菜虫化蝶




お父さんと街へ行った帰り道、今日も最中を買ってもらってご機嫌な私の足取りはとても軽い


「ねえねえお父さん、今日はとっても風が気持ちいいね!」

「そうだね、でも冬が近いから少し肌寒いかな」


お父さんの言うとおり季節はもう冬に差し掛かっている
景信山の冬はとても厳しいので今のうちに乗り越えるための準備をしなきゃいけない
食糧確保や積雪対策などやることは山盛りだ


「あ、風が来る」


何気なくそう言葉を発した後、数秒の後にふわりと二人の下へ風が到達した
そのことにお父さんは驚いたような顔をして私を見るが、私はにこにことお父さんを見上げるまま


「祈里…前から思っていたんだが…もしかして風が見えているのか?」

お父さんの問いかけにきょとんとしてから頷く
いつからか分からないけれど風の動きが視認できるようになっていたのだ


「そうか、だから狩猟の時も位置を調整できているのか…」


ぽつりと独り言のように呟いたお父さんは何かを考え込むような仕草を見せ、しばらく思考を巡らせた後にこちらを向く


「祈里、今度少し遠出をしないか?」




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後日

お父さんに連れてこられたのは景信山から数日かけたところにある街
初めてこんな遠出したこともあり緊張している私は今とある家の座敷に通されている
自分の家の何倍もあるような大きいその家はお屋敷と呼ぶに相応しい広さで中庭まである

落ち着かない広さに萎縮しきっていると足音が聞こえた
隣に座るお父さんの背筋が伸びたので私も同じように姿勢を正すと襖が開いて一人のおばあさんが入ってくる


「久しいね伊織」


伊織というのはお父さんの名前だ
目の前のおばあさんはお父さんの知り合いらしい


「ご無沙汰しております、先生」


お父さんが先生と呼んだおばあさんは60歳ほどだろうか
平均寿命が45歳ほどなのでかなり長生きされている
白い髪に緑色の目をしたその人は私に目を向けた


「っ」


目が合った途端に感じたのはこのおばあさんを取り巻く風の気配
私がそれに気がついたことを察したおばあさんは「ほう」と声を漏らした


「そうか、視えているのかね」

「どうやらそのようでして…こちらは私の娘、祈里です」


おばあさんに紹介されて頭を下げると柔らかく微笑まれた


「そうかい、そうかい、とてもいい子じゃないか」


先ほど感じた風の流れはもう感じない
今はこのおばあさんがどこにでもいる優しいおばあさんに見える


「祈里、と言ったね」

「はい」

「風が視えるのは天からの贈り物だよ、なんたってなかなか発現することはないんだからね」


どうやらこの風が視えることは特殊なものらしい
お父さんがこの人のところに連れてきたのはきっとこの人も視える側の人だからだろう


「風はきっと味方してくれる、お前さんが望むのならばね」

「私が望めば…」


どういう意味か分からないけれどこの力を大切に使おうと思えた

その後お父さんとおばあさんは何やら難しい話をしていたけれどちんぷんかんぷんで右から左に聞き流す
何やら「風柱」とか「鬼」とか聞こえたけれどよくわからないや


その日はお屋敷に泊めてもらい、翌日お父さんと一緒に帰路につく
おばあさんは「何か困ったことがあったらまた来なさいな」と見送ってくれた

聞くところによるとお父さんは昔あのおばあさんから色々学んでいたらしい
でも適正がなくて結局親の仕事の猟師を継いだとか


「ねえお父さん、どうして私を連れてきたの?」

「んー、なんとなくそうした方がいい気がしてね」

「ふーん…そっか」


分からないことは多いけれどおばあさんは嫌な人じゃなかった
むしろ昔から知っているような懐かしさすらあった

あの人は一体何者なんだろうか、不思議に思うけれど答えは知れそうにない






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