麋角解




朝、いつものように起床して布団を畳む
襖を開ければ縁側の先にある庭から心地よい風が部屋に入って来る

冬なので肌寒いが山育ちの私にとってこの寒さはまだまだ序の口でしかない
景信山では雪が積もって地面を覆っていたのにここの地面には雪はない
山は標高も高く気温も低いのだけれどこんなにも差があるのかと最初は驚いたことを思い出した

伸びをした私の耳に入ってきたのは守屋さんの声
私が起きたことに気がついた彼女は桶にぬるま湯を張って持ってきてくれたらしい


「おはようございます祈里様」

「おはようございます守屋さん」

「今日は寒いので少し温めておきました」


毎朝顔を洗うための水は守屋さんが準備してくれている
本当はそんなこと気にしなくていいし、自分でもできるからもっと寝ていてほしいんだけれどお世話係として譲れませんとぴしゃりと言い放たれてしまった


「いつもありがとうございます」

「いえいえ」


一緒に持ってきてもらっていた手拭いを濡らして顔を拭く
その間に守屋さんが襖を閉めて私の隊服を用意してくれた
寝衣を脱いで隊服に着替えると少し気が引き締まる
背中に背負った滅の字が自分のあるべき方向を指してくれていた

その後守屋さんに髪を結ってもらってから刀を携え稽古場へ向かう
扇町先生の下で稽古をしていた頃から朝食前に基礎鍛錬を行うことが日課になっているので今日もそれを行うためにやってきたのだ

誰もいないそこでまずは精神統一から始める
気の乱れは剣に出るから常に一定の感情を保てるように深呼吸を繰り返す


「…よし!」


集中ができればいつもの基礎鍛錬を順に行う
毎日の繰り返しが基盤になって力になるから手は抜かない

一連の鍛錬が終了すると無一郎が稽古場へやってきた
まだ寝ぼけているようでぼんやりしたままこちらを覗いている姿がとても可愛らしい


「おはよう祈里、朝ごはんを食べよう」

「うん、おはよう無一郎」


いつもの部屋で2人で食事をとる
料理は料理が得意な守屋さんが主体となって作ってくれているためとても美味しい

朝食を食べた後はまた稽古だ
今度は無一郎との立ち合いとなるので互いに痣を発現して極限状態で行う
気を抜くことのできないそれは一瞬のように思えるが時間にすれば数時間は行っていた


「お2人共そろそろ休憩にしましょう」


いつも向田さんが声をかけにきてくれるまでは続けられるので私たちは共にぐったりする
稽古と言えど傷は生まれてしまうのでそういった部分は向田さんに治療を施してもらった
治療などは向田さんが主体となって行ってくれている

守屋さんと向田さんの2人を筆頭にこのお屋敷の隠のみなさんはとても質が高い
そんなみなさんの役に立ちたくて色々お手伝いはしているけれどかえって気を遣わせてしまっているようだ


「そうだ、今日はいい天気なのでお2人の布団を干してます、きっと夜はふかふかですよ」

「わあ、それは楽しみです!」

「ぐっすり寝られそうだね」


私も無一郎も寝ることが好きなのでにこにこしながら縁側へ行くと、向田さんがお茶と大福を用意してくれていたので2人でいただく


「そういえば柱稽古の方もそろそろ悲鳴嶼さんのところで合格が出そうだって」

「え!」


私が合格してから誰も突破できていないと悲鳴嶼さんが嘆いていたのだけれどようやくそれが突破されるらしい
無一郎がこんなににこにこしているんだからきっと炭治郎だろうなと予想して問うとやっぱりそうだった


「合格したら冨岡さんのところに行くってさ」

「ん?冨岡さんも柱稽古に参加してるの?」

「うーん、僕もそんな話は聞いてないけれど炭治郎からの手紙にそう書いてあったから」


知らぬ間に炭治郎と文通していることにもだけれど、冨岡さんが柱稽古に参加していることにも驚く
冨岡さんとしのぶさんは不参加だと聞いていたから他の柱のところを巡ったというのにそれじゃあ私は完遂したとは言えないじゃないか


「今更冨岡さんのところへ行くなんて言わないでね」

「な、なんで分かったの」

「祈里のことくらい分かるよ、ね?向田さん」

「はい」


微笑ましそうに私たちを見る向田さんが頷くので首を傾げた
私はそんなに分かりやすいんだろうかと思案するも答えは出そうにない

太陽が真上を過ぎてしばらくしてから昼食を頂く、その後は更に稽古を重ねる
どれだけ鍛錬を重ねてもまだまだ課題がたくさんで先生のように極めるまでは道のりは長いと感じてしまう
それでもいつやってくるかわからない決戦は待ってくれないから必死に剣を振るった

冬は日が暮れるのは早い
夕刻にはもう星も見え始めており鍛錬もそこそこに切り上げ湯浴みをさせてもらう
お屋敷の風呂は大きくていつも向田さんおすすめの効能の薬湯にしてくれているので生き返っていた

風呂から上がれば待っていましたと言わんばかりに隠の方々から髪やら体やらを拭き上げられ、着物を着せられる
あれよこれよと世話を焼くのが私たちの役目ですからと言われたのでなんとも言えないけれど、こうまでされると戦国の世の姫かとツッコミを入れそうになる時もあるほどだ

そして守屋さん監修の夕飯をいただいてからは寝る前に縁側で無一郎と眠たくなるまで語り明かす
先日未来のことを想像してからは彼と寄り添いながら夢のような幸せを語ることが日課になっていた


「それで僕は祈里の作ったふろふき大根を食べるんだ」

「じゃあその日は張り切ってお料理を作らなきゃね、夕食の山菜は無一郎と子供に採ってきてもらおうかな」

「うーん、山菜を見つけるのは祈里の方が上手なんだけどなぁ」


まるで子供がする家族ごっこのような会話
でも私たちにとっては夢のような話で、本心で語っている

冬の夜は冷えるからと守屋さんが膝掛けを持ってきてくれたので2人で包まれば不思議と暖かい
こうしていると自分たちがただの子供のように思えるけれどそうじゃないということは自分たちが一番分かっていた


「祈里、無一郎!僕モ混ゼテ!」

「チョットオチビ!!空気ヲ読ミナサイヨ!!!」


ばさばさと降りてきた颯と銀子
こんな寒い日に外は辛いだろうとこっちへ手招きすると2匹は私たちの膝に腰をおろした
先ほどよりも暖かくなったことに無一郎と顔を見合わせて笑えば、いつもは私に突っかかってくる銀子も満更でもなさそうにこちらを見ている


「僕らに子供ができたら優しくしてあげてね銀子」

「子供!?」

「もしもの話だよ」


ぎょっとした顔で無一郎を見上げた銀子だったけれど、ホッとしたようにまた無一郎の膝におさまる
颯はあまり分かっていないようで首を傾げているけれど、きっと銀子はこうやって未来の話をすることがどれほど無意味かをちゃんと分かっている
それでも否定しないでいてくれるのは無一郎を思ってのことだろう


「景信山に帰る時は銀子と颯も一緒に行こうね」


私も無一郎も鬼殺隊を辞めることになったらあの山に帰ると決めている
まあ、その時の状況によっては思いは変わるかもしれないけれど今はそういう意向だった
この前山へ行った時に2匹共ついてきてくれたのでどんなところかを理解した上で頷いてくれた


「僕イッパイ木ノ実ヲ食ベタイナー!」

「フンッ!相変ワラズ食ニ貪欲ナ鴉ダコト!!」

「ジャア銀子ハ要ラナイノ?」

「要ルニ決マッテルデショウ!!!」


やいやい言い争う2匹が微笑ましい
思えばずっとこんな風に賑やかだった、無一郎が記憶を失っている時もずっと


「嬉しそうだね祈里」


無一郎が私にもたれかかるように頭を寄せてそう告げる
稽古中はあんなにも大人びているのにこういう時の彼は流石弟というべき甘え上手だ


「うん、私幸せだなって」

「それ昔も言ってたね」

「そうだっけ?」

「そうだよ、僕はあの時君に恋をしたんだから」


初耳なその情報に「えっ」と声を出せば、無一郎に口付けをされた
恋仲になってから何度もしているけれどまだまだ緊張してしまうそれに少し身を強張らせると、唇を離した無一郎がフッと柔らかく笑った


「これから先、大人になってもずっとずっと一緒にいようね」


その言葉は確かに私が昔有一郎と無一郎の2人へ告げたもので、忘れていた思い出が蘇ってきた
まだ9歳の頃に一緒に魚を採りに行った帰りのことだ
あの頃から既に想っていてくれたのかと驚いてしまうが同時に嬉しくもある


「うん、一緒だよ」


約束と言って小指を絡ませる
簡単な約束でも私たちにとっては大切な行為で、この時は確かに平和な時間を過ごしていた


この数日後、私たちの平和は終わりを告げる






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