鬼にだって心はある




※祈里鬼if




ある日、とっても可愛い人間の子供に出会った
夜の森の中迷子になったであろうその子は泣きながら木の影でしゃがみこんでいる


『君、どうしたの?』


気まぐれだった
鬼だと騒がれれば殺して食べてしまえばいい、子供はあまり美味しくないので気は進まないが
そんな事を考えていた私を見上げたその子はとても綺麗な水色の瞳をしている


「ひっく…ぐす…山の…精霊さん?」


開口一番予想もしない言葉に呆気にとられた
この角や尖った爪を見て精霊とは面白い子供だと自然と口角が上がる


『はははっ、面白いね君…迷ったのかな?』


目線を合わせるようしゃがむと、子供はこくりと頷く
ここ景信山に住む子供だろうか、こんな奥深くまでやって来てしまうなんて鬼に食べられてしまうよと言いかけるけれど泣かせそうなのでやめておく


『ほら、途中まで送ってあげるから…立てる?』

「うん」


その小さな手を握ればあまりの小ささに少々驚いた
私も14の頃に鬼になっているので体格は小さい方だがこの子供の手は更に小さい
それに人間は脆い、力加減を間違えると潰してしまいそうだとやけに気を遣ってしまう


「精霊さん、僕ね無一郎!
あのね、兄さんと隠れ鬼をしてたら帰り道が分からなくなって…」

『そう、お兄さんがいるんだね』

「うん!兄さんはすごいんだよ!」


嬉しそうに兄の話をする無一郎に耳を傾けながら微笑む
鬼として生きているとこんな風に穏やかな時間を過ごすことも皆無なので少し新鮮だった

そういえば私が人間だった頃もこんな時間があったような気がする
あまり思い出せないけど父親とこんな感じで手を繋いで語らったことがあったような…


「精霊さん?」

『っ、ああごめん…どうしたの?』

「精霊さんは何てお名前なの?」

『私?』


人間だった頃の名前は覚えていない
鬼としての名なら翡翠という
鬼になった経緯はあの無惨様の気まぐれだと聞いている


『翡翠だよ』

「綺麗な名前だね」


にこりと屈託ない笑みを浮かべる無一郎を心の内で呆れたように見てしまう
目の前にいるのが鬼だというのになんとも呑気なものだ


『綺麗か…そうなのかな、あんまり分かんないや』

「えー?精霊さんぴったりの綺麗な名前だよ!」


私の名を付けたのは無惨様だ
あの方は私を自由にさせてくれた
何十年前かに下弦に入れると話が出てものらりくらりと躱してきたのだがお咎めはなかった

とまあ、こんな具合に贔屓をされているためか他の鬼、特に十二鬼月からの当たりは強い
上弦はともかく下弦の鬼はころころ入れ替わってるので会う前に死んだ者も多いが


『(そういえばこの前もまた誰かが鬼狩りに斬られたとか言ってたっけ)』


非力で無力な人間の中にいる鬼へ対抗する力を持った存在、鬼狩り
鬼殺隊という名で活動するその集団は産屋敷一族を筆頭に長年数を増やしているらしい
人の分際でよくもまあ鬼に対抗しようなんて考えたものだと感心半分呆れ半分だ

その鬼狩りの中でも特に優れた才を持つ者達を柱と呼ぶそうだ、鬼で言う十二鬼月のようなものだと思う
その柱は上弦の鬼を以てして勝てる程の強さらしい、本当に人間は気味が悪い

そんなことを考えている内に無一郎の生活圏内に入ったんだろう、綺麗な銀杏の木の群生地に出た


『へぇ、綺麗なものだね』

「銀杏って言うんだよ」

『銀杏…』


鬼になってからはこんな風に何かを綺麗だと思うこともなかったのに、この感情は何だろう
不思議に思いつつ落ちてくる銀杏の黄色い葉を摘んでみるが答えは出そうにない


「無一郎、どこだー?」

「あっ、父さんの声だ」


嬉しそうに顔をほころばせた無一郎は私を引っ張るように父親の下へ向かっていく
でも人間の前に無闇矢鱈に姿を現すほど馬鹿では無いので無一郎の力に対抗するように少しだけ踏ん張った
あまり力を入れすぎると腕をちぎってしまうかもしれないのでほんの少しだけと加減をした


「精霊さん?」

『私はもう行かなきゃ、ここからは1人で帰れるね?』

「えっ…精霊さんも行こうよ」

『それは出来ないんだ、ごめんね』


この前お腹いっぱい食べたところなので今は別に食欲はない
それにあまり強くなりすぎると今度こそ無惨様に十二鬼月入りを強制されてしまうかもしれない
そんな形式ばった肩書きは御免だ


「やだ、僕一緒がいい!」

『うーん、じゃあまた会いに来るよ』

「本当?」

『本当、だから忘れないでね』


無一郎の手を解いて彼が頷く
その大きな瞳が瞬きをしたその瞬間に姿を顰めた

私のことを精霊だなんて言ったこの子には幸せになって欲しくて…そう、これはただの気まぐれだ
何十年も生きている私のたった一度の気まぐれ


元々縄張りを持っている訳でもないので転々としては人を食らう
景信山を降りて数年
あちこちを放浪し、今はとある街へと来ていた

鬼なので人目につかぬ夜の闇に紛れ今夜の食糧を探す
しかしどうやら先客がいたらしい、見るからに低級なその鬼は目立つ行動をしており呆れてしまう

すると直後、一瞬の煌めきと共に鬼の頸が地面を転がった
ごとりと落ちた頸、それは消滅し跡形も残らない


『(あの刀は鬼狩りかな)』


面倒な奴が来たなと傍観を続けていると月明かりに照らされてその人物の姿がはっきりと映った
毛先だけ水色の髪をしたその男の子はあの日私を精霊だと言った無一郎だったのだ

久しぶりの姿についついはしゃいでしまい、ストンっと彼の傍に降り立つと、その水色の瞳がこちらを向いた


『久しぶり、大きくなったね』

「誰…鬼だよね?」


怪訝そうな顔をして刀を構え直す彼に首を傾げる
鬼狩りになった以上私に敵意を向けるのは正しいことだけども、誰とは不思議だと
まだあれから数年しか経ってないというのに


「君が誰かなんて知らないけど鬼は斬らないとだから」


ヒュンッと空気を斬る音がして私目掛け振り下ろされた刀を眺める
青白いそれは日の光を沢山浴びた石でできているらしい、そりゃあ斬られたら消滅してもおかしくない

刀を避け無一郎の顔を覗き込むと何やらあの頃と異なって感情が薄く見える
この数年の間に何かあったんだろうかと思うも、問いただすなんて野暮なことはしない
それに顔見知りなだけで人間、それも鬼狩りなのだから世話を焼いてやる義理もないのだ


『あはは、いいね、君…剣の才能あったんだ』

「うるさいな、お喋りするつもりはないんだけど」

『あの時はそっちが話したがっていたのに…面白いね』


忘れているなら好都合
これはいい暇つぶしになりそうだと口角が上がった




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それからことあるごとに私は無一郎の前に姿を現すようになった

鬼狩り、それも柱になった彼は多忙のようであちこちに出向いては淡々と鬼を斬っている
そんな彼をつけ回すように何度も何度も顔を出せば嫌でも覚えたようで、「また君?」と心底面倒そうな顔で告げられた


『お、いよいよ覚えてくれた?』

「僕が忘れる前に来るんだもん、面倒だなぁ…」


刀を構えた無一郎を相手に逃げ回ることももう慣れた
柱とはいえ真っ向勝負をしなければそう簡単に殺されることもない
それに私はそこそこの強さを持っている、下弦が解体されてしまった上に生き残りの夢でさえ鬼狩りにやられてしまった今は上弦の鬼と他の鬼の差は凄まじいのだが元々下弦の鬼と同等の力を持っていたため今や上弦に次ぐ7番目に強い鬼と言われている


『ははっ、もっとちゃんと狙わないと頸は斬れないよ』

「斬ってほしいなら動かないでほしいんだけど」

『私を斬れるくらい強くなりなよ、そうじゃないと上弦の鬼には勝てないね』


無惨様は私を十二鬼月にしなかった代わりに率先して人を、特に鬼狩りを狩るよう命じられた
だから出会った鬼狩りは全て殺し、喰らってきた
生憎今まで食らった者の中に柱はいなかったので大して鬼狩りの戦力を削ることはできていない
それでも無惨様からのお咎めがないのは私が贔屓されているからなのか、そもそも興味すら持たれていないからなのか


「君は何がしたいの?」

『そうだなぁ…会いに来るねって約束したから?』

「…僕と?覚えてないけど」


ここ何回か彼と対峙して会話して、無一郎に記憶がないことを知った
私との思い出も全部忘れている上に短期間の記憶力しか持ち合わせていないという
なんとも不便な話だが、人間の頃の記憶がない私も似た存在なのかと思うと妙に腑に落ちた




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11月中旬

私は玉壺と半天狗に連れられ刀鍛冶の里へと来ていた
2人が奇襲をかけ、私はそのサポートらしい
普段なら上弦の鬼と関わるなんて絶対に嫌だけど、今回は無惨様の命令があったから渋々参戦している

だけど里に来てみればなんと無一郎がいたんだから驚いてしまった
玉壺に為す術なく水鉢に閉じ込められた無一郎が色々試みるも出れないらしい

その様子を木の上から見ていたのだが玉壺がこの場を離れたので私も木から降りて近づく


『やあ無一郎、苦しそうだね』


人間は酸素が尽きると死んでしまうらしい
鬼も苦しさはあるけど基本的に不死身だから死にはしない
それに鬼狩りといえば妙な呼吸法を使うのでそれを封じた賢い作戦だ、玉壺らしい

相変わらず無一郎の瞳は虚なままで、幼き頃の子供らしさは欠片も残っていない


『このままだと死んじゃうよ、いいの?』


私の問いかけにも無一郎は答えない
そりゃあ水の中で答えられるはずもないのだけれど

ぽかっと誰かに叩かれた気がして振り向けば、ひょっとこのお面をつけた子供がいた


「時透さんに近づくな!」

『(ああ、刀鍛冶の子供か)』


そういえば無一郎が守ってたっけと思い返してよいしょと立ち上がる
子供は怯えたように体を小刻みに震わせつつ、私に立ち向かおうと勇気も振り絞っているように見える
無力だというのに人間は本当に意味がわからない生き物だ


『ほら、君も隠れてなって』

「う、うるさい!鬼のいうことなんて信用ならない!!」

『まあ、それは確かにね』


玉壺は今小屋の方へ行っている
彼と半天狗に着いてくるよう言われてやってきたんだけど協力するなんて一言も言ってない
玉壺の残した金魚鬼に向かって腕を振ればそれらが消し飛んだ


『さてさて…君は無一郎を救える?』

「え」

『私は鬼だけど君なら無一郎を救えるね?』


ハッとした子供にフッと口元が緩む
ここに無一郎がいなかったら玉壺と半天狗に付き合って里を壊滅させていただろうし、人間に協力するつもりも微塵もなかった
でも彼がいるのなら話は別だ

数年前に気まぐれで声をかけただけの存在だというのに彼は私の興味を惹きつけてならない
ずっとその理由を考えていた


『ヒョッヒョッ…翡翠、ちょうどいいこの男と私、どちらの集中が上か……おい、何をしている』


玉壺の下へと向かった私は血鬼術を発動させ彼に狙いを定めた
鬼は協力なんてしない、そういう生き物だと教えてくれたのは無惨様だ


『私が気まぐれだって知ってるでしょ?』

『ほう…私がお前より格上だと知っていての判断だな?』

『そうだね、身の程は弁えてるよ』


小屋の中には人間が2人
両方刀鍛冶であろうが、この2人と先ほどの子供を守ろうと無一郎は戦っていた
彼らを守るのが無一郎の望みだろうから私はそうするまでだ


『フン、ならばお前から片付けてやろう
前から目障りと思っていたのだ丁度良い、ヒョヒョッ』


玉壺は上弦の伍、いくら私が7番目とはいえ上弦の鬼に敵うはずもない
多少の時間稼ぎにはなっただろうけど、虫ケラのように嬲り倒された
再生もままならないほどの連撃でかなりの力を消耗した私の頭を金魚鬼が飲み込もうとしている


『ヒョッヒョッヒョー!以前からお前の眼は私の作品に相応しいと思っていたが…どんな作品に仕上げようか!』

『…勝手に粛清して…無惨様に殺されればいい』

『馬鹿な奴だ、お前はとうの昔に見放されている
何故あのお方がお前の勝手を許したと思っている?興味を持たれていないことにも気がつけぬとは!ヒョッヒョ!!』


知ってるよそんなこと
だって今回私に命令された時も1度たりともこちらを向いて下さらなかったんだから
私が気まぐれで人の側についたように、無惨様も気まぐれで私を鬼にしただけだ、道端の石ころを蹴る感覚と何ら変わらない
石ころが無くなろうが誰も気に留めない

四肢は切り離されているので頭と胴だけになった私にはなす術はない
ここまでかと諦めた時、玉壺の背後に見えたのは目に光を宿した無一郎の姿だった


『(ああ…思い出せたんだね)』


どんな理由で記憶を失っていたのかなんて知らないけれど、私のことを忘れてしまった彼に面白くないと思った
きっと私は鬼の分際で人に恋をしてしまったんだ
私を精霊だと告げた彼に惹かれ、役目も放り捨て彼の力になれるよう振る舞った

無惨様が人間へ加勢した私へ怒っているのがこの体に流れる血から理解できる…それなのに清々しい気持ちなのは何故だろう

地面を転がる状態のまま無一郎の戦いぶりを目に焼き付け、四肢が再生する頃にはその戦いに決着がついていた
玉壺の頸を斬った後すぐに無一郎がこちらを向きゆっくりと近づいてくる
いつものように逃げる力も残っていないため私はそれを眺めることしかできない


「久しぶり…君は精霊じゃなかったんだね」

『おはよう無一郎…そうだよ、私は鬼』

「ねぇ…どうして僕を殺さなかったの?何度も機会はあったのに」


そんなこと聞かないでほしい
あなたに恋をしたなんて口が裂けても言えるわけがないのだから

何も言わない私の前にしゃがんでいた彼がその刀を私の頸に押し当てた
少し当たっただけなのに痛みがあるのはさすが鬼狩りの刀だと感心する


「君は鬼だから…人を喰らってきた鬼だから…ごめんね」

『それでいいんだよ』

「うん…」


ぐっと力が込められスパンと頸が斬られる
その瞬間、人間だった頃の記憶が流れ込んできた

大好きな両親と幸せに暮らしていたあの頃
盗人のせいで両親を失い喪失感に打ちひしがれていた私に無惨様が血を分け与えてくださった
そうだ、私は両親を殺した人間の悪しき心を憎んで鬼になった

両親はいつも正しくあろうとする人だった
こんな私を見てどう思うだろうか

涙が溢れるが拭う手はもうない
代わりに無一郎がその涙を拭ってくれた


「精霊さん…ううん、名前を教えてよ」


それは昔彼が私に告げた言葉
あの時は鬼としての私の名を教えたけれど全部思い出した私は「祈里」という人間の名を教える


「祈里…うん、君にぴったりな名前だね」


両親からもらった大切な名前を褒められて心の底から嬉しい
思い返せば無一郎は私のことを褒めてくれた、鬼の風貌を精霊だと、翡翠という名を綺麗だと…そんな彼に心が絆されたんだろう
鬼にも心はある…そのことを教えてくれた無一郎に恋をするのは当然の結果だった


『あり…がとう…』


消滅した私の姿を見送った無一郎は少しだけ辛そうな顔をしているように思えた
私にはもう見ることはできないので気のせいだったのかは分からないが、都合良く解釈することに決めた
我ながらいい最期だったじゃないか

どうか彼には幸せになってほしいと…勝手な話だがそう願って地獄の道を歩み始める私の口角は上がったままだ






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