愚者へ贈るセレナーデ

  正気と幻覚の狭間




「その薬は?」

「今夜には量産される、試作品はこれだ」


暮人が内ポケットから出したアンプルと注射器


「だがお前はまだ打ってないわけだ、他の部下を実験に使」

「これを作るのに七人死んだ、みな志願者だ
全員自分がこの世界をなんとかすると必死だ…生き残った子供たちを守ると、生き残った人類を復興させると」


暮人の言葉に俺は口を噤む

命懸けなのはこいつも一緒なのかもしれない


「まだそれでも実験は足りてない、安全は確保されてない
統率者が使うにはまだリスクが多分残ってる…が」


くるんと注射器を反転させた暮人が自分の首にそれを刺した

止める前に中の赤い液体が暮人の首へ吸い込まれていく


「おい暮人」


打ったところを中心に呪詛が広がる


「暴走したら俺の首を刎ねろ」

「お前」

「ぐう…っ」


苦しそうに呻く暮人がしばらくしてから止まれと告げた

すると呪詛がみるみる治まっていき、落ち着きを取り戻した暮人がにやりと笑った


「成功だ」

「リーダーとしては失格だぞ」

「お前に言われたくないよ
それに時間がないんだグレン、足踏みすればそれだけ子供たちが死ぬ、俺たちはそれを阻止しなければ…こい雷鳴鬼」


暮人の声に反応した刀が黒板から飛んでくる

それを掴んで一振りした姿からは先ほどよりも圧倒的に強大な力が篭っていた

だから俺も慌てて刀を振るう


「ノ夜」


その呼びかけに反応はない

雷鳴鬼の攻撃を七回受け、全て受け止めた

これでも俺の力の方が若干…本当に若干上なことは読み取れた


「こんなものだろう」


満足そうな顔の暮人に呆れた目を向ける

合理主義者の冷徹君主がこんなリスクを犯すなんてどうかしている

雷鳴鬼に目を向けた暮人は満足げだ


「この力があれば吸血鬼を殺せる」

「…貴族は無理じゃないか?」

「貴族にも位がある、どうやら上位になるほど急激に力が増すようだ
だが吸血鬼の本拠地は西の方にあるようだ、東京近辺にはあまり位の高い貴族はいない
だからまずは東京を手に入れる」


どうやら暮人は吸血鬼の調査もしているようだ

というよりは帝ノ鬼自体がそれを行っているのかもしれない

人類の蘇生、終わりのセラフの実験は吸血鬼たちから隠れて行う必要があったからだ

俺は暮人を見つめた

本当にこいつは復興するつもりらしい

こんな世界をどうにかしようと諦めず愚痴らずへこたれず前に進もうとしている

世界を崩壊させた俺は深く息を吸った

こんな無様に生きる自分が何をすべきか考える


「お前にも打ってやろう、そうすればまた鬼と対話できるようになる
対話できるということは鬼を自分から引き離しているということだ」

「深夜たちの分は?」

「ある」


暮人が上着を開いて見せた

そこには暗器と呪符の束とプラスチック製のケースのようなものがぶら下がっていた


「で、その注射をして強くなって俺たちは何をしたら渋谷に戻れる?」

「既に任務書もある、渋谷の電力を確保したいがそれを邪魔する奴がいる」

「誰だ?」

「吸血鬼の部隊だ、子供を集めてる
まあ詳しくは任務書にあるから読め」


暮人の言葉に俺は頷いた

近づいてきた暮人の手には先ほどあいつの首に打ったものと同じ注射が握られている

今自分は鬼が暴走している状態らしい

薬を入れればその鬼を制御できるのだという

であればさっきかすかにちらついた疑問の答えもこの注射をされれば出るかもしれない

自分は暴走していて

鬼に乗っ取られていて

で、ずっと幻覚を見ているという疑問

真昼を殺して暴走してしまった俺が深夜たちも殺してしまったのではないかという疑問

あの時の夜空の告白はなくて、俺が都合よく見た妄想だという疑問


「その注射を受け入れれば俺は正気に戻るか?」

「そのはずだ」

「なら早く打ってくれ」

「ああ」


暮人が俺の首に注射を打とうとして止まった


「何故止まる?」

「俺のセリフだ、何故抵抗する?」

「抵抗?」


何のことだと思い暮人の注射を持つ手を見れば、その手首を俺が掴んでいた

まるで注射を打たせないようにと


「これは…」

「やはり乗っ取られてるんだお前は」

「違う…これは…止まれ」


どれだけ願っても腕が自由にならない


「暮人、早く注射を」

「分かった」


暮人が俺の腕を弾くが抵抗しようと今度は右手が抵抗を始めた

両腕が乗っ取られている感覚がする


「暮人!まずい右手も」


俺の右手が暮人を殴ろうとする

だが暮人はよけた、避けて俺の体を床に押し付け注射器を首へ差し込んだ


「抵抗するな鬼」

「う…ぐあ」


首に刺さった針から液体が入ってくる

そこから呪詛が広がり身体中に呪いが這い巡った


「抑え込めグレン、お前はやれる」

「ぐ、ぐうううう」


意識が飛びそうになる

音が遠くになった

何もかもの現実感が遠くへと離れていく感覚すらある


「くそ駄目か」


遠くで暮人の声が聞こえた

ほとんど真っ白になった視界の向こう側で暮人が雷鳴鬼を振り上げたのが見える

そこで俺の意識は途切れた





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