174-血筋
十月
世那は重たいお腹を抱え近所のスーパーに来ていた
妊娠後期に入りいよいよお産に向けて母子共に準備が整いはじめた頃だ
産休は十一月中旬から取ることになっている
冬の出産ということで世那はトラウマを克服していて本当によかったと過去の自分に感謝していた
体調を崩すなんて論外なのであの時劇を通して向き合って、悟が傍にいてくれて、クラスメイトたちが信じてくれて本当によかったと
「えーっと…牛乳牛乳…」
ちょうど切らしてしまった牛乳を買いにきた世那はいつものものを手に取りレジへ向かう
お腹も大きくなり無理に動かないようにと悟からも言われているがちょっとくらい平気かなと彼女は買い物に来ていた
とはいえ流石に長居をするつもりもないので牛乳と晩ごはん用の具材を購入し帰路につく
と、ふと公園の紅葉が綺麗に赤く染まっているのを見かけ思わずそちらへ足を進める
「わあ…綺麗」
とても綺麗な赤色に世那は微笑む
彼女の目の赤と同じ赤、写真を撮ろうとスマホを取り出してカメラを起動する
パシャリと撮影した紅葉はカメラ越しでも綺麗だった
「綺麗ですね」
声をかけられ振り返るとそこには見知らぬ初老の女性がいた
ご近所さんだろうかとぺこりと頭を下げた世那だが、和装の女性に何となく嫌なものを感じてしまう
「あら、お子さんが?」
世那のお腹を見てそう発言した女性を警戒しつつ世那は人当たりのいい笑みを浮かべる
「ええ、そうなんです」
「まあまあ、それは大変おめでたいですね」
「ありがとうございます」
「では」と告げ立ち去ろうとした世那だが、女性は言葉を続けた
「本当に大変おめでたい…悟様の血を引くんですものね」
悟の名前が出たことに世那の目が細められる
笑みは消え敵意剥き出しの眼差しを向ける彼女に女性は笑った
「悟様が五条家を継がぬのは貴女がいるからですよ、世那さん」
自分の名前も調べ済み、引っ越した先も把握されており更に悟ではなく世那に接触を図ってきたことに彼女は冷静に頭を回した
結婚すると決めた時に五条家の接触はあるかも知れないと思っていた
だが実際今日までそれはなかったのだ、世那に対しては
悟は言わないが彼にはあったのだと思う、芸能人としてメディアに露出も多い彼は五条家の面々からしても困りの種だったんだろう
これで彼が五条家を継ぐ可能性は潰えたと考え思考を変えたのだ、悟の血をどう手に入れるかと
悟ではなく彼の血にしか興味のない彼らは悟が手に入らぬと知り彼に子ができるのを待った
だからこそこうやって今になって姿を見せたのだ
「違いますよ、私がいなくてもきっと継いでないです」
うすら笑いを浮かべる世那に女性は軽蔑の眼差しを向けた
彼女からすれば世那は悟を拐かした女という認識でしかないはずだ
前世で御三家や上層部から向けられていたそれを思い出し心が冷えた
「よいですか、悟様に流れる血の価値を貴女は理解していない
あの方の遺伝子にどれほどの歴史があると?そのお腹の子は五条家で育てるべきです」
「…つまり?」
「悟様の土壌として傍にいることは許しましょう、ですがそれ以上のことは看過できませぬ
大倉財閥の血を持つとは言え伝統もないあの家は由緒正しい五条に相応しくない
然るべき場所にて然るべき教育を受けるのが幸せなのです」
産ませておいて取り上げるつもりかと解釈した世那はふうとため息を吐いた
「(土壌、ねえ)」
悟の種を植え付けられるだけの場所だとそう言われていることに前世の自分よりはマシかと笑いそうになる
前世は悟の人柱になれだのなんだの言われたのだ、宿儺と戦うと聞いた五条家の人間からは盾として血を使えだの最後くらい相応しく死ねだの好き勝手言われたので悟がブチギレていた
前世でも悟の精子にとんでもない価値があるのは彼自身から聞いていた
学生の頃からあちこちで遊んでいたような男から「一発分だけでも億単位で金が動くよ」と笑いながら言われた時は生きた心地がしなかったものだ
今世ではどれぐらいのお金が動くのかは知らないし興味もない
自分が悪く言われるのも構わないが悟と彼との子を物のように見ていることは気に入らない
「黙りなさいよ、人の幸せを決めつけるなんて何様?
価値だの然るべきだのそんなもの心底どうでもいい」
「なっ」
「価値を決めるのは自分、生きる場所を決めるのも自分
悟が貴方たちから離れると決めたのならそれが全てでしょう?
この子が五条家に行きたいと言うのなら止めはしない、でも間違った価値観を植え付けさせるのは見過ごせない」
一人で来たのか増援が来る気配はない、あくまで穏便に話し合いで済ませるつもりなようだ
やはり悟が有名人で知名度もある以上余計なことをすれば家ごと潰される可能性があると慎重になっているんだろう
武一のように警察として対抗力をつけるように悟は認知を広め力をつけた
今彼や世那に何かあれば世間が黙っていない、五条家のことを暴露すれば彼の両親の死についても血へのこだわりについても全部晒されてしまうだろう
「小娘だと侮りましたね、残念ですが私は悟もこの子も渡すつもりはありませんよ
脅しも通用しないです、そういうのは大倉で実践経験を積んでますから
武一さんから体術も仕込まれています、力づくで奪ってみますか?」
老人でも容赦しないぞと殺気を放つ世那に女性がたじろぐ
大倉の血を引くごく普通の生き方をするただの小娘
悟の近くにいたおかげで彼の子を宿せた幸運な小娘
それだけだと侮っていたはずの彼女に恐怖を感じてしまうのは何故なのか
前世の彼女を知らぬ女性は言い表せれぬ恐怖に震える
と、その時笑い声が聞こえた
「いやはや、流石ですぞ世那様」
ぱちぱちと聞こえた拍手
その声に聞き覚えのある世那の表情が和らいだが反対に初老の女性は顔を歪める
世那の前に彼女を守るように立ったのはかつて武一の家で使用人として仕えていたベテランの男性だ
「お久しゅうございます
この老体、武一様より仰せつかった最後の役目を果たしましょうぞ」
武一の名前が出ただけで分が悪いと察したのか女性が逃げ帰っていく
五条家の闇を暴露しかねないものを武一が握っているという風に思っているのだろうか、それを使用人に託したと
あっけなく帰ったなと眺めていると元使用人の男性がにっこりと微笑んだ
「結婚式ぶりですね」
「来ていただいてありがとうございました」
「いえいえ、我ら皆坊ちゃんと世那様の晴れ姿が見られて幸せ者ですよ」
ふふふと微笑む男性に世那は嬉しそうに微笑む
結婚式にはかつてお世話になった使用人の皆さんを呼んだのだが、みな立派になった悟に感激して泣いていた
悟も少し恥ずかしそうにしつつも自分が信頼していた人たちに祝福されて嬉しそうだった
「でもどうしてここに?」
「たまたまですよ」
言葉を濁す男性はきっと答えないと踏んだ世那は武一か悟の命かは知らぬが五条家の者が世那に危害を加えないよう彼に依頼しているのだと察した
先ほどの発言からして武一だろうかと思案するも男性が首を横に振った
「詮索してはなりませぬ、世那様はもうあの家とは関わりはないのですから」
「…そうですね」
面倒なことは考えなくていいと言ってくれていることに世那は頷いた
昔から使用人の方々は世那に優しく接してくれたので彼女も信頼を寄せている
「さ、お体に障ってはいけませぬ故帰りましょう、近くまで送りますよ」
「あ、じゃあ上がって行ってください!悟はあと数時間で帰ってくるので」
「しかし」
「きっと喜びますよ」
ね?と押す世那に困ったように微笑む男性は頷いた
昔から不思議な子だと思っていた世那は成長してからも変わらない
あの悟が振り回されるはずだと納得した男性は数時間後帰宅した悟に歓迎された
小さき頃から面倒を見ていた悟の成長した姿は結婚式でも見たというのに彼が泣いてしまい慌てる悟
そんな二人を見て世那は武一が紡いだ縁は今もしっかり生き続けていると改めて彼の偉大さを痛感したのだった