171-事情
悟が自分でしか抜けないという話を聞いて世那は彼の顔を覗き込む
硝子に対して余計なことを言うなとメッセージを送っている彼は少し不機嫌そうで何だか可愛い
「何で言ってくれなかったの」
「はあ?言えるワケねーだろ、分かれよ」
「まあ、それはそうだけど」
勇気がいることだとは分かるが今はそんなことを言っている場合じゃない
なんせ今悟は長い間我慢を強いられているのだから
「ね、写真とか見てするの?それとも想像?」
「…なんでそんな詳しく聞くんだよ」
「いやほら気になるし」
こんなこと聞くことがないので興味本位で質問する世那だが、想像以上に食いついてくる彼女に悟はたじたじだった
「あー…ほら…昔は想像で…」
「うんうん」
目線を泳がせる悟に世那がにこにことして頷く
性に目覚めたのはいつか、まだ見ぬ女性の体を想像して勤しんでいたのはなんとも可愛らしい
「付き合ってからは…写真とかもたまに」
「どの写真?」
「っ!?そこまで!!?」
ぎょっとした彼が世那を見るも、彼女のわくわくとした表情にすぐに視線を逸らす
こんな大慌てな悟は久しぶりで世那は楽しんでいた
昔はこうやって世那の言動に振り回されていたというのに今ではすっかり余裕のある大人の男性になってしまった彼の懐かしい姿にテンションは上がっていく
「教えてよ」
「い、色々だよ!」
「えー…」
一体何に興奮したのか教えてくれてもいいじゃないかと思うも悟が頑なに言おうとしないので問いただすのを諦める
同棲するようになってからは自慰よりも実際に性行為をする方が多かったのは分かる
だが問題は妊娠後だ、その期間が気になった世那は口を開いた
「じゃあ妊娠してからは?」
「……それは」
「それは?」
「…言いたくない」
何やら口籠る悟に世那がじとりと睨む
一体何を使って抜いているのか吐き出させるのは今しかない
「言って」
「やだ!」
「言って!!」
まるで子供の押し問答
こんなにも言いたくないなんて絶対に何かがおかしい
「はっ…まさか変な写真撮ってるんじゃないでしょうね?!」
所謂ハメ撮りなんかが出てきた日にはブチギレる自信しかないと世那が胸ぐらを掴んだことで逃げられなくなった悟がぐっと顔を顰めた
「それはない!撮っていいなら撮りたいけど!!」
「駄目に決まってるでしょ!?」
「一回だけ!」
「絶対駄目!!」
論点がずれてきていることに気づき、世那が頬を膨らませる
世那にこんな風に詰められては悟もお手上げだった
彼はいつだったか伊弉冉に言われた尻に敷かれている状態だ
それを良しとしているので別に構わないがこういう状況でそれは不利に作用する
「む、無理…言ったら絶対引かれる」
「今更何言ってんの?」
「え、何それ俺に引いてるってこと?!」
どういうことだと世那の肩を掴む悟に世那が呆れた目を向けた
「生理周期を把握されてたことは今でもドン引きだけど?」
あれは気持ち悪かったと心を込めて告げればショックを受けた悟がズーンと沈んでソファの上で三角座りをし始めた
いつもならここでフォローするが今日は譲れない
「で?いい加減白状してよ」
更に追い討ちをかける世那は頑固モードを炸裂している
これは言い逃れができないと観念した悟は小さな声で「寝顔」と告げた
「うん?」
「寝顔見て…抜いてた」
つまり自分が寝てから隣でいそいそと処理していたということだろうか
その光景を想像して吹き出した世那に悟が顔を押さえた
「無理!もう俺お嫁に行けない!」
「既婚者だけどね」
冷静にツッコミを入れた世那がケラケラと笑う
楽しそうなのは結構だがこんな恥ずかしいことをイジられて不満げな悟は眉間に皺を寄せた
「笑うなって」
「いや、だって…っふ…想像したら…ふふっ」
笑いが止まらない世那に悔しそうにした悟がそろそろ拗ねそうなので彼女は気を落ち着かせてから彼を見つめた
「悟」
「んだよ」
「言ってくれれば口でしてあげるのに」
「…俺が嫌なんだって、妊娠させといてそれは流石に」
申し訳ないということだろうかと世那が思案するも彼女からしてみればお腹もそんなに大きくない今は別に問題ない、むしろ悟のお願いなら喜んで聞いてあげたいのだ
だが彼が嫌と言うのなら無理強いできない
「起きちゃうかもって緊張感あるのによく集中できるね」
「いや、ほら、それも込みで」
「へえ…」
なるほど、悟はその状況すら楽しんでいるということか
しばらく黙り込んだ世那をチラッと見た悟は彼女が引いている様子ではないことにホッとした
起こさないようなるべく声が漏れないよう気をつけていたが、彼女が身じろいだり寝言を言うのを見て緊張感と背徳感で興奮したものだ
ティッシュに吐き出した欲をゴミ箱に捨てて洗面所で手を洗ってからベッドに戻ると、何も知らないですうすうと寝息を立てる世那がいる
幸せそうに夢を見ている彼女がこの光景を見たらどう思うのかと想像しては何とも言えぬ劣情を抱いていたのだが、案外大丈夫そうで安心した
「悟がしてるとこ見たいなぁ」
ホッとしたのも束の間、世那のその呟きに悟は咄嗟にソファから立ち上がり距離を取る
これは生き物として本能的に警戒した故の行動だ
「何で逃げるの」
「俺も今オマエに引いてるとこ」
「そっか」
ケロッとした顔でルイボスティーを飲む世那に疑問符が浮かぶ
どうしてそんな平然としていられるのかが分からない悟は顔が険しいままだ
というかそろそろ夕飯の準備をしなければならないのに自分たちは何の話をしているのだろうか
「さ、じゃあご飯作ろーっと」
つわりも治まってからは世那は積極的に家事をするようになった
悟はいいと言うが世那としても適度な運動はしなければならないので家事くらいさせてほしい
「お風呂入っておいでよ」
にっこりと微笑む世那はいつも通りの綺麗な笑みを浮かべているが悟は先ほど彼女が発した言葉が脳内で反芻して困惑したままでいた
「ううん、俺も手伝う」
「本当?ありがと」
やったあと嬉しそうな世那がキッチンへ向かう
カウンターキッチンなので彼女の表情はリビングからも見えるがいたって普通でとても可愛い
「(あれ、もしかして聞き間違えた?)」
先ほど彼女は自分の自慰行為を見たいと言ったような気がしたが気のせいだろうか、あまり追及してこないということはそうなのかもしれない
「(聞き間違いだよな、うん)」
敢えて蒸し返す必要もないので平然を装い悟もキッチンに向かう
広々としたそこで二人で並んでいつも通り仲良く料理を作る
穏やかな時間、夫婦として幸せな時間
だから悟は先ほどの恐怖をすっかり忘れてしまっていたのだ
夕食後に風呂を出た彼を待ち受けていたのはいい笑顔を浮かべた嫁の姿
「私のことは気にせずどうぞ」
そう告げる彼女はベッドで寝転んでおりとんとんと隣に来いと促している
やはり聞き間違いじゃなかったと顔を引き攣らせた悟が首を横に振った
「しない、絶対にしない」
「えー、何で」
「何で自分でしてるとこを見られなきゃいけねーんだよ!罰ゲームか?!」
「わあっ、口調戻ってる!」
ご機嫌な世那は話を聞いていない
どかっとソファに座ってテレビをつけた悟は世那が寝静まるまで寝室には行かないぞと決意する
こんな面倒なスイッチが入った世那はしつこいと今までの経験から身に沁みているので無視を貫くのが一番だと結論づけたようだ
「悟、寝ないのー?」
「オマエが寝たら寝る」
「えー…寂しいこと言わないでよ」
「うっせー、早く寝ろ」
硝子が余計なことを言ったせいでとんでもないことになってしまったと頭を抱える悟はちょうど自分のスマホに届いたメッセージに目を通す
"ウケる"
たった一文、自分が怒って送った文にこの一言だけを返してきた硝子に苛立ちが募る
昔から自分をイジって楽しんでいたが今回ばかりは許さないぞと返信を打つ悟は気が付かない
いつぞやに買った手錠を持って世那が忍び寄っていることに