葭始生




あまね様の言っていたとおりその年の夏はとても暑かった
山の上なので街よりは涼しい方かもしれないけど寒さに慣れている私からすればこの暑さは辛いものがある


「いやー、こりゃすごい日差しだな」

「私お水汲んでくるからちょっと待ってて」

「おお、ありがとう」


川に水を汲みに行くと水の中をすいすいと気持ちよさそうに泳ぐ魚がいる
あの時以来生きている魚は苦手なのでゾッとしつつも帰路を急ぐと家の前で倒れているお父さんを見つけた


「お父さん!!」


汲んできた水がこぼれるのも気に留めず駆け寄ると顔が赤く火照っている
この暑さで参ってしまったのかもしれないと思い家の中へと連れて行き寝かせた
もう一度汲んできた水で濡らした布を額に乗せて別の布で仰げば徐々に落ち着いてきたようで火照りも治っている


「ごめんな祈里…」

「いいの、今日はゆっくりしててね」


こんなに暑いのだから具合が悪くなって当然だと思いつつも二人の様子も見に行こうと思いお父さんに声をかけてから様子を見に行った


「それでお父さんが倒れちゃったんだ、だから二人とも今日は無理したらダメだよ」

「そっか…おじさん早くよくなるといいね」


眉を下げる無一郎に頷く


「家の中も熱がこもっちゃうから今日は扉を開けて寝ようと思ってるんだ」

「それいいな」


私の意見に賛同する有一郎

本来は扉を開けて寝ることなんてない
山の中だから人はいないとはいえ獣が入ってくると大変だから
でもこの時の私たちはこの暑さをどうにかすることしか頭になくて、何の気なしに提案した自分の意見が後に酷い結果を生むなんて思いもしなかった




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その日の夕飯はお父さんが食べやすいようにおじやを作った
水もしっかり飲んで明日は仕事に戻れるとお父さんは笑っていた


「こんなに暑いんだし扉を開けて寝ようか」


てててっと扉へ向かった私は鍵として突っかけている木の棒に触れようとしたが、その時外の風がざわついていることに気が付く
すぐに手を離して数歩下がれば異変に気がついたお父さんが「祈里?」と告げる

直後、ドンッという扉を叩く音が聞こえた
これにはお父さんも傍にあった銃を手に取り、私もゆっくり後退りして扉から離れていく


「(何かがいる)」


山の中だから獣の類だろうか
少なくとも人ではない何かに心臓が嫌な音を立てる

お父さんの方を見れば猟銃を構えて迎え撃つ準備が整っているようだった
私も息を殺して何かが姿を現すのを待つ

と、次の瞬間
私の真横の木の壁が砕け散り、そこから伸びてきた腕が私を掴んで引き摺り出された


「祈里!!!」


お父さんの悲鳴のような声が聞こえて目を開けると、地面に転がっている私を見下ろす何かがいた
人のようにみえるが腕や額の角からして人ではないことが見てとれる
そこで思い出したのはあまね様の話にあった人食い鬼の話


「ひっ…」


殺される、そう思って後ずさるが鬼は私ではなくお父さんの方へ目を向けた


『いたいた、本当は女の肉がいいが…このガキよりは食いごたえがありそうだ…ひひひ』


ゆらりと家へと入っていく鬼に吠える豆吉
しかし豆吉はすぐに吠えるのを止めた…いや、吠えられなくなったと言う方が正しい

豆吉の首が胴から切断されごとりと落ちる
血飛沫が舞い部屋が赤く染まった


『うるせぇな』

「っ!」


その光景を見た途端、体が勝手に動いた
先ほどまでは恐怖で動けなかったというのに、勢いよく立ち上がった私は家の前に置いてあった獣を解体する鉈を握った

向かう先は鬼の下
お父さんを守ることだけを考えていた私は鬼めがけ振りかぶった
それはズッと鬼の横腹に刺さったはずだが、鬼は悲鳴をあげるどころか蚊が止まったかのように『あ?』とこちらを振り向く


「(効いてない…!)」

『おお…威勢のいいガキだな』


鬼が私の着物を掴んで持ち上げる
じたばたともがくけれど全く微動だにしない鬼は愉快そうに笑った

ダメだ殺される、そう思った時轟音が鳴って鬼の腕が弾け飛ぶ
その腕に抱えられていた私もドサリと地面に落ちた


「祈里!今すぐ逃げろ!!」

「でも!」

「お前なら無事に逃げ切れるだろう!」


そうだ、私の力を使えば…風を読めば街まで無事に降りられる
危険がない方向に進めばいいのだから


『この野郎…何しやがる…!!!』


お父さんに襲いかかる鬼
するとお父さんは棚にしまっていた刀を取り出し応戦した


「お父さん!」

「いいから行くんだ!!!!」


優しくて声を荒げた姿なんて見たことがないお父さんのその叫びに涙が滲みつつも必死に駆ける


『ははは!どこへ行ってもあのガキは食い殺すってのによ!』


離れていく私を見て愉快そうに笑う鬼にお父さんは刀を突きつけた


「諦めたとは言え少しは剣を齧った身だ、お前は娘のところに行かせない」






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