
「そうそう、やり直しだってさ」
やれやれとため息を吐く世那に三人は驚いたような顔をした
てっきり世那のことだから色々考えていると思っていたのだ
「え、やり直しって?五条と夏油でも通ったのに?」
「硝子って私たちのこと何だと思ってるのかな?」
「それな」
悟と傑を適当にあしらう硝子にくすくすと笑った世那は三人に問う
「みんなは何て書いたの?」
その問いに三人は顔を見合わせる
そう言えば四人で進路の話をしたことはなかったなと気がついたらしい
「私は昔から医者を目指してたけど養護教諭の方にしようかなって感じ、いわゆる保健室の先生」
「へー、硝子医者目指してたんだ」
目を丸くした悟に硝子は頷いた
「小さい頃にちょっと憧れ的なものがあってさ」
そんな感じと濁した硝子が「次、夏油な」と告げるので傑が顎に手を当て考え込むポーズを取る
「将来何になりたいとはまだ決めていないけれど呪術大学には進もうと思っているよ、元々その目的で高校もここにしたからね」
「内部進学の枠も傑の学力なら余裕だもんな」
「そういう君もね」
四人の学力はみな上位だ
上から硝子、傑、世那、悟の順だがいつも悟は手を抜いているので本気を出せば順位が入れ替わるかもしれない
「ちなみに俺も呪大に進む予定」
さらりと告げた悟に世那が「え」と声を漏らす
「あれ、言ってなかった?」
「初耳」
「マジ?」
ごめんごめんと軽く告げた悟に世那は口を噤んだ
今まで悟の将来の話を聞いたことがなかったが、彼も色々考えているのかと感心していた
「何かなりたいものとかあるの?」
「全然、でも改めて外部受けるのは面倒じゃん?あと傑がいるから俺もって感じ」
「本当に私のこと好きだね」
「はー?勘違いすんなよ」
仲良く戯れる二人を見て硝子がケラケラと笑う
硝子も呪術大学らしく教育学部に進み、傑と悟は特に学部は決めていないが理系には興味がないとのことだった
「で、世那は?」
悟の問いかけに世那は眉を下げ微笑む
残念ながら彼女は三人のように答えを持っているわけじゃない
「それが何も決まってなくて…」
「なんかやりたいこととかは?」
「何にも」
先ほど正道に告げた悟のお嫁さんというのは本人を前にして言うのは恥ずかしいので秘めておくが、世那は不満げに口を尖らせて机に突っ伏す
「てゆーかさあ、高三で将来どこに進むか決めろって無茶じゃない?」
文句を言う彼女はいつもより子供っぽい
本当に参っているんだろう光景に三人は苦笑いした
「それは一理あるけどね」
「でもさ、進む学部によってはある程度道は決まるし大事なのは間違い無いよ」
硝子の言う通りここである程度の道は狭まってしまう
進路というのはとても大切だ、正道が言うように遅ければ手遅れになりかねないのでこうやって進路希望調査という形で早くからすり合わせを始めるのだ
「分かってるけど…」
むすっとしている世那をまじまじと見つめた悟は珍しい彼女の姿に目を丸くする
そう言えば世那は前世で呪術師になる以外の道がなかったと言っていた
選択肢がそれしかないということはきっと前世ではこうやって進路を考えることはなかったんだろう
「(そっか…普通は世那にとって普通じゃないのか)」
前世を知っているとはこういう弊害もある
別物と理解していても、その経験が普通の基準をブレさせているらしい、と悟は彼女の横顔を見て考え込む
トラウマを乗り越えてもきっと彼女はこの世界で生きる以上壁にぶち当たるんだろう、その時に自分が何をしてあげられるだろうか
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帰宅した悟は自室の縁側でぼーっと庭の景色を眺め考え耽る
そんな彼に武一は声をかけた
「珍しいの、考え事か?」
「俺が何も考えてない時あったかよ」
「ははは!そうじゃな!」
がははと笑う武一は随分と老けた
腰が曲がって前傾になった彼が隣に座ろうとするので悟はその腕を支え座らせる
「…この前の検査どうだったんだ」
ぽつりと問えば武一は穏やかな表情で目を伏せた
「悟、よく聞きなさい」
俯いていた悟に「ワシはもう長くない」と告げた武一は孫の頭を撫でた、普段だったら振り払うが悟はそれを大人しく受け入れる
3歳の頃に両親が亡くなってからは祖父に育てられた彼にとって武一は親同然だった
「…そっか」
数年前から武一の持病の進行が進んでいることは知っていた
こうやって畏まるくらいなのだからおそらく年内だろう
「ワシが死んだら葬儀は本家で執り行われる、お主は来んでいい」
「は?んなこと…」
「もうワシは守ってやれん」
武一の言葉に悟は歯を食いしばる
「…俺は別に…」
「そうじゃな」
悟を利用しようとする人間たちや、彼を亡き者にしてのしあがろうとする人間たちから守ったのは武一だ
感謝はしている、彼の衰弱した姿に心が傷つくほどには情もしっかり持っている
だからこそ武一の死からずっと目を逸らしてきたのだ
「よいか悟、ワシの死を確認したらすぐ屋敷から出なさい、別の家は既に用意してある
そこでただの五条悟として生きよ、それがお主にしてやれる最後のことじゃ」
悟のふわふわな髪を撫でた武一は優しく告げる
「弱気なこと言うなよな」
いつもより覇気のない孫に再び武一が豪快に笑う
彼女である世那には素直だというのに自分にはいつまで経っても生意気なのだから面白い
自分がいなくてもきっと彼女がいれば孫は大丈夫だろうという確信があるため不安はない
ただ一つ、心残りがあるとすれば悟の晴れ姿を見れないことだろうか
「悟、お主は自慢の孫じゃよ」
祖父からの褒め言葉に瞼を閉じた悟は遠くない未来にやってくる孤独に覚悟を決めた