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2月前半

予備校を出たところでたまたま兎原さんと鉢合わせた
製菓教室の帰りなのか、前にエクレアをもらった時と同じ紙袋を持っている
一緒にいた橋田と桑名さんが過剰に反応するから兎原さんはびっくりしてたようだけど、俺を見て人懐っこい笑顔を向けるから本当に可愛い

「なあ八虎、もしかしてその子彼女?」

橋田の問いかけに少し考え込む
俺にとって兎原さんは好きな子
兎原さんにとっての俺も多分そうだと思う
でも付き合ってるわけじゃないし、てゆーか俺が返事聞かないでずるずるここまで来てるだけというか何というか
でも兎原さんのことだから受験終わるまで答えてくれそうにないし

てかそもそも兎原さんはまだ俺のこと好きなのか?

「あー…俺の片思い」

そう答えれば兎原さんに信じられないという目を向けられた

「え、何?!」

「矢口くんってそういうところあるよね」

「え…?」

あれ、何か不機嫌…?
俺らのやりとりと眺めてる橋田と桑名さんは顔を見合わせて何か言いたげだし、俺だけが何にも分かってない??

「あげる」

そう言って差し出されたのは例の紙袋

「え…あ、お菓子?」

「そ、あんまり追い込みすぎないようにね」

ちょっとびっくりした
最近右腕に蕁麻疹が出始めたのがバレてるんじゃないかと思ってしまう
中に入ってたのはトリュフチョコレート
バレンタインはもうすぎてるけど兎原さんからのチョコレートに感動しながら一つ口に含む
甘くて少し苦い味が口に広がって脳に糖分が行き渡るようだ

「うま」

今度お礼しなきゃなーとか考えつつ来週に迫った藝大の一次試験に向け絵を描くことにした


けど何でだ?上手くいかない
何でこんな上手くいかない?
一次目前なのに俺は絵を「楽しく」描けなくなっていた

兎原さんに会いたい自分と会いたくない自分がいる
今会ったら絶対幻滅されると思って怖い

翌朝8時
予備校前に美術室の掃除を終わらせる
三年はもう登校日もないから正直みんな自由に来たり塾に篭ったりしてる
兎原さんが学校にいるのは知ってたけど会いたくなくて足早に学校を出た

予備校に到着して絵を描く
一次までに描けるのはあと5枚、4枚…

思い詰めた気持ちのまま予備校を出るとそこには恋ちゃんがいた

説明会があったらしい
恋ちゃんはバイクだったしそのまま帰るのかと思ってたけど飯に誘われた
試験前…こんなことをしてる場合じゃないのかもしれない
それでも俺に足りないのは「自分勝手さ」だからそのままいつものラーメンを食べに来た

「受験大変そうだな」

「まーね、でももうやるしかないみたいな感じあるよ」

「そうか、そうだよな」

「そーいやさっき説明会って言ってたけど、もしかして就職先決まった?」

「いや、俺な、パティシエ専門学校に入ることにした」

いや待って
急すぎて盛大に咽せるスープが気管に入って必死に水を飲んでようやく落ち着いたところで隣に座る恋ちゃんを見た

「待って!聞いてないんだけど!」

「諦めてたからな」

そう言った恋ちゃん
俯いてるし手が邪魔で顔は見えないけど、ポタっと机に落ちた涙にぎょっとした

「(ちょ、泣いてんの恋ちゃん?マジ?
えー、泣くところか?むしろ良いことじゃん
つーか、泣きたいのは俺の方…ん?
え?何オレ、恋ちゃんが泣いてんのに自分のことばっか)」

「俺は金も頭もねえし、俺が菓子づくりって笑えるだろ
でも八虎がよ、じっ、自分のやりたいこと選んでて俺もやってみたいと思っちまったんだよなあっ…!」

あ、そうか
俺たちまだ高校生じゃん
何もできなくて当然で、困ったら途方にくれて当然なんだ
恋ちゃんはごしごしと涙を拭いてこっちを見た

「わり、結局昼はバイトして夜間のあるとこに行くことにしたんだ
あと、さっき知ったけど兎原さんと同じとこだった」

「え!?」

「兎原さんは昼間部らしいけどな…言うのが遅くなって悪かったな」

説明会終わりにたまたま同じ会場で兎原さんに会ったらしい
推薦合格者向けの説明会もあったようでそこに参加していたとか
え、そっか、兎原さんと同じとこなんだ、ちょっと羨ましい

「でもかっこいいよお前ホント、マジでみんな応援してる
お前ならだいじょう「おめでとう恋ちゃん、でも俺カッコよくないよ」

話を遮った
恋ちゃんが思うほど俺は強くないし凄いやつでもない

「…ほんと…ほんとにダメなんだわ…俺今さ、絵を描くのが怖いんだよ」

思わずぶちまけてしまった本音

「…俺は、八虎が大変なときだってわかってたのに何で自分の話ばっかり…!」

「あっ!ごめんごめんごめん!むしろせっかく恋ちゃんがめでたい話してたのに
ごめん愚痴っちゃって、終わり!けど受験で病んでたけど元気出たわー、今日は俺のおごりで「笑うなよ」

今度は恋ちゃんが遮る

「その笑い方されるとこれ以上入ってくんなって言われてるみてぇで虚しくなんだよ」

やってしまったと思った
兎原さんがこういう笑い方したら悲しくなるって知ってるのに何で俺はまた地雷を踏み抜いてしまうんだろうか

「…ごめん、じゃあちょっとだけ愚痴らせて
予備校の先生にさ、お前には自分勝手さと楽しむ力が足りないって言われたんだよね」

「…楽しくないのか?」

「…わかんない、昔はあったんだけどね
でももうその感覚が思い出せないんだわ
楽しんでる奴が魅力的なのはわかるよ、俺だってそうなりたいしそうなろうと頑張ったんだ
でも楽しむってさ、すげーホンキな気持ちじゃん

楽しんで作って、それ否定されたら立てなくなりそうで怖いんだよ…!」

俺は俺の”好き”を守って壁を建てる
“好き”を知りたくて壁を壊した兎原さんとは対照的だ

「周囲が思ってるよりずっと自分に自信がないよな八虎は」

「…あれ、バレた?」

「まあな」

「技術重ねるのも枚数重ねるのも苦じゃないんだけどね」

「八虎の努力は自信のなさの裏返しか」

「え」

恋ちゃんは俺が思ってるよりも先生の話を理解しているらしい
俺を見て静かに、けど力強く言葉を紡ぎ出す

「なあ八虎、俺ぁ先生の言うことも少しわかるぞ
お前は昔から聞き上手だ、空気も読めるしこっちの欲しい言葉を理解して話してくれる、それってすげえ心地いいんだ
でも虚しさもあってよ…んな八虎が絵の道を選んだ時震えたよ、こいつ本気で決めたんだって…なあ八虎、お前は知らねえかもしれねえが俺たちはみんなお前の話を聞くのが好きなんだぜ、俺は絵のことはわかんねえけどな」

あ、そっか
空気を読むのも勉強すんのも楽しい方を怖がってたのも…
俺…いつの間にか美術でもあの頃と同じような…

守りに入ってた
それがわかって目が覚めた感覚になる

「でも恋ちゃん、それでも怖いと思っちゃったらどうしたら…」

「そんなときこそ役に立つんだろ今までの八虎の努力が」

「え?」

「話術で本音を隠すんじゃなくて本音を技術で武装したらいいんじゃないか?」

そう言って肩を組んだ恋ちゃん
俺がやってきたことが無駄じゃないと教えてくれて勇気までもらってしまった

「今日はほんっとにありがと!途中から俺の話ばっかでごめんね」

「お互い様だ」

「…本当にありがとね」

俺は本当にいろんな人に支えられている
それがわかっただけでも今日は前進だ

「もう大丈夫か?」

「ああ!全部終わったらパーっとやろうな」

「おう……あ、八虎」

「ん?」

振り向くと恋ちゃんは穏やかな顔で笑っていた

「兎原さんと説明会終わりに話したんだけどよ、「私にできるのは祈ることだけだから」だってよ…いい子だな」

「…うん」

本当にいい子だと思う
俺には勿体ないくらいの…って、あれ?
俺そう言えば兎原さんのこと恋ちゃんに言ってなくね?
俺の考えに気がついた恋ちゃんは愉快そうに笑って去っていった




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