144-未熟





三月


久々に鎌倉に来ていた世那は駅を降りて懐かしい道を歩いていく
たどり着いたのは一つの空き地、元々伊弉冉の家があった場所は更地となっていた

「…ただいま、おじいちゃん」

今では東京の墓地にいる伊弉冉だが彼と過ごしたこの家は世那にとっても大切な場所だ、何もなくともこの地に思い出はある
売り払った以上勝手に立ち入ることもできないので少ししてから世那は目的地へと歩き出す
今日鎌倉へ来たのは伊弉冉の家が目的だったわけではない、彼女の手にはプレゼントの入った紙袋が握られている

少し歩いてからたどり着いたのは高校の頃まで通っていた禪院の道場、中に入れば津美紀と恵と甚爾がいた

「津美紀ちゃん、恵くん」

声をかければ勢いよく振り向いた二人がぱああっと顔を輝かせて駆け寄ってくる
久々の彼らは相変わらず無邪気で可愛らしい

「世那!久しぶり!」

「待ってたよ!」

事前に来ることは連絡していたので心待ちにしていてくれたようだ
小学六年生の津美紀と五年生の恵の成長を微笑ましく思っていると、甚爾があくびをしながら近づいてくる

「俺の酒は?」

「久々に会ってまずそれ?」

相変わらず終わってるなと呆れる世那が彼を見やる
一時期閉鎖していた道場を再会したと聞いていたのでちょっとは改心したと思ったがどうやら思い過ごしのようだ
聞いてみれば今は恵と津美紀とに稽古をつけることで禪院に道場をやっていると見せ金銭を援助してもらっているということらしい

「二人とも偉いね、こんなパパのために」

「おい」

辛辣すぎだろとツッコミを入れる甚爾だが世那の中で彼の評価はプロのヒモニートだ
恵ママが存命なので前世ほどではないがロクでなしに変わりない

「そうだ、津美紀ちゃんはいこれ」

持ってきた紙袋を差し出せば津美紀が首を傾げる
開けてみてと促した世那、紙袋の中身を取り出した津美紀が目を丸くした

「あ…!」

世那がプレゼントしたのは財布
事前に津美紀が欲しいものを恵ママに聞いていた彼女は中学の入学祝いにと用意してきたのだ

「ちょっと早いけどもう中学生だもんね、おめでとう」

まだ入学前なのでフライングなことに変わりないが四月に入れば自分も新学期でばたばたしそうだと敢えて三月にやってきた
津美紀が嬉しそうな顔で世那に抱きつく

「世那さんありがとう!とっても嬉しい!!」

「喜んでくれてよかった」

にこりと微笑み津美紀の髪を撫でる世那はとても穏やかな表情をしている
彼女にとって二人は特別な存在なので無理もないが、他人の子供をこんなに可愛がるのは少々異質だ

「恵くんは来年だから今回はこれをあげるね」

世那が恵に渡したのはお菓子
市販のものではなく世那の手作りだと気がついた恵が彼女を見上げ頬を染めている

「いいの?」

「うん、ジンジャークッキーって言って生姜風味だから恵くん好きだと嬉しいな」

「…ありがとう世那」

頬を緩める姿に世那がホッとすると甚爾がそわそわしているので呆れた目を向けた

「…まさか自分もなにかもらえるとでも?」

「マジでないのか?」

「ないよ、いい大人なんだから働いて買えば?」

「チッ」

可愛くねーやつと吐き捨てた甚爾に世那が何かを言う前に恵がキッと彼を睨みつける

「世那のこと悪く言うな!」

「おーおー、何だ急に」

普段から甚爾に対して恵は反抗的であるがそれでも父なので嫌っているわけではない
だが世那のことを小馬鹿にするのは許されないようだ

「津美紀、ちょっとこれ持ってて」

「あ、うん」

世那からもらったクッキーを預け甚爾に向かって攻撃していく恵はまだまだ小さな体で大男に対峙している
自分も5歳の頃から鍛えてはいたがこんな風に見えていたのかとぼーっと眺めている世那の服を津美紀が引っ張った

「ん?どうしたの?」

「ちょっと耳貸して」

内緒話と告げる彼女に可愛いなと微笑む世那が屈むと、ひそひそと小さな声で「恵、世那さんのこと好きみたい」と告げた
前世では母親として慕ってくれていたが今世では恋愛感情を持たれているということに驚くも、可愛い恵にそういった感情を向けられるのは嬉しい

「本当?」

「うん、初恋だと思う」

「えへへ、嬉しいなあ」

でれでれとしている世那に津美紀は首を傾げる

「でも世那さんには好きな人がいるでしょ?」

「…あ、悟のこと?」

「うん、五条さんがテレビに出てると恵すっごく機嫌が悪くなるの」

何それ可愛いと口元を押さえた世那だが、彼女の言う通り世那には悟がいる
恵のことは大切だ本当に可愛いし大好きだ、でもそれは恋愛対象ではないし家族愛に近い

「うーん…困ったなあ」

傷つけたくはないので出来れば他に好きな人が出来ればいいなと思うものの強要することはできない
きっと甚爾も恵みの気持ちをわかっているからこそ彼を揶揄って遊んでいるんだろう

「(好き…か)」

5歳の頃に悟に出会って、十九年この想いは変わらない
人を想う気持ちは長さではないが、世那にとって悟を一途に想ってきたこの時間は自信でもある
恵は確かに小さい頃からよく懐いてくれていた、それがいつから恋愛感情になったのかは知らないが人の想いがどのようなものなのかは彼女もよく理解している

どうしたものかと思案する世那に甚爾が木刀を投げ渡してきた
突然のことだったが流石の動体視力で難なく受け止めた彼女に甚爾が「相手しろ」と告げる、恵は既に転がされており悔しそうだ

「いいけど…久々だから手加減してね」

「んなもんするかよ、お前本気で獲りにくるだろーが」

「はは、まっさかー」

にこにことしている世那の目が一切笑っていないので甚爾がげんなりする
こんなこともあろうかとパンツスタイルで来て正解だったと屈伸をする世那に恵が心配そうな目を向けた

「世那、あのゴリラやばいけど」

「お父さんのことゴリラって呼んでるの?」

ウケると笑う世那は彼のツンツンとした髪を撫でる
母親譲りの髪、でも顔立ちは父親そっくりだ
優しくて友達思いで、家族思いで…自分の救えなかった大事な息子

「大丈夫、私結構強いから見ててよ」

恵にそう言い聞かせて肩をぐるぐると回してからゆっくり深呼吸する
甚爾との立ち合いはいつだって実践だと思うようにしてきた、これは前世からずっとだ
彼は世那の人生の始まりであり軸を形成した男

世那の雰囲気が変わったことに口角を上げた甚爾も構える
昔から彼女が何者なのかずっと気になっていた、もちろん彼女より強い奴はたくさんいるが誰にもない雰囲気を持つのは何故だろうか

「来いよ、世那」

「今日こそ勝つ」

今まで一度も甚爾に勝てたことはない、彼の強さを知れば知るほど世那は嬉しかった
自分の師である彼が強くある以上、自分はまだ上を目指せると思い知る
ぶつかり合う木刀、体術も交え攻防戦を繰り広げる二人は楽しそうに見えた
その光景を前にして恵は自分が世那に全く及ばないと察する

「…五条さんって世那より強いんだっけ」

ぽつりと呟いた恵に津美紀は頷く

「うん、お父さんはそう言ってたね」

「…そっか」

世那の隣に立つ悟は彼女を守れるだけの力がある、それに比べて自分はひ弱だ
子供だからというだけではない、きっと自分の年齢の頃の悟にも敵いやしないと恵は拳を握る
世那が好きだ、彼女が応えてくれないと分かっていてもそう簡単には諦められない
悟の代わりにはなれずとも、せめて彼女を守れるだけの強い男になりたい
そう考える恵を横目で見た津美紀は困ったように眉を下げ微笑んだ









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