橘始黄




※隠(向田)視点




柱稽古が始まって1週間と少し、祈里様は霞柱様の下で補助をしつつ隊士の面倒を見ている
高速移動については霞柱様から学んでもらう方がいいからと、打ち込み台に向かっている隊士に助言を行うことを主としておりとても根気良く行われていた


「全集中が切れてますね」

「あっ」

「はい、もう一度集中してください」

「はい!」


祈里様に声をかけられた隊士がほわほわと幸せそうな顔をする
そう、祈里様はまだ幼いが将来有望なのだ、可愛らしさの中に美しさも秘めており惹かれるのも無理はない

だがしかしこちらとしては誠に遺憾だ
こちらは霞柱様との微笑ましい恋模様を見守っているというのに余計な者が入ってくるんじゃないと威嚇する

こう思っているのは俺だけではなく守屋や他の隠もだった
この屋敷にいる隠は霞柱様と祈里様の親のようなものなのだ、解釈違いのカップリングなど認めない


「みなさん、ただ打ち込むだけじゃなくて1つ1つの動作に集中してください
流れ作業だと同じ稽古でも効果が出ません、まずは常に同じ力を発揮できるように質を向上しましょう」


にこりと微笑みながら言う祈里様
今日も爽やかで可憐な振る舞いは可愛らしい

祈里様は先日の緊急柱合会議で柱と同じような力をつけるよう命を受けたらしい
現状甲の一般隊士は祈里様ただ1人のみなので責任が集中してしまうのはとても心配だ
あのお方は何もかもを背負い込む癖がある、霞柱様には時々吐露しているようだがそれにしたって14歳の少女にしては責任感が強すぎる


「祈里様、霞柱様が立ち合いをと仰ってますよ」


祈里様に声をかければ彼女は大きな目を瞬かせこちらを振り向く


「あっ、もうそんな時間!ありがとうございます、向田さん!」


嬉しそうに駆けていく祈里様を見送ってから鼻の下を伸ばしている隊士を睨みつける
霞柱様が見ていないとしても俺たちが見張ってるからな!と

祈里様がちゃんと霞柱様のところへ行ったかを確認するために稽古場を覗く
そこでは立ち合いをするお2人がいた

霞柱様はずっと隊士の相手をし続けているというのに祈里様を相手にしても依然その素早さは健在で、祈里様もくらいつく
もう数年見てきた立ち合いだが明らかにレベルが上がっているのが分かる

恋仲と言えど互いに手を抜かないのはお2人らしい
祈里様は霞柱様との立ち合いを通じて痣の発現を狙っている
既に痣を発現させた霞柱様はその時の感覚を教えながら祈里様を指導していた


「そう!身体中の血液を沸騰させるような感覚で!」

「っ」


凄まじい立ち合いをしつつもさらに上を目指す
そんな姿を見てからそっと稽古場の扉を閉めた

刀鍛冶の里での一件で竈門禰󠄀豆子という少女が鬼でありながら日を克服したという
そんなことがあるのかと驚いたが事実のようで、それ以来鬼の活動がぴたりと止んだ
嵐の前の静けさとはよく言ったもので、何か大きなことが起こるような気がして気味が悪い
この柱稽古も大きな戦いに備えて行われている


「(大きな戦いか…)」


柱である霞柱様は勿論、祈里様も最前線に出るだろう
正直かなり心配だが止めることは許されない

必死に稽古に励んでいた姿を思い出しながら家事を進めるために奥へ向かった




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その日の夕方、薬品庫の整理を行なっているとぱたぱたと足音が聞こえた


「向田さん、お手伝いすることありますか?」


ひょこっと顔を覗かせた祈里様
このお屋敷に来た頃からずっと手が空けばこうやって何かを手伝ってくれている


「祈里様も稽古でお疲れでしょう、ゆっくり休んでいてください」

「いえいえ、何かしてないと落ち着かないんです」


困ったように微笑む祈里様は仕事がほしいのか期待に満ち溢れた目でこちらを見ている
そんな表情で見られたら断るのも忍びなく、整理していた薬品の点検を手伝ってもらうことにする


「(ほんと、いい子なんだよなあ)」


在庫管理の帳簿にチェックをしていく祈里様はてきぱきと仕事をこなし卒がない
年齢のわりに大人びた考えをするところは霞柱様と同じだが、年相応な姿を見ることもよくある

霞柱様といえば、先日の刀鍛冶の里での一件で記憶を取り戻された
帰還したお2人から過去のことを聞いて絶句したのはまだ記憶に新しい

俺は身内を殺されたとかそういう理由で鬼殺隊に入ったわけじゃないから2人の過去の凄惨さに衝撃を受けた
それに、霞柱様の強い怒りを原動力とした叩き上げも、祈里様の霞柱様を守るためにという強い思いの鍛錬も11歳の頃の自分にはとても想像がつかない

でも2人とも自分たちの過去を話した時に悲しそうな顔は見せなかった
2人にとってその出来事は辛いものだったが、あの日を生き延びた自分たちだからこそやらなきゃいけないことがあると話されていた

記憶を取り戻してからの霞柱様は祈里様のようによく笑う
本来はこういう喜怒哀楽がはっきりした子だったと祈里様は教えてくれた
俺たちにもよく話しかけてくれて、たまにはわがままを言ってくれて…元より霞柱様に忠義を誓った身ではありながらも更にあの方に惹かれる

俺たち隠は鬼殺隊に入っても才には恵まれなかった者の集まりだ
それなのに霞柱様や祈里様は分け隔てなく接してくれる
これがどんなに嬉しいことかを2人はお分かりでない


「向田さん、点検終わりました」


帳簿を差し出す祈里様にお礼を言うと嬉しそうにはにかんだ
次の仕事を探しに医務室を出て行った彼女はまるで野を駆ける子供のように見える

ふと目に入ったのは今までの治療の帳簿
蝶屋敷に行くほどではない治療の場合こちらで済ませるのだが、薬品管理も兼ねて書き記していた

そこには霞柱様と祈里様のこれまでの治療歴がずらりと並んでいる
大怪我ではないものの痛々しいものも多い

いつだったか、お2人が任務から戻られた隊服があまりにもボロボロで、それを修繕しながら守屋が涙を流していた
何もできない自分たちと違い才能あるお2人は羨ましくもあり、お労しいと

力ある者には責任が付きまとう、たとえ歳が若かろうと関係ない
戦場では年齢などなんの意味も持たないのだ、特に鬼の住まうこの大正の世では


「向田、そろそろ夕飯の準備に…って、え?!泣いてるの?」


俺を呼びに来た守屋がぎょっとする
言われるまで気が付かなかったが俺は泣いているらしい


「どうしたの?頭でも打った?」


おろおろしている守屋を見ていると冷静になる
俺たち世話係の隠は戦場へは行けない、ここでお2人の帰りを待つことしかできない
どれだけ怪我をしようとも、瀕死の重傷を負おうとも、生きて帰ってきてくれるならそれでいい
帰ってきてくれるなら治療も出来る、食事も用意できる


「…守屋」

「ん?」


心配そうな顔をしつつ守屋が首を傾げる


「お2人が幸せに暮らせるよう頑張ろうな」


せめてこの屋敷にいる間は何もしがらみに囚われずのびのびと健やかに過ごしてほしい
鳥が巣で羽を休めるようにお2人の休まる場所になればと思う
守屋はそれを聞いて何かを悟ったのか眉を下げて微笑みながら頷いた

その日の夕飯時、祈里様と霞柱様はいつもの部屋で食事をとられた
今日の食事も綺麗に平らげたお2人はあれが美味しかったや、この味付けが良かったなど嬉しそうに話してくれるのだ


「守屋さん、守屋さん!今日の山菜の天ぷらってこの前のあれですか?」

「ええそうです、祈里様おすすめでしたので」

「これ好きなんです!嬉しいなあ」


よほどお気に召したのか祈里様が嬉しそうにしているので霞柱様も微笑ましく見守っている
なんだこの幸せな空間は…尊い!と天を仰げば守屋も仰いでいるではないか

そんな俺たちを不思議そうに見ていた霞柱様だったが、フッと微笑む


「いつも美味しいご飯をありがとう」


穏やかな声でそう告げた霞柱様に守屋が嬉しそうな声を出して倒れた
これがこの屋敷の日常で、この先もきっと続いていくと信じている






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