桜始開




いつものようにお父さんと狩猟に出かけた朝
帰路についていると山の葉がサワサワと揺れたので辺りを見回す


「どうした祈里」

「うーん…今日天気荒れるかも」


今は晴天だというのにそんなことを言ったものだからお父さんは少し驚いている
けれど私が風を視えると知っているから決してバカにしたりはしない


「そうか、今日この後街に行く予定だったけど止めとこうかな」


うーんと唸っているお父さん
冬が近いため食糧などを買わなきゃいけないので今日街へ行くことは重要なことだったりする
きっとお父さんもそこをふまえた上でどうすべきか迷っているんだろう


「私は家のことをしておくからお父さんは街へ行ってきていいよ」

「え、でも荒れると戻ってこれないかもしれないし」

「大丈夫だよ、一人で留守番くらいへっちゃらだもん」


もう10歳だからと付け加えればお父さんは眉を下げつつも了承してくれた

お父さんを見送った後、嵐に耐えるために家の補強を行う
物が飛んで行ったりしないよう布で覆って重石を置いたり、そういうことを色々だ

やることをやった後、時透家のご飯を作りにいかなきゃと思うもポツポツと雨が降り始めた
前から雨の日は風邪を引くといけないから来なくて大丈夫だと言われていたため今日は諦めることにする


「バウバウ!」


入り口の扉を閉めると豆吉が嬉しそうに擦り寄ってきた


「今日は二人でお留守番だね」

「バウ!」

「ふふ、豆吉がいるから寂しくないよ」


お父さんが街に泊まる時は必ず時透家に預けられていたので一夜丸々留守番するのはこれが初めてだった
早めに準備していたため、徐々に強まる雨音にも問題ない

一人分の料理をして、豆吉にもご飯を与えて、明日帰ってくるであろうお父さんを出迎えるためにも早く寝ようと布団に入る
すると豆吉が傍に寄ってきてくるくるとその場で回ってからストンと落ち着いたように腰を下ろしすやすやと寝始める
その姿を見て本当に優しい子だと思い瞼を下ろした

一夜明ければいつも通りの明日が来る
そう信じて疑わなかった私は知らない、時透家で何が起こっていたのかを




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−−−−




鳥のさえずりが聞こえて目を覚ますと雨はもう上がっていた
ぴちょんと雫が落ちる音があちこちから聞こえる中扉を開ければ陽が上り始めて空が色づき始めている

昨夜の雨はかなり酷かったので今日は川が荒れているだろうなとぼんやり考えていると、バタバタという足音が聞こえた
何事だと思ってそちらに目をやれば、酷く青ざめた顔の有一郎がそこにいた


「祈里!母さんが…母さんが!!」


有一郎の口から出たのはおばさんが明け方に亡くなったということ
昨日はお手伝いに行けなかったので話せないままの別れとなってしまった
動揺して取り乱している有一郎のことを冷静に見れている私はやっぱり冷たいのかもしれない


「あれ、有一郎くん?」


街から帰ってきたお父さんが有一郎の様子を見て只事ではないと察したのだろう
お父さんと共に私はすぐに時透家へ向かった
そこにはおばさんの亡骸の前で泣きじゃくる無一郎の姿があった


「母さん…母さんっ!」


おばさんの顔は眠ったように安らかで、熱にうなされ続けていた最近の苦しそうな顔と比べるととても穏やかに見える
遺体を前にするとようやく実感が湧いたのかぽろりと涙が溢れた、優しくしてくれたおばさんとの思い出が蘇ってきて涙は止まらない


「っ…お父さんはどうした?」


お父さんが双子に問いかけると、二人は昨晩の嵐の中薬草を採りに行ったと告げる
おばさんの容態を心配しての行動だったんだろう、でもあの嵐の中で山を歩くのは無謀すぎる


「探してくるから3人はここにいるんだ、祈里頼んだよ」

「うん」


慌てて家を出ていくお父さんを見送ってから双子の傍に行くと二人とも私にしがみついたように泣き始めた
お母さんの記憶がない私でも悲しいと思うのだから二人にとっては耐えられないほどの痛みに違いない

何と声をかけるべきか言葉を探すが見つからない
どんな言葉も二人の心を抉ってしまいそうで声にならない


「(私は何もできない)」


おばさんはいつも「祈里ちゃんは何でもできるのね」と褒めてくれたけどそんなことはない
私は友達を慰めることもできない無力な存在だ

それからどれほどの時間が経ったか、扉が開いたのでそちらを向くとお父さんが立っている
その表情は暗い、おじさんを背負っているようだけれど頭から血を流しているおじさんは目を閉じたままぴくりとも動かない


「…二人とも…お父さんはもう…」


ゆっくりと床に寝かせられたおじさんを見て二人は更に泣きじゃくった

この日、齢10にして有一郎と無一郎は両親を失った






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