96-対等





七月


伊弉冉が倒れ入院してからというもの、世那は鎌倉の家で一人生活をしていた
平日は大学もあるので朝早く起きて弁当を作り東京へ向かって講義を受け夕方には鎌倉へ戻り祖父の見舞いに行く
土日は昼間に祖父の見舞いに行くという生活をしている中でどうしても自分のことが疎かになってしまう彼女を心配した悟は週に数回鎌倉の宝生家へ出向いていた

「毎度本当にごめんね」

申し訳なさそうな声を発した世那の前には夕飯を作っていた悟の姿
宝生家の合鍵は渡しているので彼はやってきてはこうやって世那のために料理をしたり掃除をしたりと世話を焼いていた

「それ毎回言ってるけどいつになったらやめんの?」

毎度謝られる悟は呆れた目を彼女に向ける
彼からすれば困った時はお互い様と行動しているだけで、祖父の傍にいたい彼女のサポートも当然のこと
それを毎度申し訳なさそうにされれば気が滅入ってくる

「だって…」

悟は鎌倉への交通費などを一切受け取ろうとしない
武一が遺した遺産をこんなことに使わせてしまって世那は申し訳ない気持ちでいっぱいだった
とはいえ悟がいなければとっくの昔に自分は倒れているに違いない、自分が祖父の傍にいられるのは悟のおかげなのだ

彼の作った夕飯を食べながら世那は考える
せめてお金のことはできるだけフェアでいたいのだがどうすれば彼が受け取ってくれるだろうかと悩んでいた

悟は鎌倉へ来た時は泊まっていく
わざわざ東京に家があるのに鎌倉の宝生家まできて大学へ行くのだから時間もお金も苦労もかけてしまっているのだ
正直お金を払ってお願いするレベルのことを無償で行う悟に彼女は参っていた

「(どうしようかな…)」

祖父にもこのことを相談したがやはり彼も絶対にお金は払うべきとのことだったので世那もそうしたい
だがどう説明すれば彼が納得するのかが分からないので結局一ヶ月もこの調子が続いている
食事を終えて風呂に浸かっていた世那は思案するも答えは出ない
風呂を上がって髪を乾かし自室に戻れば既に風呂を済ませた悟が布団を敷いて待っていた

「お、出た?」

「うん」

布団を並べて寝るものの別にやらしいことはしない
ただ添い寝をするだけの悟は世那の気持ちを尊重してくれているのだから本当に優しい

「んじゃ寝よっか」

にこにこと告げる悟に世那はやっぱりちゃんと言わなきゃとカバンから封筒を取り出し布団の上に正座する

「悟」

「ん?」

スッと世那が差し出した封筒を見てそれがお金だと理解した悟は少し表情に影を落とす

「あのね、やっぱりこれ受け取って欲しいの」

「…だからそれは」

「悟は優しいからいらないって言うだろうけどこういうのはフェアでいたいんだ」

フェアと言う世那に悟は首を傾げた

「やってもらったらありがとうって言うのと同じでこういうところはちゃんとしておきたいの
悟とお金で揉めるなんて思ってないけど、武一さんが悟のために遺したお金はあなたの生活のために使って」

世那の言い分を理解した悟は少し黙り込んでから彼女から封筒を受け取る
これまでの交通費と手間賃が含まれたそれは決して安くはない
だが世那もこれは伊弉冉と相談して悟に渡そうと決めていた

「私のために時間もお金も使っていいって思ってくれてるのは本当に嬉しいよ
でもだからってこういうところは適当にしたくない」

この先も一緒にいるのなら尚更ここは譲れない
真剣に話す世那に悟は頷く

「…ん、わかった」

世那の言うことはもっともだと悟は彼女の頭を撫でた
人の思いは一方通行ではよくない、しっかり話し合っておかないと溝が大きくなる
話し合いも済んで二人仲良く並んで寝ながら世那は彼の存在に改めて感謝した



ーーーーーーー
ーーー



「そうか、受け取ってもらえたか」

翌日、祖父の病室へ見舞いに行った世那は悟にお金を渡せたことを報告した

「それにしても悟殿は優しいの…ワシが倒れたせいで迷惑をかけたと言うのに文句一つも言わんとは」

嫌になっても仕方がないようなことを当たり前だと言って力になってくれる悟は本当に優しい
クズだ自分勝手だと言われているが彼の優しさをちゃんと理解していない人が多いことが残念でしかない

「今度おじいちゃんのお見舞いに来たいって言ってたから一緒に来るね」

「おお、それは楽しみじゃの」

がははと笑う伊弉冉は元気そうだが彼の容態は徐々に悪化している
倒れた時点でもう手遅れだったので処置の施しようがないそうだ
この世には今だどうしようもない病気は沢山ある、技術が発展しようがこればかりはどうにもならない

「勉強の方は大丈夫か?」

「うん、順調だよ」

「教師とはまた大変じゃろうが世那なら大丈夫そうじゃな」

「あはは、どうだろうね」

普通の学校の教師とはどんなものなのかは世那にもまだわからない
ただ彼女が教師になる頃にはもう伊弉冉はいないことだけは分かっている

伊弉冉が長くないと知って世那は一日一日を大切にしていた、彼が未練なく逝くためにすべきことを一つ一つ片付けていく
そしてそれは伊弉冉も同じだ、彼は自分の葬儀のことや墓のことを全て世那に伝えていた

「世那、これを」

「…はがき?」

受け取って内容を見れば喪中はがきだった、そのことにハッとした世那が目を見開く
裏面には伊弉冉と親交のある人物の名前や住所が書かれており後で世那が困らないようにと本人が手配したものらしい

「っ…こんなの私がやるのに」

一体どんな気持ちでこれを作ったのかと目を伏せる世那が悲しそうなことに気がついた伊弉冉は彼女を手招きした
寄ってきた世那の頭を撫でる彼の手は昔と変わらない

「優しいのは世那も一緒じゃの」

孫を思う伊弉冉の言葉に世那は涙が滲むも必死に堪える
泣いたところで伊弉冉はよくならないむしろ心配をかけてしまうだけだ、だったら泣かない方がいいに決まっている
涙を堪える世那を見て優しく微笑む伊弉冉は強がりな孫を遺してしまうことが心配だった
両親を失い感情を失ったような孫を見たあの時、もう二度とこんな姿をさせてはならないと覚悟を決め今まで大切に育ててきたのだ
彼女が抱える前世の話を聞いた時も思いの外すんなりと腑に落ちた、そもそもこんな嘘をつくとは思えない上に世那の話す内容はあまりにもリアリティに溢れている
前世でも彼女を遺してしまった自分が今世でも同じことを繰り返してしまうのは申し訳ないが彼女には悟がいる、一途に世那を愛し守り抜いてくれるであろうあの青年がいてくれるから安心だ

「よいか…悟殿を信じるんじゃ、あんなに世那を思ってくれる者は他におらん」

伊弉冉の言葉に世那は頷く

「彼がいれば大丈夫じゃよ、独りにならん」

独りが嫌だと言う世那にその言葉を伝える伊弉冉は本当に彼女を理解している
前世の記憶があるのではないかと思えるほどに伊弉冉は理解者だった

「ワシは婆さんと杏華と未剣とずっと見守ってるぞ、世那が嬉しい時も悲しい時も近くにいる」

「っ…うん」

世那の声が震えていることに気づいた伊弉冉が困ったように微笑む

「それと泣きたい時は泣いた方がよい、無理に我慢せずともよいんじゃ」

「…ぐすっ」

鼻を啜る世那が嗚咽を漏らす
大人びていようが前世の記憶があろうが彼女はまだ20歳だ

伊弉冉はおそらく秋には旅立つだろうと医者に宣言されていた
奇しくも武一と同じ秋に迎えが来たのだから友があの世で待っているのだろうかと想像すると案外悪くない、もちろんこんなことを泣きじゃくる孫の前では言わないが

病室の窓の外の空は青い
夏の澄んだ青空は雲一つなくどこまでも続いていた










back


- ナノ -