菊花開




※無一郎視点




頭に流れ込んできた記憶

そうだ…父さんは杣人だった、息子である僕も木を切る仕事の手伝いをしてた
僕は父さんの手伝いが好きだった

その日はとても激しい嵐だった
少し前から体調を崩していた母さんの具合はとても悪く、高熱に魘され寒い寒いとうわ言を呟く様子に僕はどうすることもできずにいた


「母さん…大丈夫?今父さんが薬草を採りに行ってるから!」


母さんの額の手拭いを水で湿らせて額に乗せる
額はすごく熱く、ただ事ではないと理解した
慌てて自分の布団を既に布団に入っている母さんにかぶせる


「これ僕の布団…どう?母さん」

「…寒、い…っ」

「っ…父さんもうすぐ帰ってくるから!」


きっと薬草で母さんの体調もよくなる
またいつも通りの日常に戻れる
そう信じていたけれど、嵐の中薬草を採りに行った父さんは崖から足を滑らせ死んでしまった

その日、僕は母さんと父さん…大事な人を一度に亡くした
両親が死んだのは10歳の時だ、10歳で僕は1人になった


「無一郎」


聞こえた声にハッとする
いや違う、1人になったのは11歳の時だ…僕は…僕は双子だった
僕の兄は有一郎といった

父さんが亡くなってからは2人で杣人の仕事をして生きていた
いつものように木を背負って帰路についている時、前を歩く兄さんは突然口を開いた


「情けは人のためならず、誰かのために何かしてもろくなことにならない」

「違うよ、人のためにすることは巡り巡って自分のためになるって意味だよ、父さんが言ってた」


父さんが口癖のように言っていたそれは兄さんが言う意味とは異なる、だから訂正した
でも兄さんは淡々と言い返してきた


「人のために何かしようとして死んだ人間の言うことなんて当てにならない」

「なんでそんなこと言うの?父さんは母さんのために…」

「あんな状態になってて薬草なんかで治るはずないだろ、バカの極みだね」

「兄さん酷いよ!」


あんまりな言い草に声を荒げるけれど兄さんはこちらを振り向きもしない


「嵐の中を外に出なけりゃ死んだのは母さん一人で済んだのに」

「そんな言い方するなよ、あんまりだよ!」

「俺は事実しか言ってない、うるさいから大声出すな猪が来るぞ
無一郎の無は無能の無…こんな会話意味がない、結局過去は変わらない…無一郎の無は無意味の無」


兄さんのその言葉に傷ついて立ち止まり俯く僕の傍にいた彼女が声をかけてきた


「無一郎…」


その声にハッとして顔を上げた僕は涙を拭いた
そうだ、彼女は菜花祈里…祈里は僕らの幼馴染だった

菜花家は僕らの家の近所にあった
景信山にはあまり人はいないから近所付き合いも菜花家とくらいしかなかったように思う

その菜花のおじさんは猟師をしていて、父さんと仲が良かった
だから僕らが祈里と打ち解けるのも早く、僕らはいつも3人一緒だったんだ
祈里には母さんの体調が悪くなってからはいつも家事を手伝ってくれて迷惑をかけっぱなしだから…兄さんと約束をした、これからは僕らが祈里の力になろうって


「大丈夫だよ、心配かけてごめんね祈里」


だから彼女の前では涙を見せないようにしようと決めていた

でも兄は言葉のきつい人だった…記憶のない時の僕はなんだか兄に似ていた気がする
兄と2人の暮らしは息が詰まるようだった、僕は兄に嫌われていると思っていたし兄を冷たい人だと思っていた

やがて季節が過ぎて春になった
いつものように川へ水を汲みに行った時、僕はあまね様に出会ったんだ
あまりにも美しいので僕は初め白樺の木の精だと思った

あまね様はお館様のお内儀で僕らを訪ねてこんな山の中まで来たと言うのだ
だけど結局兄はいつものように暴言を吐いてあまね様を追い返した


「すごいね!僕たち剣士の子孫なんだって!しかも一番最初の呼吸っていうのを使うすごい人の子孫で…」


あまね様から聞いたのは僕らがすごい剣士の子孫だということ
そしてその力を貸してほしいと告げられた
この世には鬼という存在がいるそうだ、それと戦うことが出来る力があるのだという


「知ったことじゃない、さっさと米をとげよ」

「ねえ!剣士になろうよ!鬼なんてものがこの世にいるなんて信じられないけど…僕たちが役に立つんだったら
ねえ!鬼に苦しめられている人たちを助けてあげようよ!僕たちならきっと」


直後、ガンッと強い音と共に兄さんの持っていた包丁がまな板に下ろされた
切られた大根がぽとりと地面に落ちる


「お前になにができるっていうんだよ!!
米も一人で炊けないような奴が剣士になる!?人を助ける!?バカも休み休み言えよ!
本当にお前は父さんと母さんそっくりだな!楽観的すぎるんだよ、どういう頭してるんだ!

具合が悪いのを言わないで働いて体を壊した母さんも!嵐の中薬草なんか採りにいった父さんも!
あんなに!…あんなに止めたのに…母さんにも休んでって何度も言ったのに!

人を助けるなんてことはな、選ばれた人間にしかできないんだ!
先祖が剣士だったからって子供の俺たちに何ができる!?
教えてやろうか?できること、俺たちにできること!
犬死にとムダ死にだよ!父さんと母さんの子供だからな

結局はあの女に利用されるだけだ!何かたくらんでるに決まってる!
この話はこれで終わりだ!いいな!さっさと晩メシの支度をしろ!」


捲し立てるような兄さんの言葉に僕は何も言い返すことができなかった
そしてそれから僕たちは口を利かなくなった
ずっと家へ通ってくれるあまね様に兄が水を浴びせかけたときだけ一度ケンカをしたきり

僕らの不仲を心配した祈里には気を遣わせていた
心配をかけないようにとしていたのにまるで出来ていない


「ごめんね、気を遣わせて」


山菜を採りに行きたいという祈里についてきた僕は彼女にそう告げる
すると祈里はとぼけたように笑った


「何のこと?」

「兄さんと僕…喧嘩していて…」

「うん、知ってる」


祈里は兄さんといる時はいつも楽しそうだった
兄さんも祈里には優しく穏やかに接しているようで、僕から見ても仲睦まじく見える

僕も兄さんも祈里のことが好きだった
いつも2人で分けっこしてきたけれど祈里はそうはいかない
兄さんに取られたくない…喧嘩をしていたせいで尚更そう思ってしまった僕は彼女に質問を投げかけた


「…祈里は…祈里はどっちが正しいと思う?」

「どっちもかな」

「それは無しだよ」

「白黒付けなきゃいけないの?有一郎も無一郎もどっちも正しいよ」


いつものように穏やかに笑う祈里、でも僕は納得がいかない
思えばあの頃から祈里は少し大人びていた
菜花のおじさんの猟についていっているためか命というものに向き合い、それをきっかけに大人のような考えをするようになっていた

祈里と比べて僕は泣き虫な子供のまま
それが嫌だったんだと思う、だからいつもなら食い下がる場面で反論したんだ


「…いつもそうだね、祈里は僕らの真ん中にいる
僕か有一郎かどちらか一人だけ選んでって言っても誤魔化すの?」

「無一郎…?」


あの時に握った祈里の手は僕より少し小さくて、その時にハッとしたんだ
祈里が大人びていても彼女は女の子なんだって
何歩も先に行っているように見えるけれど僕らと同じ11歳の子供なんだって

そして夏になった
その年の夏は暑くて僕たちはずっとイライラしてた
祈里の助言通り扉を開けて寝ていたため少しは風が入ってくるがそれでも暑くて蝉も鳴いてて…

なかなか寝付けなかった僕は布団から起き上がり、入り口近くの水甕に汲んでおいた水を飲む
ふと兄さんの方を見ると同じようになかなか寝付けないようで目が合う

その直後、足音が聞こえたと思ったら祈里が飛び込んできた


「二人とも!鬼が来る!!」


酷く青ざめた祈里の服には何やら血のようなものがついていて只事ではないとすぐに理解した
けれど突然のことに僕らの理解は追いつかない


「早く逃げ…っ!!」


何かを告げようとした祈里の背後に影が見えたと思ったら、彼女の腹を爪のようなものが貫いた
そしてその爪に貫かれたまま祈里は家の奥に投げ飛ばされ、壁に強く打ち付けられてずるずると床に崩れ落ちる


「「祈里!」」

『何だ何だ、あいつがしくじったのか?』

「うっ…逃げ…っ」


祈里は苦しそうにしながらも僕らに逃げるよう声を振り絞る
そんな祈里に駆け寄ろうとした僕目掛け鬼は腕を振り上げた


『なんだ…ガキだけかよ…チッ…まあいいか』

「無一郎!」


僕を守ろうと飛び出してきた兄さんの腕を鬼が切り裂く
吹き飛んだ腕は壁に叩きつけられ、べちゃりと床に落ちた
返り血が僕にも飛んできて生暖かいその感触に背筋が凍る


「うあああああ!!!痛い!痛いいいい!!!」

「兄さん…兄さん!」

『へへへ…』

「ひっ…うわあああ!!」


近づいてくる鬼に怯えながらも兄さんを連れ祈里の倒れている家の隅へと逃げる


『うるせえうるせえ!騒ぐな!!
どうせお前らみたいな貧乏人は何の役にも立たねえだろ、いてもいなくても変わらないようなつまらねえ命なんだからよ』

「そんなこと…ない…」


鬼の言葉に祈里が立ち上がる
ふらふらのその体は動くたびに血が溢れていて酷く痛々しい


「命は平等だ!つまらない命なんてない!!!」


それでも祈里は僕らを守るように腕を広げ鬼の前に立ち塞がった
その姿を後ろから見ていた僕は息を飲む

祈里はいつだって強かった、正しかった
誰よりも命と向き合い、生きるということを考えてきた彼女だからこそ鬼を前にしても信念を貫けるのだろう

しかし鬼は祈里を殴りつけ床に薙ぎ倒す
そして倒れた祈里の首を掴み宙へと持ち上げた


「祈里!!!」

『説教垂れやがってイラつくなガキ!お前から食ってやるよ!!』


鬼が大きく口を開けた
僕の目には祈里から流れ落ちる真っ赤な血が映る
浅い呼吸を繰り返す僕の頭の中はぐちゃぐちゃで、動かなきゃ、助けなきゃと思うのに体は動かなくて


「(このままじゃ祈里が死んでしまう、兄さんも僕もこの鬼に殺されてしまう)」


何度目かも分からぬ呼吸の後、途端に目の前が真っ赤になった
生まれてから一度も感じたことのない腹の底から吹きこぼれ出るような激しい怒りだった


「うあああああああ!!!!!!」


その後のことは本当に思い出せない
とてつもない咆哮がまさか…自分の喉から、口から発せられていると思わなかった

気づくと鬼は死にかけていた
だけど頭が潰れても死ねないらしく苦しんでた
まもなく朝日が昇り鬼は塵になって消えた…心底どうでもよかった

早く有一郎と祈里の所へ行きたかったのに突然体が鉛みたいに重くなって目の前にある家まで随分時間がかかってしまった
這ってなんとか家まで辿り着くとそこらじゅうに血飛沫が飛び散る家の中で兄さんと祈里が隣り合って倒れていた


「い…し…す…お願い…しま…」


微かに兄さんの声が聞こえる


「…生きてる…兄さん…祈里っ」


2人の下へと近づきたいのに体がいうことをきかない
倒れながら、這いつくばりながら傍へ行けば兄さんの声がはっきりと聞こえた


「神様…仏様…どうか…どうか…弟だけは…助けてください」


兄さんのその言葉を聞いてハッとした
僕のことを嫌ってなんかいなかったんだと思い知り、涙が溢れ視界が滲んでゆく


「弟は…俺と…違う…心の優しい…子です…人の役に…立ちたいと言うのを…俺が…邪魔した…
悪いのは…俺だけ…です…バチを当てるなら…俺だけに…してください…分かって…いたんだ…本当は…」


兄さんの手を握るように手を伸ばせば、随分と冷たくなった指先に触れた感触がする
嫌だ、死なないでほしい
そんな思いも空しく兄さんは虚な目のまま言葉を紡いだ


「無一郎の無は…無限の…無なんだ」




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全て思い出しハッとしたその瞬間、突然体に力が入るようになった
全身が熱い、でも何故か体は軽いし周りがよく見える
先ほどまでとは異なりしっかりと刀を持ち、鬼を見据えた


「霞の呼吸 肆ノ型 移流斬り」


小鉄くんを片手に鬼を斬り刻む
腕の中で咳き込む小鉄くんは祈里のおかげで軽傷で済んでるようだ

祈里は自分に力がないことを嘆いていたけれど…僕の命は君に救われたんだ、2度も
あの日、君は僕らを助けようと来てくれた
本当なら僕も死んでいたのかもしれない、でも僕は助かった…兄さんと祈里が守ってくれたおかげだ


「(だから今度は…今度こそ僕が祈里を守る)」


自分が何者か、すべきことは何か
頭の中の霞は晴れ、とても澄み渡っている






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