禾乃登




『鬼になれ杏寿郎、そして俺とどこまでも戦い高め合おう、その資格がお前にはある』

「断る、もう一度言うが俺は君が嫌いだ…鬼にはならない!」


戦いに参戦するタイミングを伺う私は刀を持つ手に力を込める
上弦が何だ、格上が何だ、私は無一郎を守ると決めて鬼殺隊に入ったんじゃないのか
私みたいに鬼に家族を殺される人が出ないように、大切な人を失う人が出ないように


『まだわからないか!攻撃を続けることは死を選ぶことだということが!杏寿郎!
ここで殺すには惜しい!まだお前は肉体の全盛期ではない!1年後、2年後には更に技が研磨され精度も上がるだろう!』


両者本気の攻防を繰り返ししばらくすると煉獄さんの動きが止まった


「おお…やったか?勝ったのか!」

「…ちがう」


風が泣いている
立ち尽くす煉獄さんの足元に血がボタボタと落ちて血溜まりが形成されていた


『もっと戦おう、死ぬな杏寿郎』


猗窩座の声が聞こえた時には私の足は地面を蹴っていて、激しい怒りと憎悪が体を駆け巡る
鬼のせいでまた誰かが失われてしまうなんて絶対にあってはならない


「煉獄さんから離れろ!!!!!」


猗窩座は私の連撃を全て躱す
そして酷く冷たい声で『下がってろと言ったはずだが、女』と告げた


「祈里!」


炭治郎の声が聞こえる
幾ら甲の隊士とはいえ上弦の参相手は分が悪すぎる
それでも私は闘わなくてはならない、ここで煉獄さんを死なせるわけにはいかない


「菜花少女、下がれ!」

「嫌です!」


私が下がれば皆を守るために煉獄さんは戦うだろう
柱はそういう人たちばかりだ、その強さを弱き者を守るために使う優しい人たちの集まりだ
だからこそここで煉獄さん1人に戦わせてはいけない、柱候補だと言ってくれた煉獄さんの期待に応えなくてはならない


『俺は女は殺さない…退け』


随分舐められたものだ
スウッと息を吸って刀を構える
研ぎ澄ませ、集中しろ、せめて…せめて煉獄さんが回復するための時間を


「風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ!!!」


素早い風の斬撃を猗窩座は避ける、すかさず私は宙にいる猗窩座めがけもう一度刀を振るった


「風の呼吸 陸ノ型 黒風烟嵐!!!」


猗窩座の足が切り落とされるがすぐに再生し着地する


『ほう…風の呼吸か…』

「何を…」

『そういえば1人だけ殺さず致命傷を負わせただけの柱がいた、そうだあれは風だった…お前と同じ女だったから生かしてやったんだ』


思い出したのは先生の体の傷跡
先生は自分が鬼殺隊を辞めた理由をとある上弦の鬼との戦闘で致命傷を負わされたためだと話してくれた
命を奪い殺すわけでも無く、剣士としての自分のみを殺されたことが今でも憎いと
その鬼は女だからと敢えて生かしてやったと告げていたと

まさかと思い猗窩座を見ると、ニイッと笑う

こいつだ
あの先生を追い込んで弄んで、愚弄したような鬼はこいつなのだ
そう理解した瞬間、今までにないほどのスピードで猗窩座の間合いに入り、攻撃を繰り出していた


「風の呼吸 捌ノ型 初烈風斬り!!!!」


猗窩座を取り囲むように周りから斬撃を喰らわせる


『まだ速度が上がるのか…惜しい、男ならどれだけ良かったか!』


身体中にどれほど傷を負わせても猗窩座はすぐに再生してしまう
何度も何度も攻撃を繰り出すもこれじゃあ埒が開かない


「風の呼吸」

『もういい、お前との戦いはもう飽きた』


いつのまにか背後に回り込まれていたようで、猗窩座の声が後ろから聞こえたことにハッとする
直後、ドンッという衝撃と共に私の体は大きく飛ばされた
地面を転がり、刀も落としてしまい、横たわった私が咳き込めば大量の血が溢れ出る


『死なない程度に臓物を痛めつけた、その体格でその傷はしばらく立てまい』

「祈里ーーー!!!!」


私のところに駆けてきた伊之助が何かを言っているのに上手く聞き取れない
拳を叩きつけられたと同時に衝撃派のような技も叩き込まれたせいで鼓膜がおかしくなってるんだ
耳はしばらくすれば治るだろうけど指一本も動かせないほどになるなんて…それほどまでに強烈な一撃だった

視界に入るのは遠く離れたところにいる煉獄さんと猗窩座の姿のみ
何も聞こえない…でも煉獄さんは必死に猗窩座と戦っているのが見える


「(煉獄さん…ごめんなさい…私はやっぱり何の役にも…)」


奥義のようなものを互いに繰り出し、炎の渦が立ち上る
煙が晴れた時、見えたのは煉獄さんの腹を貫通している猗窩座の腕だった


「(ああ…だめだ…煉獄さんが死んでしまう)」


動け 動け 動け

煉獄さんは腹を貫かれながらも猗窩座の首に刀を刺している
そして日が昇り始めたことで猗窩座が逃げようとするも、食い止めているようだった
きっと彼は自分の命を引き換えにしてでもここで猗窩座を倒すことに決めたんだ
鬼殺隊のために自分がすべきことを全うしようとしているんだ

震える手で地面に手をつき上体を起こす
再び口から血を吐くが今はそんなことどうでもいい
じんわりと耳が治ってきた…聞こえる、風の音が聞こえる


「(動け、ここで動けなくてどうする!)」


落ちている刀を取るため駆け出せば炭治郎と伊之助も動き出す
日が昇るまで待たなくても誰かがその頸を斬ればいい、そうすれば上弦の鬼が倒せる

煉獄さんが命懸けで作ってくれた機会を繋ぐために足を動かした
出血がひどい、体を動かすたびに傷口が痛む
それでも絶対に諦めてなんかやらない、私も鬼殺隊だ…鬼を倒すために死ぬ覚悟はとっくに出来ている


「風の呼吸・壱ノ型 塵旋風・削ぎ!!!」


地面を抉り取り向かっていくこの技は遠距離にも届く
しかし猗窩座は私の技が届く直前で己の腕を切り落とし跳躍した、煉獄さんが絶対に腕を離さないと判断したんだろう
逃げる猗窩座の首には煉獄さんの刀が刺さったままでいる

日が山の輪郭を照らし始めた
あと少し、あと少しなのに

逃げる猗窩座を追う炭治郎
私も追おうとするのに突然息ができないほどの激痛が襲いくる
ご丁寧に肺もやってくれたらしい、鬼殺隊の隊士が呼吸を武器としているのを熟知しているからこそ肺を突いたんだ
戦いを楽しむような…真正面からぶつかることを望むようなやつがこんなことをするなんて、私はよほど眼中にないのだろう


「逃げるな!逃げるな卑怯者!逃げるなー!!!」


炭治郎の叫び声が聞こえる
彼は猗窩座が逃げた方へ大声をあげていた


「いつだって鬼殺隊はお前らに有利な夜の闇の中で戦っているんだ!生身の人間がだ!傷だって簡単には塞がらない、失った手足が戻ることもない!逃げるな馬鹿野郎!!馬鹿野郎!卑怯者!
お前なんかより煉獄さんの方がずっとすごいんだ!強いんだ!煉獄さんは負けてない、誰も死なせなかった!戦い抜いた!守り抜いた!お前の負けだ!煉獄さんの勝ちだー!!!」


その叫びに涙が溢れる
悔しいのは私だけじゃない、炭治郎も、伊之助も同じだ
自分たちの弱さのせいで煉獄さんを救えなかった、鬼も倒せなかった…この後悔は消えない


「もうそんなに叫ぶんじゃない、腹の傷が開く、君も軽傷じゃないんだ…竈門少年が死んでしまったら俺の負けになってしまうぞ」

「煉獄さん…」

「こっちにおいで、最後に少し話をしよう」


煉獄さんは炭治郎を呼ぶ
炭治郎もふらつく体を支え煉獄さんの前に正座した


「思い出したことがあるんだ、昔の夢を見た時に…俺の生家、煉獄家に行ってみるといい、歴代の炎柱が残した手記があるはずだ
父はよくそれを読んでいたが俺は読まなかったから内容が分からない、君が言っていたヒノカミ神楽について何か…記されてるかもしれない」

「れ…煉獄さん、もういいですから…呼吸で止血してください…傷を塞ぐ方法はないですか?」


猗窩座の残された腕が腹を貫通している、その腕も日が登れば消えるだろう
傷口に刺さったそれがなくなれば出血が酷くなり、死へ加速する


「ない、俺はもう…すぐに死ぬ…しゃべれるうちにしゃべってしまうから聞いてくれ
弟の千寿郎には自分の心のまま正しいと思う道を進むように伝えてほしい、父には体を大切にしてほしいと

それから…竈門少年、俺は君の妹を信じる…鬼殺隊の一員として認める
汽車の中であの少女が血を流しながら人間を守るのを見た、命を懸けて鬼と戦い人を守る者は誰が何と言おうと鬼殺隊の一員だ…胸を張って生きろ
己の弱さやふがいなさにどれだけ打ちのめされようと…心を燃やせ、歯を食いしばって前を向け…君が足を止めてうずくまっても時間の流れは止まってくれない、共に寄り添って悲しんではくれない
俺がここで死ぬことは気にするな、柱ならば後輩の盾となるのは当然だ…柱ならば誰であっても同じことをする…若い芽は摘ませない」


煉獄さんの言うことは正しい
でも時には正しさを受け入れ難いこともある
煉獄さんは死んでいい人じゃない、私が代わりに死ぬべきだった
有一郎を救えなかったあの時と何も変わらない
私はまた罪を重ねてしまった


「菜花少女」


名を呼ばれて顔を上げると煉獄さんが優しい表情でこちらを見ている
このわずかな距離も近づくことさえできず、地面に伏している私は本当に情けない


「柱との差を悲観してはいけない…君は間違いなく柱になるに相応しい
俺を助けようと行動した…あの上弦相手にだ、誇っていい…大丈夫だ、君の努力は無駄なんかじゃない」

「煉…獄さ…ん…っ」


私の気持ちを見透かしたような言葉に嗚咽が漏れる
泣いたってなにも変わらないのに涙が止まることはない


「菜花少女、竈門少年、猪頭少年、黄色い少年…もっともっと成長しろ…そして今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ…俺は信じる、君たちを信じる」


煉獄さんの周りに優しい風が吹く
待って、行かないで、私はまだあなたにお礼を言えてない


「煉獄さん…っ…私…私は…!!」


煉獄さんの体から力が抜けた

その穏やかな表情に彼が亡くなったのだと理解する
結局私はあの頃の菜花祈里のままで、罪を重ねただけの罪人だ

炭治郎たちの泣いている声を聞きながら、私の意識は暗転した






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