厥魚群




年の瀬のある日

今日も無一郎と共に立ち合う
この頃には柱のほとんどが痣を発現できるようになっていた
私もそれに近いところまではいくもののまだうまくいかない


「ほら!もっと集中して!」


痣を発現した状態の無一郎との立ち合いは呼吸をするタイミングすら見つけるのが困難だ
一瞬でもよそ見をすればもう目で追えないとすら思えてしまう


「(見失うな、絶対に捉え続けろ)」


私の専売特許の速さを更に上回る無一郎の高速移動は凄まじい
でも私だってまだ負けていない


「(風の呼吸)」

「遅い」


技を出そうと構えると無一郎に刀を弾かれた
悔しい、防戦一方で目で追うのも精一杯で、木刀がぶつかる度に無一郎や柱との格差を突きつけられる


「(どうすればいい、どうすれば痣が出る!)」


仕組みは理解していても使いこなせないならそれは意味がない
乗り越えなければならない壁は分厚く立ちはだかる


「(もっと集中を、もっと体温を、もっと…もっと…!!)」


“風はきっと味方してくれる、お前さんが望むのならばね”


脳裏をよぎったのは先生の言葉
そうだ、私は今までずっと風に守られてきた

どうしてこの力があるのかは知らないけれど、先生曰く何年かに1度はこうやって風が視える人間が生まれるらしい
私はたまたまその力に恵まれただけ、でも他の人にはないこの力は強力な武器になる

風は今この瞬間でも吹いている
必死なあまり視えていなかった…いや視ようとしていなかった
不死川さんと先生は同じ風の呼吸を使うけれどそれぞれ違う風が吹く

不死川さんのは荒々しくて鋭利だけど、どこか優しい風
先生のは鋭く素早く、まるで矢のように射抜くような風

なら私は?私の風はどんなものだったのかちゃんと考えたことはなかった

無一郎の技を避けながら風を視る


「(これが私の風…)」


ふわふわとしていて風というより雲に近いそれに驚く
これは何だとぽかんとすると、無一郎の木刀が鳩尾に入った
瞬間、一気に現実に引き戻されて稽古場の床を転がる


「っ、ゲホッゲホ!!」


はーっはぁーっと肩で呼吸をする私に無一郎は木刀を構える
もうだいぶ少なくなったけれど隊士はまだいて、その人たちは青ざめて私たちの様子を見守っていた


「あ、あの…少し休憩された方が…」

「口出ししないでくれる?これは僕と祈里の稽古なんだから」


相変わらず冷たい物言いをする無一郎
まあ柱稽古が始まって1ヶ月ほどになるこのタイミングでここに残っている隊士は正直見込みがないとも言ってしまえるので無理はない

それに私は痣を発現させないといけないからここでやめるわけにはいかない、立ち止まっている暇なんてない
立ち上がって木刀を構え無一郎をしっかりと視界に捉える


「(さっき視えた風は何?考えろ、絶対そこにヒントがある)」


雲のようにふわふわした風
あんなもので何を斬るんだと疑問がいっぱいだ

風の呼吸を使った時に出る風はもっと鋭いし鬼の体を斬り裂けるほど力強い
じゃあ視えたあれは何だと困惑してしまう

無一郎との立ち合いが再開し、また緊迫した時間が続く
根気よく付き合ってくれる無一郎のためにも早く習得しなきゃと刀を強く握った

するとその瞬間、観ていた風が糸のような形に変貌する
先ほどまで雲だったものがそんな急変したのでびっくりだが、その糸状の風は無一郎の背後に続いていた


「(これは…炭治郎の言う隙の糸のようなもの…?)」


以前蝶屋敷で炭治郎の稽古をつけていた時にそんな話を聞いたことがある
あれは彼の嗅覚を前提としたものだったはずだけれど、これもそれに近いのかもしれない
何が何だかわからないけれど、そこまで行けばいいんだろうか


「(あの場所まで最速で…)」


息を吸うといつもより体全体に空気が行き渡った気がした
それに何故か無一郎の動きがスローに感じる
キーンという耳鳴りも聞こえ始めた

ドクンドクンと心臓が鼓動を刻む
体が熱い、今まで体験したことのないような熱を感じるのにやけに頭が冴え渡る

風が吹いた
そう無一郎が感じ取った時、私は彼の背後を取っており木刀を振りかぶっている


「っ!」


それに反応するも、私の木刀が彼の木刀を弾き飛ばした
カランッという木刀の落ちる音にハッとすると、無一郎も同じように呆気に取られている


「祈里、痣が…!」


驚きつつもそう言った無一郎
近くに控えていた守屋さんが鏡を持ってきてくれて、それで確認すると私の頬には風車のような紋様の痣が発現している


「や…やった…発現した!!」


ようやく会得できたことに喜ぶが、思い出したのは先ほどの自分の動き
風が示した道を最速で駆けるために集中したら途端に出た痣
風が変貌したこともそうだけど痣の発現と何か関係があるのかはまだわからない


「おめでとう祈里」


痣を消した無一郎がにっこりと微笑む
多忙にも関わらずずっと付き合ってくれていた無一郎には感謝しかない


「最後の動きは速すぎてとてもびっくりしたよ」

「私も何がなんだか…」


おろおろしている私に無一郎は頷く
最初はそんなものだと、そして今後は自分が望んだ時に痣を確実に発現できるように練習していこうと告げた

痣を発現すると25までに亡くなるとあまね様は仰っていたが、多分寿命の前借りという意味だろう
それほどまでに痣が発現した時の体は負荷がすごかった
稽古が終わると同時に全身の気だるさと激しい筋肉痛に襲われてその場にしゃがみ込む
これが体に馴染むまではまだもう少しかかりそうだ




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その日の稽古の後すぐに先生に手紙を出した
きっと先生なら何かわかるだろうと思ってそうしたのだが、翌日返ってきたのは「わからない」という旨

しかし先生の考えでは、私が風が視えることを風も知っており、その場に応じて姿を変えているのかもしれないということらしい
まるで生き物のようなその動きは意思を持って私を助けてくれているのだと

そんなことがあり得るのかとぎょっとするも、そもそも風が視えること自体が普通の人からしたらあり得ないことらしいので何とも言えない


「わからないことだらけだけど…でも助けてくれるならいいのかな」


幼い頃から傍にいることが当たり前だった風は私のことをずっと見ていてくれている
今はまた雲のようにふわふわと私の周りを漂っている風を眺めてから目を閉じると何だかひどく落ち着いた


「(何だろう、この感覚…どこかで…)」


お父さんでも有一郎でも無一郎でもおじさんでもおばさんでもない
先生でも鬼殺隊の誰かでもないこの感覚は何だろう
温かくて心が落ち着くこの感覚はどこかで覚えがある
でもどうしても思い出すことができない

刀鍛冶の里で炭治郎が先祖の記憶を夢に見たと話していた
それと同じことが私にも起きているんだろうか


「(違う…これは多分私の記憶だ)」


先祖の誰かじゃない、自分のもののように感じる
根拠もないのにどうしてそう思うのかがわからないのでもやもやしてしまう


“祈里、ずっと見守ってるからね”


ふと、記憶の奥底にあるその言葉が浮上した
誰かに告げられたその言葉はいつのものだろうか


「(誰かにそんなことを言われた気がする)」


目を開くと綺麗な空が視界に入ってきた
空といえば、お父さんは亡くなると空に行くって言ってたっけ
ということはこの数年ずっとあそこから私を見守ってくれているのかもしれない


「お父さん、私頑張るね」


私1人の力でできることなんてしれてるけれど、みんなと力を合わせて必ず鬼を倒すから
そして人々が安心して暮らせるようにするんだ…もう私のような思いをする人がいないように


「だから…どうか見守ってて」


お父さんに教えてもらったことを心に、救ってもらった命を糧に頑張るからね
そう決意を込めて告げると、辺りを漂う風がまた温かくなったような気がした






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