乃東生
年が明けた
新年になったといってもやることは変わらない
今日もいつものように朝稽古を終えると、朝食を食べながら無一郎が口を開いた
「景信山に行こう」
その一言に目を丸くさせる
確かに柱稽古も終盤に入ってこの屋敷に来る隊士はもういない
でもいつ鬼が来るかもわからないこの状況で遠出など流石にまずいだろう
「いやいやいや、ここから景信山って1日はかかるよ」
「走れば半日くらいだね」
「走ること前提で話進めるのやめてもらっていい?」
確かに全集中で走れば半日では到着するだろうけどずっと走り続けると思うとげんなりする
無一郎曰く、記憶を取り戻してからずっと引っかかっていたらしい
あまね様が弔ってくれたとは言っても有一郎の墓に手を合わせていないことを
そう言われてしまっては私は何も言えない
私は以前下弦の肆と遭遇した時に既に行ったことがあるのだけれど、無一郎はそうじゃないのだから
そのことをお館様に確認を取るとお許しが出た
半日で行って1泊してから帰ってくるいう工程で向かうことにする
「それでは行ってきますね」
「道中お気をつけて、明日のご帰還楽しみにしておりますね」
「はい」
見送りをしてくれた隠のみなさんに挨拶もそこそこに出発する
昼前に出たので予定では夜に到着するだろうなと思っていたのに、無一郎がせっかくだからと痣を発現させながら行こうという恐ろしいことを言い始めたので予定よりだいぶ早く、夕方には山の麓にたどり着いた
「はあ…っ、はあっ…」
「大丈夫?水飲む?」
けろっとした顔で水筒を渡してきた無一郎を恨めしく思いつつも口に含む
痣を発現させることには随分慣れたけれど、使い続けて全集中をするとかなり疲労感がやってくるのだ
どんな時でも痣の発現が出来るように特訓をしているとはいえ、1ヶ月も前に発現していた無一郎と比べれば私はまだまだ未熟だった
「(いや、でもこんなのまだ序章…)」
何が大変って今から山を登るんだ
早くついたことで無一郎は街で休憩して行くか提案してくれたけれど、早く有一郎に会いたいだろうから山を登ることにする
痣を消せば体はズンっと重くなるけれどこれも修行だと思えばなんてことはない
何度も歩いた山道は懐かしい香りがした
冬なので草木はないというのにここは変わらない
「全然変わらないね」
嬉しそうに頬を緩める無一郎に疲労感が吹き飛んでいく
彼が嬉しそうなら何だっていいと思えてしまうのは惚れた弱みだろう
「この道を上がって行くと祈里の家があるんだよね」
「あ、そう言えば前に来た時に私の家は別の人が住んでたの」
「そう、なんだ…」
少ししょんぼりした無一郎はきっと自分の思い出と変わってしまったことが悲しいんだろう
でも本当に気にしないで欲しい、お父さんや豆吉との思い出の場所が誰かの笑顔に溢れているのなら嬉しいんだ
そう説明すれば無一郎も納得してくれたようで、表情はまた明るくなる
山を登って自分の家だったところを通ってから時透家に行けば、無一郎は感極まったのか少し涙を滲ませていた
記憶を失っていた彼からすればこの家に住んでいた頃のことは最近のように感じるのかもしれない
「こんなに小さな家だったんだね」
「きっと無一郎が大きくなったからそう感じるんだよ」
あれから3年が経った
私たちの時間は流れているから思い出のままでは止まってはくれない
「わ、懐かしい…いつもここで木を切っていたんだ」
「うん、おじさんの手伝いするのが大好きだったもんね」
「そうだね、僕も兄さんも父さんのことが大好きだった…」
懐かしむように庭を見つめる無一郎
記憶を失っている間はこうやって懐かしむこともなかっただろうから、彼にとってこの山に来ることは必要な時間だったのかもしれない
その後2人で向かったのはみんなのお墓がある銀杏の木が群生している場所
「今は冬だから見れないけれど、祈里は銀杏が好きだったよね」
「そうだね、銀杏の葉が黄色い絨毯みたいですごく好きだったんだ」
サクサクと積もりの浅い雪の中歩みを進めれば、そこにはお墓が並んでいる
鬼殺隊で見るような立派な墓石が立っているわけじゃない土を盛って石を並べただけの簡素なお墓だけれど作った時のことは今でも忘れられない
「父さん、母さん、兄さん…」
3つ並んでいるお墓は時透家のものだ
手を合わせてしばらく目を閉じた無一郎の隣で私も3人に思いを馳せる
無事に無一郎の記憶が戻ったことを報告し、お付き合いさせてもらっていることも一応報告しておいた
「…うん、ありがとう祈里…おかげでみんなに会えた」
ぽつりと言葉を漏らした無一郎がこちらを見る
その穏やかな顔に私も微笑み返した
「菜花のおじさんと豆吉のお墓にも行きたいな」
「ありがとう、きっと喜ぶよ」
少し離れた場所にある2つのお墓へ案内すれば無一郎はまた手を合わせてくれた
お父さんも豆吉も無一郎が来てくれたことが嬉しいはずだ
記憶が戻ったことも奇跡のようなものなのに、今ここに来れていることもまるで奇跡だ
明日生きられるかもわからない環境で生きている私たちはこの日確かに景信山に帰ってこれていた
大切な思い出ばかりのこの地に来れたことで今後の決意が更に固まる
迷いが無くなれば剣は鋭さを増す
心残りがないようにするための時間、そう思うとここへ来ることを提案してくれた無一郎にありがたいと感じた
その後山を降りた私たちは街の宿に部屋をとった
幼い頃に何度も来ていた街なので懐かしくもあるけれど疲労感の方が大きかったので見て回るのもそこそこに宿で休むことにする
夕飯をいただいてから湯浴みも済ませ、横並びの布団で寝そべりながら2人で昔の話をたくさんした
あれはこうだった、これはああだった、そんな風に思い出を語れば心が温まっていく
もし私たちが隊士じゃなければこうやって毎日楽しく暮らしていたのかもしれないと思うと思わず口を開いていた
「…ねえ、無一郎はこれから先の未来にしたいことってある?」
私たちは明日生きているかも分からないような世界にいる
鬼と戦い、命を懸けて刀を振るい、寿命を前借りして痣まで発現した
未来なんて想像しない方がいいのは分かってる、でも問わずにはいられなかった
私の問いかけにしばらく黙り込んだ無一郎は天井を眺めながら「祈里と家族になりたい」と告げる
思わぬ回答に目を丸くすれば無一郎は微笑んだ
「祝言をあげて夫婦になりたいってことだよ」
そこに照れ臭さはない
私も彼もきっとそれが難しいということは重々理解している
14歳の私たちが結婚適齢期まで生きていられるのかと問われると何とも言えない
死ぬつもりはなくても強敵を前にして選択の余地もなく死んでいった仲間を何人も見てきた
だからこれは夢物語だ
叶ったらいいなという空想
夢ならば何を願ってもいい、どんなに都合が良くても誰も咎めない
「無一郎はきっとおじさんに似た大人になるんだろうなぁ…優しくて、人のために行動できるような」
「うーん、じゃあ祈里は菜花のおじさんみたいに温かい人になりそうだね、人に寄り添えるような」
お互いの未来を想像して2人でくすくすと笑う
祝言をあげると知ったら柱のみんなはどんな反応をするだろうか、自分たちに子供ができたらどんな子になるだろうか、家族として暮らしていく未来を想像して口に出しては2人でもっともっとと都合のいい未来を思い描いていく
並べられていく未来はどれも幸せそのもので、本当にそんな日が来るとすれば嬉しい以外のなにものでもない
どれほどの時間無一郎と語り合っていただろう
ひとしきり語らい笑った後、残ったのは現実だけだった
鬼の住まうこの世で鬼殺隊として剣を振るい、命を懸けて戦うという現実
自分で選んだ道なので後悔はしていない、それでも先ほど描いた未来とはあまりにも温度差があるように思えた
「祈里、手をかして」
「うん」
布団から手を出して握ると無一郎の温もりが伝わってきた
いつまで生きてられるかは分からないけれど私たちは今確かに生きている、ここにいる
「これから時間がある時はこうやって未来の話をしようか」
「いいの?」
「うん、僕も祈里との未来を想像することは楽しいし…それに」
ぎゅっと握っている手に力がこもった
無一郎の方を見れば、水色の瞳が私を捉える
「叶えたいって思うと原動力になるだろ?」
「…ふふ、そうだね」
その日から私たちは素敵な未来が訪れることを願って語らうことが増えた
馬鹿げた夢物語だとしても、口に出しているこの時はそれが本当に叶うような気がして幸せな気持ちになれた
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