君の遺した宝物




※葭始生/父親視点




その日、俺は体調を崩していた
例年より暑い夏の日だったこともあり熱中症というものにかかったようだ

布団に寝かされ寝込んでいる俺の額には祈里が汲んできた水で濡らした布が乗っている
傍にいる祈里が別の布を手に持って仰いでくれているため火照りは治ってきたように思えた


「ごめんな祈里…」

「いいの、今日はゆっくりしててね」


そう告げた祈里は時透家に向かった
近所に住んでいる時透一家は昨年夫妻が亡くなったことで息子の有一郎くんと無一郎くんが2人で協力しながら暮らしている

まだ祈里と同じ11歳なのに俺や祈里に心配かけまいと気丈に振る舞っている2人に何度も一緒に暮らそうと提案したが、頑なに首を縦に振らなかった
2人が祈里に好意を抱いていることは知っていたし、きっと祈里の前では強くありたいんだろうと同じ男としてなんとなくそう思ってはいたが、やはり心配なものは心配である

兄の有一郎くんは気が強い
でもそれは弟の無一郎くんを守るために強く振る舞っているだけで、本当はとても優しく家族思いのいい子だ
弟の無一郎くんはぼんやりしている
ただ昔から図太い一面もあって、どんな時でも成すべき事を正しく行えるすごい子だ

双子でも正反対の2人だが祈里を大切に思ってくれていることは本当にありがたい
そんな2人を同じように大切に思うこちらの気持ちはなかなか伝わらないのがもどかしいのだが、こればかりは無理に連れてくるわけにもいかないので見守ることに徹している


「(それにしても本当に暑いな…)」


祈里が家を出てからやけに静かに感じる
そもそもこの景信山で暮らす人は少ない
俺のように猟師をしているか、時透さんのように杣人か…そういった職の者だけだろう

蝉の鳴き声が頭に響く
祈里は豆吉にも水を与えてくれたようで安堵した
この暑さは豆吉のような毛に覆われている生き物からすれば酷でしかないだろうから

少し眠ろう、そう思い目を閉じれば驚くほど早く眠りにつくことができた
起きた時には既に外は暗く、祈里はおじやを作ってくれていた


「お父さんおはよう、食欲はある?」


そう告げにっこり微笑む祈里は本当に母親似だと思う

妻は祈里と同じ緑の目をした穏やかな性格の女性だった
扇町の先生の下での稽古を少し受け、適正がないと言われたため親の跡を継ぎ猟師になった俺が、山で迷子になっていた彼女を見つけたことで出会ったんだ
よく笑い、誰かを思いやり、親切心に溢れる彼女と結婚して祈里を授かった
出産後の弱っていた時に彼女は病にかかり、祈里がまだ赤ん坊の内に亡くなった

遺された祈里を見て立派に育てることを誓ったあの時からもう11年
年々母親に似てくる祈里はどこに出しても恥ずかしくない自慢の娘だった


「うん、美味しい
祈里の作ったご飯で元気になったし明日からは仕事に戻れそうだよ」

「本当?よかった!」


嬉しそうな顔を見ているとこっちまで嬉しくなる
祈里は一体どんな大人になるんだろうか、そんな想像をするだけで心が温かくなった

その後2人で夕飯を平らげてから談笑していると、祈里が思い出したように立ち上がる


「こんなに暑いんだし扉を開けて寝ようか」


本来なら扉を開けたまま寝るなんて不用心なことはしないのだが確かに今日は暑い
部屋も熱気が篭っており少しの換気くらいはいいかと娘の姿を眺めていると、祈里は何かに気がついたように顔を強張らせた後でゆっくりと入り口から数歩下がった


「祈里?」


どうしたんだと声をかけた直後、ドンッという扉を叩く音が聞こえた
先ほども言った通りこの山に住む人間は少ない…となると獣の類だろうか

近くにあった猟銃を構え銃口を入り口に向け、祈里には目で合図してゆっくり離れるよう告げた
何が来ようとも入ってきたその瞬間を狙い撃つ
息を殺してその瞬間を待つが、突如祈里の真横の木の壁が砕け散り、そこから伸びてきた腕が彼女を掴んで家から引き摺り出した


「祈里!!!」


咄嗟に名前を呼んだが、祈里の前に立つその存在に背筋が凍る
鋭い爪に尖った歯、人間のようで異なるそれは鬼だ、鬼が襲撃してきたのだと理解して息を飲む
鬼はギョロリとした目玉をこちらに向けた


『いたいた、本当は女の肉がいいが…このガキよりは食いごたえがありそうだ…ひひひ』


ゆらりと家へと入ってくる鬼に吠える豆吉が切られた
吹き出す血飛沫に扇町先生の下で学ぼうと思ったきっかけを思い出す

俺がまだ15の頃、親友が鬼に喰われた
俺を守るために囮になった親友は翌朝惨たらしい姿となって発見された

だから鬼を倒す力が欲しいと扇町先生の下へ弟子入りをしたんだ…しかし才がなかったため諦めざるを得なかった
その事を今ほど後悔したことはない

すると、豆吉を殺した鬼に祈里が駆け寄る
その手には家の前に置いてある獣を解体するための鉈が握られていた
駄目だ、鬼に普通の武器は効かない
案の定祈里の鉈が刺さった鬼は虫に刺されたかのような反応を見せ、怪訝そうに祈里を振り返る


『おお…威勢のいいガキだな』


祈里の着物を掴み、彼女を宙に持ち上げた鬼に怒りが込み上げた
このままだと祈里が殺されてしまう、妻が遺した宝を殺させやしない

まだ本調子でない体でしっかり狙いを定め祈里を持ち上げる腕を撃ち抜けば夜の山に轟音が鳴り響き、祈里の体が鬼の腕ごと地面に落ちる


「祈里!今すぐ逃げろ!!」

「でも!」

「お前なら無事に逃げ切れるだろう!」


祈里には風が視える
それは扇町先生と同じ天から与えられた力だ
今までも何度も彼女を守ってきたその力がきっと守ってくれる


『この野郎…何しやがる…!!!』


こちらに狙いを定め迫り来る鬼に、棚にあった刀を取り出した
扇町の先生からもらった日輪刀だ、呼吸が使えない俺でもこの刀なら鬼に立ち向かえる
緑色の刀身の刀は風の呼吸の使い手の証の色だという、それに色の濃さは強さを現し、先生の刀はとてもはっきりと緑色を灯していた


「お父さん!」

「いいから行くんだ!!!!」


泣きそうな顔をした祈里が駆け出す
そうだ、それでいい
風はきっとお前を導いてくれる

駆けていく祈里の背を見てあんなに大きかったかと、その成長の早さに驚かされた
この前まであんなに小さかったというのに…子供の成長はあっという間に過ぎ去ってしまう
この先の成長も見たいが、それは叶いそうにない


『ははは!どこへ行ってもあのガキは食い殺すってのによ!』


高笑いする鬼に刀を構え一度深呼吸をした


「諦めたとは言え少しは剣を齧った身だ、お前は娘のところに行かせない」


ごめんな祈里、きっともう傍でお前を守ってやれないだろう
でもここでこの鬼を必ず食い止めてみせる

刀を振ればヒュッと風を切るような音がする
鬼に斬りかかればやはり日輪刀のためか痛むようで、表情が歪んだ


『なんで…お前が鬼狩りの刀を…っ!』

「お守りだよ、先生は優しいお方だからな」

『チッ…鬼狩りが来ると面倒だ、さっさと片付けるか』


その後、鬼の猛攻を受け全身に傷を負いつつも鬼にも何度もダメージを与えていった
たとえ再生するとしてもこの鬼は長らく人間を食べていないのか徐々に速度が落ちている
それに頸を斬られまいとしているためか動きが読みやすい


『なんだお前…鬼狩りでもないのに何なんだよ!!』


一体どれぐらいの時間戦っていただろうか
時間感覚さえも分からないこの状況で、鬼の一瞬の隙を突いてその体を床に縫い付けるように刀を突き刺した

暴れる鬼の顔面めがけ猟銃を放てば、断面から顔が再生されていく
日輪刀で頸を斬らない限り決着はつかないがもう俺にはあまり時間が残されていない
長く戦う中で左腕を失った、それに頭に負った傷のせいで視界が揺れている…おそらく脳が傷ついたんだろう

自分でもわかる、これは死ぬなと
でもこのまま死ぬわけにはいかない

鬼の顔が再生される前にその四肢を撃ち抜く
そして残った胴を足で押さえたまま刀を引き抜いて頸に刃を押し当てた


『ア゛…がっ!!!』


鼻から下が再生した鬼の苦しそうな声が聞こえた
だが俺は自分の全体重をかけるように刃を頸に埋め込ませる
腕を振るって頸を斬り落とせる程の力はもうない、それならばこの体重を全て使ってお前を殺そう


『やめろ!!たかが人間の猟師が!!!』

「…そうだよ、俺はちっぽけな存在だ…でも…子を守る親を舐めるなよ」


祈里、お前はどんな大人になるんだろうか
叶うならば妻のように美しく優しく育って欲しい
そして心の底から愛せる人と添い遂げて…子を授かって…

鬼の叫び声が途切れた
頸が斬り離されたらしい、消滅していくその姿を眺める俺も床に倒れ込む


「…おわった…もう…大丈夫だぞ…祈里」


怖いやつは父さんが追い払ったから
もうお前は怖がらなくて大丈夫だから

あの子は無事に逃げ斬れただろうか
麓の街には祈里を可愛がってくれている人がたくさんいる、きっと大丈夫だと信じたい


「豆吉…ごめんな…痛かったな…」


祈里を守るために鬼へ吠えた豆吉の頭が転がっているのを見つけて声をかける
俺のパートナーである賢い猟犬は最期までとても勇敢だった


「俺も…一緒に…逝く、から…な」


視界がぼやけてくる
つい先ほどまで祈里の笑顔を見ていたというのに人生は不条理だ
だが、すべきことはできた…悪くない一生だったように思える


「貴方」


懐かしい妻の声が聞こえる
そうか…迎えに来てくれたんだな

もう見えない視界
音も遠のいているというのに何故か妻の声ははっきりと聞こえた


「貴方…祈里を守ってくれてありがとう」


当たり前だろう
俺と君の大切な子供なんだから

娘を守れたことの達成感に包まれながら俺はその命を終えた






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