虹始見




街に出かけたお父さんが留守の間、家のことをしているとあまね様がやってきた
綺麗な着物が濡れてしまっていたので慌てて家に入ってもらい綺麗な布で拭かせていただいた


「一体どうされたんです?」

「いえ…無理強いしたのがいけなかったのだと」


おそらく有一郎だ
あまね様は二人を心配してこんな山に通ってくださっているというのに有一郎は無一郎を守ろうと必死だから話を聞こうともしないらしい


「あの…有一郎が申し訳ありません」

「顔を上げてください祈里さん、あなたが謝ることではありませんよ」


困ったように微笑むあまね様はまるで天女のようだと思った
とても綺麗で儚くて、でも優しい慈愛の心に溢れている


「あの…もし二人が鬼殺隊に入ったら…幸せになれますか?」


あまね様なら信頼できる、そう思い不躾な質問をした
私の問いを聞いたあまね様の表情が真剣なものへと変わる
一息ついてから彼女は「いいえ」と告げた


「つらく過酷な鍛錬の日々、それに鬼と戦うことで命を落とす者も多く決して幸せではないでしょう」

「っ…そう、ですか」


鬼という生き物がいることは前におばあさんのところへ行ってからお父さんに聞いた
にわかには信じがたいが人を食らうそうだ
そんな鬼と戦い、人を救っているのが鬼殺隊だという


「ですが衣食住は保証されます、生きるための力を身につける環境も」


生きるため
その言葉は昔からよく聞いてきた

生きるためにお父さんも私も猟銃を撃つ
生きるために料理をする
生きるために食べる

少なくとも二人はどちらを選んでも生きることには変わりないらしい


「私は…あまね様のお話を信じます
よく分からないことだらけですけど…有一郎と無一郎のことを案じてくださっているのは伝わってますから」


純粋に二人のことを心配して何度も様子を見にきてくださっている
それが分かるからこそ有一郎も頑なに拒んでいるんだろう、無一郎を危険から遠ざけるために心を鬼にして


「祈里さんは風が視えると聞きました」

「え、あ、はい…珍しいと聞いています」


どうしてあまね様が知っているんだろうと思うも、そういえばあのおばあさんも元鬼殺隊の人だったっけと思うと腑に落ちた


「元風柱の扇町様から聞きました」

「扇町…あっ、もしかしてあのおばあさんでしょうか?」

「祈里様のことを大層気にかけていらっしゃいましたよ」

「そうなんですか…」


一度しか会ったことがないのに不思議なことだ
でも確かにあの人と会った時に不思議な感覚がしたのは私もよく覚えている


「祈里様、貴方は自分を卑下されていますがお二人に劣らず素質があるのですよ」

「素質?」


首を傾げるとあまね様は頷く


「柱というのは鬼殺隊の中でも優れた力を持つ精鋭達のことです
その元風柱である扇町様は祈里様に才を見出したと仰っていました」

「ちょっと待ってください…え…私がですか?」


私は猟師の娘だ、山に暮らして慎ましく生きる凡人だ
それが鬼殺隊のそれも柱と呼ばれるようなすごい人から才能があると言われているだなんて信じられない


「何かの間違いじゃないんですか?」

「先ほどは私の話を信じてくださったのに、此度は異なるのですね」

「だってあれは二人の話で…私はただの子供です、決してそんな大層な者じゃないです」


風が視えるという他の人にはない力があるだけで役にたつなんて精々天気が読めることくらいだ


「大体この力が何の役に立つと言うんです?有一郎や無一郎のように特別な血が流れているわけでもない…私は…私なんて」

少しパニックになっている私の手にあまね様の手が触れた
その途端息を吹き返したように体が軽くなる


「謙虚でいることは素晴らしいです、しかし自分を蔑んではいけません」

「…あ…はい…」


現実に戻された途端身体中の汗が吹き出してきた
そう言えばおばさんからも謙遜する癖があるとよく言われていたっけ
自分はみんなよりすごくないからと卑下して物事を見ている節があると


「そろそろお暇します、この夏はとても暑いそうですからくれぐれもお身体を大事になさってくださいね」


そう言って山を降りていくあまね様を見送る
あまね様の姿が見えなくなってからもずっと家の前に立ち尽くしていると、街から帰ってきたお父さんがぎょっとした顔で私に駆け寄ってきた


「どうしたんだ祈里!」

「あ…おかえりなさい」

「どうした?何かあったのか?」


心配そうにこちらを見るお父さんに先ほどの話をすべきか迷った
もし私に猟師以外の道があると知ったらお父さんはどうするだろうか

ダメだ、この山にお父さんを一人残していけない
それに二人がどうするのかも聞いていない
先ほどの話は聞かなかったことにしよう、私はただの子供だ


「ううん、お父さんの帰りを待ってただけだよ」


にこりと笑った私を見てお父さんがホッとした顔をする
そんな私たちを豆吉はただじっと見つめていた






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