東風解凍




生まれてからすぐの頃、お母さんは病で亡くなったらしい
物心がついた時にはお父さんと二人暮らしだった

お母さんがいないからといって寂しさを感じたことはない
お父さんはいつだって私を大切に育ててくれたし、私もお父さんが大好きだったから

お父さんは猟師をしているので時折街へ獲物を売りに行くこともある
そういった時は必ずお土産といって見たこともないものを持って帰ってきてくれた
まだ小さいからなかなかこの家から離れたところには行かせてもらえないけれど、街には私の知らないものがたくさんあると知ってわくわくしたのを覚えている

ある日、いつものように街から帰ってきたお父さんが新しい着物を買ってきてくれた


「うん、やっぱり祈里は緑が似合うな、母さんそっくりだ」


着物を着た私を見てお父さんはそう言った
なんとなくお母さんの話をあまり聞いてこなかったんだけど、その時はお父さんの発言の意味が気になってしまった


「お母さん?」


記憶にないため懐かしさも何もない人物
でも確かに私はその人から生まれたという

不思議そうにしている私をお父さんは抱き抱えてくれた
そのまま家の外に出ると星がたくさん散りばめられた夜空が頭上に広がっていた


「母さんは空にいるんだよ」


お父さんの言葉を聞いてから空を見上げる
とはいえそこにお母さんの姿はないし、手を伸ばしても届く気配はない


「どうしてお空なの?」

「この世界中のどこでも空は同じなんだ」

「えー!すごい!お空って大きいんだね!」

「そうさ、だから父さんや祈里がどこにいても母さんが見守ってくれてるんだ」


お父さんに抱き抱えられて見る空はいつもよりも少しだけ近い
それでもやっぱり空は遠くて、大きくなればいつかは届くのかなと頭の片隅でぼんやりと考えてみる


「ねえお父さん、お母さんってどんな人だったの?」


そう尋ねると、お父さんは少々驚いた表情になる
普通ならお母さんの存在を気になるんだろうけれど、私にとってはあまりピンとこない
だから今まで避けてきた話を私から振ったんだ、当然の反応かもしれない

お父さんは「うーん」と少し考えてから優しい顔で私を見つめた


「祈里と同じ綺麗な緑色の目をしていたよ、あと笑った顔が瓜二つだ」

「お母さんと同じ目…」

「いつも笑顔で、思いやりがあって、誰かのために頑張れる優しい人だったよ」


地面に下ろされて頭を撫でられる
お父さんの大きな手はごつごつしていて私の手と全然違う
お母さんはどんな手をしていたんだろう


「さあ、そろそろ寝ようか」

「うん!」




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−−−−




お母さんの話を聞いてすぐの頃、家に知らない人がやってきた


「やあ祈里ちゃん、大きくなったね」

「?」


お父さんの友達というその人は優しく微笑んでいる
でも私はこの人を知らないのでお父さんの後ろに隠れて様子を伺う


「祈里、この人は時透さんといって父さんの友達だよ」

「は…はじめまして…」


そっと顔だけ覗かせて時透さんを見上げれば、黒い髪に赤い瞳をしていた
優しそうに微笑むその表情からいい人なんだろうなと読み取れる


「時透さんの家はここから少し行ったところにあるんだ、祈里はまだこの家の近辺しか知らないだろうけどご近所さんだね」


お父さん以外の人と会ったのが初めてなので緊張しつつも時透さんを見ていると、家の入り口の方でひそひそと話し声が聞こえた
そちらに目を向ければ、そこには瓜二つの顔をした男の子が二人立っている


「あっ!二人ともついてきてたのか…」


時透さんがやれやれと言った声で告げると、男の子たちは同時ににっこりと笑った


「おお、有一郎くんに無一郎くんか、大きくなったね」


先ほどの時透さんのように今度はお父さんが男の子たちに語りかけると二人はぺこりと頭を下げた、どうやらお父さんと会ったことがあるらしい


「二人とも、この子が祈里ちゃんだよ」


時透さんの紹介があってから双子の目がこちらに向けられる
綺麗な水色のそれは時透さんとは違うので母親譲りなんだろう


「俺は有一郎」

「僕は無一郎」


濃い色の着物を着ている方が有一郎
淡い色の着物を着ている方が無一郎

二人はそう名乗ったが、初見では見分けがつかず少し混乱してしまう
そもそも双子を見たのが初めてなのだから当然と言えば当然だが
固まっている私を見てお父さんが二人の前にずいっと押し出した


「ほら祈里も挨拶をするんだ」


見上げたお父さんはいつものように優しく微笑んでいて、私も意を決して双子に目を向ける


「菜花…祈里、です」


おずおずとそう名乗れば二人はにっこりと笑ってくれた
こうして私は生涯の友人と出会うことになったのだ






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